6月1日
家の空間が違う。たとえば、バンドのメンバーがひとりおやすみ、ってこういう感じなんだろうな。ひとり分の音、気配がない昼間。夕方並んで歩いていると「お昼ご飯がすっごく美味しかったの!」 としおは言った。私たちが頑張って作っていたお昼は…? と、思わず拗ねそうになったけれど、楽しくてよかった。保育園、再開の日。
6月2日
昨日とても遅ればせながら、アメリカで起きていることの記事を読んだ。そして、動画を見た。あまり暴力的な映像を見ることはしない。けれど、これは私が住んでいたあの街で起きたこと。
あんな風に人は、人を殺してしまうんだ。早くその人を解放してと、住人から非難されている間も、救急隊が搬送の準備をしている間も、その人はしずかにフロイドさんを殺し続けていた。その表情に、誰がなんと言っても、理解されることがなくても、自分は正しいことをしている、という意志が宿っている気がした。静かな英雄の顔。冷たい表情に見えたけれど、彼の中では違ったのかもしれない。いったい、なんてことを。
コロナがなかったら今週末はミネソタにいるはずだった。15年ぶりの大学の同窓会に行くつもりだった。たぶんミネアポリスで飲んでいた。あの街角から、そう遠くないあたりで。
6月3日
しおが、「お母さんのお腹の中に来る前はどこにいたのかなあ?」という。
「どこにいたの?」
「青いコップでね。ミルクを買ったの。青いコップだよ。黄色いコップだよ。みどりのコップ。ガラスだよ」
「全部ガラスかあ。それを全部持って、お腹のかなにいたの?選び放題」と私。「うん、どれから飲もうかなって」
それから、彼女は、「鳥さんにのっておじいちゃんちに行く話」をした。
「パンを焼いて持っていくんだ。ぶどうも、いちじくも、くるみも、クランベリーもはいっているんだ。おばあちゃんにもあげたいなあ。おばあちゃんのところにも行きたいなあ。」
「それは喜ぶね。おばあちゃんもきっと見てるよ。お空からのこともあるし、すぐそばにいることもあるよ。だから色んなことお話ししたらいいよ」と伝えると、しおはふと思い立ったように母の写真を本棚から下ろしてきて、話かけ始めた。
「しおね、公園で木登りができるようになったんだよ。公園で木登りができるようになったんだよ。石渡りができるようになったんだ」
不思議な時間だ…
「そっちはなんじですか? あれ、声がしないねえ」
「え、なにか聞こたりするの?」
「聞こえる時もあるよ。お母さんもあるんじゃない?」
聞こえたらいいのになあ…..
「あ、まだ暗くないんだって、おばあちゃんのところ行きたい。そうだ、パンを焼かなくっちゃ….」 がっしゃーん!
テーブルの上のランプが割れた。慌てて順を起こして、掃除機をかける。煌々と部屋の明かりがついた。
6月4日
オンラインでの同窓会も延期になった。大学の学長からの長いメッセージは、一言で言えば、「はたらけ」ということだった。いまは集中するべきことに集中する大事なときです。このタイミングでは、暴力、非暴力、私はどちらも否定しません。支え合いましょう。変えるべきものを変えてください。はたらいてください。というようなことが、書かれていた。
6月5日
ミネアポリスが燃えている。一体それはどういうことなんだろう、と思う。私の人生には、炎の街が登場する。旅をすればアラブの春に遭遇し、留学先のチリに帰れば、パタゴニアのダムに猛反対する現地の人たちのデモが起きていて、催涙弾を浴びる。そして今回のミネアポリス。穏やかな暮らしが好きだからでは、済まされない運命だとしたら、目を瞑らずにいたい。世界が見せてくること、語りかけてくること。呼びかけに、応えるには?
6月6日
地図を広げている。電話の向こうで地理人さんが「そこに、神社があるのわかります? この辺りに住むと面白いと思いますよ」と、教えてくれる。私は、駅やスーパーまでの距離や、本屋やカフェの有無、公園の雰囲気などを聞く。ちょっといくとキャンプ場と、大きな川があるらしい。再開発された駅前のビルは、まあ普通だけど、テラスが気持ちいいレストランがあって、デートに人気らしい。自然豊かでなかなか暮らしやすそう。
「じゃあここにします」と私は答える。1Kのアパート、2LDKの分譲賃貸、2Kのマンション。どこも良い感じのところが見つかった。よかったよかった。
空想都市の作品を作っている。地理人さんが10年以上かけて、創り続けている空想都市。私は20代の若いお母さんや、30代の雑貨屋勤務の女性、40代の単身赴任の男性になって、その街に暮らす。時々SNSにアップする文章を考える。
地図を眺めている。私はホームセンターの場所が知りたい。会社の部下たちの企画するバーベキューの場所が知りたい。一枚の紙の中で、どんなことが起きるのか、起き得るのかを知りたい。フィクションの面白さってこういうことか。
雑談の合間に、しおが保育園の帰りに必ず地図を見ているという話をしたら、「いい線いってる」と地理人さんが笑った。
6月7日
また眠る前にしおが、母の遺影に話しかけている。母の写真はしおによって本棚から机に移動したままだ。
「おばあちゃん、これみて。塗り絵したの。美味しそうでしょう?」
この様子を一番伝えたい人にもう届かない。正直いつまでおばあちゃんという存在が彼女の中に生き続けつづけるのか。忘れてしまう日がきても不思議じゃない。だからこそ いまこの子の中でおばあちゃんは生きているよ、と、電話をかけたいのだけど。
「おばあちゃん、いつ、しおのおうちにくるかなあ?おじいちゃんとおじちゃんの家に戻ってくるかなあ?」
布団に入ってからも、彼女は考えているらしい。
「そうだねえ….」窓の外であの木が揺れている。「体が戻ってくることはもうないんだけどねえ」
「じゃあ、あたまとせなかは?」
「うーん、それもないなあ。心はかえってくるかもなあ」
「いやなの、おばあちゃんが見たいの、会いたいの」
「私も見たいよ」
「何を?」急に隣の順を目覚した。何も言えなくなる。言葉に詰まっているうちに、彼はまたすぐに眠りに落ちた。涙が出た。
「大丈夫だから、落ち着いて」としおが言って、体を寄せてきた。そして、そのまま眠ってしまった。
窓の外の木を眺めていた。言葉が溢れる。ひとりで泣ける夜があったら、そんな部屋があったら。心ゆくまで読んだり書いたりできたら。でも、彼女がいなかったら。
今、この瞬間にどれだけ救われているか。
6月8日
ぐるぐる、ぐるぐる。まだ何かを書こうとしている。あっちこっちに飛んでいる。書けない。だれかを悪者にしないと、袋叩きにしないと文章がかけないなんて、やめてしまえと思う。白と黒の間にしか、現実はないとわかっているのに、そのどちらかに振れてしまいがちだ。
私が、書きたいこと。あの街のこと。いまデモが起きている道、LAKE STREETは、EAT STREETと呼ばれていて、移民や難民の人たちが開いた、いろいろな味のレストランやスタンドが並んでいる道だということ。ミネソタナイスという言葉があって、人々は互いに優しいことを、誇りとしている、と教えてもらったこと。
大学に入学したときに、pluralism and unity(多様性 あるいは複雑性 と、結束)というプログラムがあって、その時にあの街のコミュニティーづくりに取り組んでいる大勢の人たちに会ったこと。その同じプログラムの中で、自分自身がいかにアジア人コンプレックスを持っていたか、それが社会によってつくられたものだったかに気づいたということ。黒人やラテン系の同級生たちが、同じことに泣いていたこと。
今もあの街に暮らしている友人たちがたくさんいる。デモに参加したり、寄付先を呼び掛けたり。メディアで象徴的に使われているフロイドさんの壁画は、私の同級生があの地区に住むラテンアメリカからの移民たちと一緒に作った。黒人だけじゃない。マイノリティーが結束しているのだ。そこには白人の友人たちも多く含まれている。
きっと今あの街で、あの道で起きていることは、「暴動」なんてひとことではすまない。だって「暴動」って名付けたら思考停止してしまう。
youtubeでルポを見た。アラブの春の時も、多面的な密着取材をしていて、この人たちは信頼できると思っているメディアだ。EAT STREET道の、ラテン系の移民の人が開けている日用品店の取材をしていた。全部、略奪されたそうだ。でも襲ったのは町のひとではなかった、とオーナーは言っていた。その店の監視カメラには、まさに店に走り込む直前にカメラを睨み付ける白人男性の顔が写っていた。そして店は取材中に警察に発砲された。その後、オーナーはカメラに向かっていった。「ようやく、彼ら(黒人)が、置かれてきた状況、その痛みを知った」と。
黒人が略奪しているのではない、と書いたら、白人を非難しているようことになる。暴力はいけない、と書いたら、その思いまで否定してしまうような。二項対立に加担したくはない。
メディアは混乱を取り上げる。でもカオスの中で、とても大事なことを、人々は話し合っている。声が、広がっている。渦が起きている。
私はあの街を「暴動」で片付けられたくないんだ。でも片付けているのはだれ?
暴力はだめですよね、で終わって欲しくないんだ。でも誰に? その場にいないのに?
何に怒っているのか、何を思っているのか話したいと、順に言った。
うん、暮らしも大事だよ。と言われてしまった。
わかっている。けれど、苦しい。
6月9日
あの、ニュースを見たときに、一番最初に思ったことは、「聴いて」だった。
その前に起きたこと、フロイドさんが酔っ払っていたとか、最初はパトカーへの乗車を拒んだ、とかそういうことを抜きにして。それを言うなら、そのもっと前にある、警察の体制とか、長い人種差別の歴史とか、もっと遡れば、無理やり奴隷をつれてきたことも、抜きにして。
もし、あの警察官が、途中でパトカーに乗ると言ったジョージ・フロイドさんの声を聴いていたら? 息ができないと言った彼の声にちゃんと耳を傾けていたら?
歴史が築きあげ今日。心に住みつく偏見。解くには、いまここで聴くことから始めるしかない。聴くだけでは終わらない、と言われるかもしれない。
でも聴かなかったらはじまりさえしない。
6月10日
最近、夜な夜なネットを見ている。暮らしも大事と言われるのも、当然といえば当然だ。
でも、私の繋がる世界のあちこちで、声が噴出している。そして、すごく学びになっている。たとえば通っていた高校の卒業生会。実はあのとき、人種差別に苦しんでました、という声が次々と出てくる。なかったと思うよ…良い人たちばかりだったじゃない、という反論も出る。その返しが、とても今の状況を現していると思う。
ねえ、私にいま何かを聞かないで。丁寧に、ちいさなツッコミや水掛け論に答えることを期待しないで。あなたたちの罪悪感を消してあげるために私はいるわけじゃない。まずは自分の宿題をやって。歴史を学んでよ。
6月11日
ことばは世界をうつしとるものだと思っていた。世界を創るなんてことは自分には合っていない。忠実に、誠実にあろうとしてきた節がある。だから自分と相手が重なるところ、レンズのピントが合うところしか、写しとることができないのかもしれない。あとはぼやけた余白。その余白・余韻も大事。同じくらい大事。
だけど、ピントを合わせられるものを増やしたいとは思う。どれだけぴたりとした言葉を見つけれらるか。という訓練をしなくちゃと思う。
6月12日
ランプが割れたあの夜のしおには、続きがある。すっかり興奮してしまって、眠れなくなってしまったしおは、地球儀を出してきた。「おかあさんはどこで働いていたの?」ここと、ここと、ここと…指差してやると、「どこに住んでたの?」 えーと、ここと、ここと。
おじちゃんは?おとうさんは? 地球儀を回しながら日本の色んな場所や、いくつかの外国をさす。ぐるぐる回しているうちに楽しくなったらしい。 「しおはここでブランコに乗ったよ!」と中国を指し、「ここでミルクをかったの」とインドを、「ここで滑り台したのー」とフィンランド、「石飛びはここ」とブラジルをさす。地球が彼女の公園になっていく。ぐるぐる、ぐるぐる。幸せな夜だった。
6月13日
世界を変えた24のスピーチ(英治出版)という本を読んだ。ドライアーで髪を乾かす間、と思っていたら、気がついたら夜更まで読み続けていた。キング牧師やオバマのスピーチが載っている。その時代背景、スピーチの周りで起きていたことも含めて。死刑にされたある黒人少年の最後の手紙。そして移民が増えることに警告を鳴らしたイギリスの政治家のスピーチも。
あの女性の言葉がめぐる。宿題をやって。歴史を学んでよ! 聴く、とは、読むことでもあるんだ。じっと読んで、学ぶこと。とくにこんな時期においては。
現実派と理想派のスピーチが交互に出てくる。ファクトよりも不安を前面に出すのは、現実派ですか?と問うてもいた。
6月14日
しおの髪をいよいよ切ることにした。生まれてから後ろは一度も切っていない。じょき、とハサミを入れた瞬間に、後悔する。ああ、あの柔らかさが消えてしまった!
「筆にするんでしょう。いいじゃん」と順は言う。
そうなのだ。間違いなくそうなのだ。 がしかし、なんだろう。この胎毛が髪の毛になったという特別な手触りを、切ってしまった感触というのは…。私はヘソの緒を、手術台の上でお医者さんに切られたわけですが、なんだか、今回、へその緒を切るような感覚がありました。
ついでに私の髪も切った。メキシコでかったスキバサミで適当に思いつくところをすいた。後からyoutubeでやり方をみたら全然間違っていたらしい。まあいいや。さっぱり。
6月17日
じゃがいもを掘り起こす。私はあまりに出てこないと、つい、スコップでがりがり掘り起こしてしまうのだけど、順はちゃんと丁寧に掘り出す。しおが見つけやすいように、堀り方まで考えている。きちんと計画を立てる人が隣にいてこそ、私の衝動も活きるのでしょう。早く早くといってごめんなさい。
6月19日
数ヶ月ぶりの電車に乗る。友人から勧められたスーダンの映画「革命シネマ」を見に行った。もたもたしていたら最終日になってしまった。こんなに穏やかに希望と絶望を語れるなんて。これがドキュメンタリーだなんて。素晴らしい。
6月20日
ものすごく久しぶりに、コンサートにいった。カフェスローの「暗闇カフェ」。 私は暗闇が好きだ。冴える。余計なことを考えなくなって、自分の感覚や命にフォーカスが合う。蝋燭の炎を眺めていた。しばらく会えていない友人たちになぞらえた。15年会えていなくても、3ヶ月会えていなくても、同じ時代に寿命を燃やしている。蝋燭の炎に、私は自分の踊りを探す。重松宗一郎さんのピアノを聴きながら、たくさん言葉を書いた。
6月21日
盛り沢山の1日。午前中に近所に住むAちゃん家族が、おすそわけしたかったメロンを取りに来てくれる。盛り上がったしおとAちゃんが公園に川遊びにいくという。あれこれ言い訳をつけて家に残り、こっそり注文していた順への父の日ギフトを受け取る。たまたま近くに用事のあったえりりが、公園に寄ってくれる。「say hiしにきたよ」って、いい言葉。父と弟が家の近くまで来てくれて、父の日のランチをする。ふたたび公園で遊ぶ。夜、kodouというアート作品に参加する。また暗闇と光の空間。これがオンラインでもできる時代になったんだな。
6月22日
プレゼントに買ったビールを開けた。しおがお父さんのグラスに注いであげている。 おとなになったら一緒に飲むんだという。1日遅れの父の日。
6月24日
沖縄のえりりが東京出張のついでに、あらためて遊びに来てくれた。早めに保育園に迎えにいくと大喜びで出てきて、えりが帰るまでずっと一緒に遊んでもらっていた。しおとえりは不思議な絆で結ばれていると思う。はじめて一緒に旅をした人だからかもしれない。はじめて私の出張についてきたときに、一緒に泊めてもらったからかもしれない。とにかくしおは、自分の近しい人の中にえりを含んでいる。ここ数ヶ月、しおは自分の家族が住んでいる場所の天気予報を毎日のように調べていたのだけど、そのなかに必ず毎日、沖縄の天気が入っていたし、3日に1回くらいは「えりりに電話するのー」と言って、私の携帯を奪った。彼女としては、早く会いに行きたいという思いを募らせていただろう。会いにいきたい人が会いに来てくれる。その喜びを知れてよかったね。
6月27日
しおのTシャツを切って、ちいさな買い物カバンを作った。順が、1歳の彼女に初めてデザインしてあげたTシャツだ。5月に挑戦しようとした時は、やだーと言っていたしおも、今回はノリノリでハサミを入れている。ミシンに触ってきて危ないかなと思ったけれど、糸を切るところだけ手伝ってくれて、あとはじっと見ている。「もっと古い服出してくる!」とタンスをあさり出す。「これね、保育園のHくんとお揃いで好きだから、ミシンカタカタでワンピースにできる?」かわいいやつめ。
6月28日
FBで回ってきた人種差別をコロナに例える看板を抱えていたおじいさんの言葉が秀逸だった。広めないこと、自分も持っているかもしれないと自覚すること。ここ1ヶ月、ずっと自分の書いている本の参考書として、災害ユートピア(レベッカ・ソルニット 亜紀書房)を読んでいた。自分の見てきた炎たちを、まさに言語化してくれている。
何が起こるかわからないという災害の警告は、何でも可能だという革命の教えからそんなにかけ離れてはいない。
災害は普段わたしたちを閉じ込めている堀の裂け目のようなもので、そこから洪水のように流れ込んでくるものは、とてつもなく破壊的、もしくは創造的だ。ヒエラルキーや公的機関はこのような状況に対処するには力不足で、危機において失敗するのはたいていこれらだ。反対に、成功するのは市民社会の方で、人々は利他主義や相互扶助を感情的に表現するだけでなく、挑戦を受けて立ち、創造性を駆使する。
この主張を構築するために、災害の歴史、そこでの市井の人たちの証言を丁寧に収集したソルニットは、ニューオリンズで起きた災害と、そこで公的機関が犯した過ちについても触れている。暴徒化すると恐れられたがために、隣の州への避難を禁じられ、スタジアムで亡くなった黒人たちの悲劇を。
先週、英文ニュースの会に参加して、黒人のジャーナリストが書いているひとつのオピニオン記事を読んだ。その記事の最後の1文が、頭をめぐっている。
「(コロナ禍の)世界は早く通常営業に戻りたいという。黒人たちにとって、「通常営業」は、私たちが最も戻りたくない状態。自由になりたい状態だ」(Roxane Gay, New York Times)