星座を結び直す。ふとそんな言葉が降りてくる。
12月の前半を、私は沖縄で過ごした。
大切な友人、えりの結婚式に加えて、現地でまた仕事をすることになった。
3年前。産後の体調不良で私がにっちもさっちも行かなくなっていた時、
「旅がしたい」と呟いた言葉を拾ってくれたのが、えりだった。
私としおは初めてふたりきりで飛行機に乗って、えりのところに行った。
しおのリズムに合わせて動く旅の時間。
あの時間を経て、私はゆっくりと回復に向かっていった。
そして沖縄に縁ができた。
博物館や、首里城のプロジェクトから声が掛かるようになり、
かつては別の国だったこの島々のことを、深く学ぶようになった。
知れば知るほど、少しでも私を使ってくださいという気持ち、
伝わっていないことが、伝わるように、少しでもという気持ちになっていく。
ということを、ゆっくりと振り返るタイミングはあまりなくて、
現実の私は、大好きなお姉ちゃんの結婚という一大イベントで
フラワーガールを務めさせてもらうことになった
しおの感情が、繊細に揺れ動くのに、はらはらしていた。
結婚ってなに?から始まって、
お姉ちゃんを他の人に取られてしまうと感じたしおの困惑
自分がえりをエスコートしたいのにできないと知った時の絶望
あまりに幸せそうな花嫁の顔を見て、綻んでいく小さな笑顔
自分に新たに親しい存在が増えたことを納得して馴染んでいく感じ。
小さな心が、新しい存在を受け入れていったプロセスは
会場から逃げ出しちゃったり、泣き出しちゃったりと
ドタバタではあったけれど、輝かしく、示唆的だ。
大人だって、それを思うシーンや振れ幅は違えど、
こういうプロセスを、無意識にくぐり抜けながら
誰かと出会ったり、だれかの幸せを願っていくんじゃないだろうか。
式が終わって、翌日みんなでご飯を食べていた時、
ふとしおが「お母さん、産んでくれてありがとうね」と言った。
その場にいた、私も順も、えりもトムちゃんも、
そのパートナーたちも一瞬言葉に詰まった。
土地と縁ができる。命と縁ができる。
どこかで出会った命が、またその旅路の中で、出会う命や土地がある。
沖縄にいる間は、私の取材の時は、順がしおりと水族館に行き、
順に予定があるときは、私としおがふたりで過ごした。
一度、予定がバッティングして、それならばと、しおを取材に連れて行った。
年始の香川以来、2回目の母娘仕事。
現場は幸いにも美ら海水族館のすぐ隣の施設で、
終わったあと、またふたりで水族館にいった。
その道中、しおは「かあちゃんの地球の裏側にいる
お友達たちに電話しようよ」と言った。
世界時計を開いて、時差を確認すると、
かけても大丈夫な時間帯。こんなことは珍しい。
こんなふうに、平日のお昼過ぎにしおとふたりでただのんびりしていること
電話しようと彼女が言い出すこと、色々な珍しいタイミングが重なって
ふたりで水族館の食堂に座って、海を眺めながら、
久しぶりの友達たちが、彼女と電話ごしに対面するのを見ていた。
時々、自分が話したり、話を聞くこともできた。
友人たちの、それぞれのささやかでドラマチックな旅のシェア。
こんな時間を過ごしたかったんだなと思った。
でも、それだけじゃない。
数日後、しおは、えりに、会社を作った話をしていた。
世界中に支社があって、zoom会議でいろんな仕事をやっているらしい。
くつを作ったり、靴下を作ったり、公園も作っていて、
そこには、働きすぎちゃう人も、いるらしい。
保育園のあとに、会社に行ってみんなでお弁当を食べながらミーティングして、そのまま泊まれたりもする。それくらいひろーいのだ。
ロシアとタンザニアと、タイあたりにも会社の人がいて遊びにいけるという。
そう、お風呂の蓋をパソコンに見立てて、
いろんな人に電話をしているのに、私も何度か同席している。
3歳の小さな人は、体の制約があるからこそ、大きな想像力で、
自分の世界を創造している。日常の中で気づいた点と点を結んで、
大きな星座を描いて、物語を生きている。
私は、そんな星座を描けるだろうか。
別の日、一緒にプロジェクトをしている人の車に乗って現場に行った。
低気圧のせいか、ぜんぜん頭が回らなくて、
いつもなら少しでも仕事の話を進めようとするのを手放して、
ただ心に浮かぶままの会話を楽しんだ。
ずっと探している海辺があるという話が、ぽつんと自分の中から出てきて、
ああ、そうなんだよなあ、探しているんだよと、
自分の中にあるひとつの星を思い出す。
まだ見つからない、っていう話をしていたのに、
水族館を回り終わったしおが、私のもうひとつの現場にも行きたいと言い出して、着いたらすぐに寝落ちたりするものだから、私はその施設のカフェに入った。用事が終わって合流した順が「この場所、あそこに似ている」と言った。
仕事で来た時には、見つけられなかったのに。
探してると気づいたとたんに、小さな人に導かれるようにして、目の前に。
心の中にずっとしまっている風景が、目の前のそれと繋がっていく感覚。
その景色は、カメラのファインダーの中のように
有限で、小さくて、ささやかで、だからこそ、結んでいけるものなのだと思う。
空に飛び出した竜舌蘭の穂先とか、
海と風とその間で揺れうごくものたちの絶妙な組み合わせとか。
風景のかけらとかけらを結んで、自分の星座を結ぶことを、忘れないでいたい。
頭によぎる人、心によぎる人、夢に出てくる人、これから出会う人。
いつからか、点点と現れてくれる人たちの間に、線を結ぶこと。
あなたと私、君と私。その先に、あなたと君と私で、作られる三角形が無数に存在すること。あなたと私、君と私、の間にも、いつだって新しい創造の種が撒かれていることに、意識的でいたい。
目に映るもの、日常に映る感情に囚われずに、
遠くても近いもの、に呼びかけていく。
結ぶ・結ばれた形から始まる新しい物語を、生きていく。
その最初の、結ぶという行為に注ぐ柔軟な発想と、
強い行動力を自分の中で生成できるように。
最初の星座を結んで、2021年はもっと大胆な絵を描こうと決めた。