いつか会った時の顔

いとでんわ 第2期(2011年12月-2012年1月)

ボクの話はつまらなかったみたいです...

 

以前、30分ほど大学の授業で話をさせてもらった時の事です。
突然の依頼を受け、大学の授業で話をすることになったボクは、
緊張しまくりながら教壇に立ち、
とりあえず、テンションあげまくって、
学生さんへ向けて檄を飛ばしまくりました。
攻撃あるのみです、しゃべくりまくり。

ご存知の通り、だいたい、こういう勇み足の時は失敗します。
面白い位に噛み合いません。
何を言っても、響きません。
焦ります、さらに空回り。
シュールで空虚な時間が流れ続け、
次第にみなさまバッタバッタ。
みんなカボチャに見えました。だって動かないんだもん。
仮眠室と化した教室を静かに後にしたボクの背中が
彼らへの最後のメッセージでした。
数日間は急性対人恐怖症となり落ち込みましたが、
友人に相談して、通じないのが当たり前だって事に気がついたんです。
要は彼らが理解できる言葉で話してなかったんです。
彼らはボクが「トックリ」と呼ぶものを「ハイネック」と呼び、
「乳母車」を「ストローラー」、「スパッツ」を「レギンス」ですよ。
もはや外国人ですわ。
そういう心構えで話すべきだったんだと反省しました。
ボクは自分の立場で、自分の分かる言葉でしか、
話を組み立ててなかったんですね。
ボクはこの2ヶ月、自分の立場だけで、
自分の複数の顔について書いてみました。
ものを書く時の顔
話をする時の顔
さよならする時の顔
父親と呼ばれる時の顔
スポーツと関わる時の顔
採用活動する時の顔
人の世話をする時の顔

 

毎週、こういう自分の事ばっかり書く傍ら、
会った事のない、岡田陽恵さん、猪狩育枝さん、紫村啓さん、
イルボンさん、岩本悠さん、森ふきさんのコラムを読む度に
自分ももっと他のことについて書けば良かったなぁと
何度も思いました。
人の持ってる物が羨ましくなってしまうのは、
昔からの悪いクセです。
反省材料は沢山ありますが、
どこかに一緒にコラムを書いている人がいるって
とても不思議で、とても素敵な2ヶ月でした。
その羨ましくなるような文章を書いた人たちに
「いつか会った時の顔」ってどんなのだろうと想像しながら、
ボクの最後のコラムを終わります。
みなさん、ありがとう。
今日の言葉:
「砂漠が美しいのは
どこかに井戸をひとつ隠しているからだね」

星の王子様(サン・テグジュベリ)