前世のわたしからの死亡宣告

長期滞在者

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 先日、体調が悪くて横になっていたとき、何気なく、スマホでfacebookを開いてみた。普段頻繁にチェックしているわけでもないし、ましてや投稿することも滅多にない。少し邪かもしれないけれど、facebookは一方的に近況報告ができるし、細かな説明が省けるから、遠くブラジルに暮らす家族への近況報告に都合がいいのだった。特に、対話を避けたいわたしにとっては、ちょうどいい距離感を維持できる方法なのだ。
 だけど、この日は少しだけフィードの様子が違っていた。6年前のこの日、珍しくfacebook上になにかを書き残していたらしい。フィードのトップに過去の投稿が表示されていたのだった。どれどれ、と呑気な気持ちで投稿に目を通して、ぎょっとした。

「前世のわたしから、わたしは32で死ぬ、と言われた。」

 なんだこれ…って思いませんか。思いますよね。6年前のこの日、なにやらわたしは妙な夢をみて、前世の自分から、死の宣告を受けていたらしい。こんな縁起でもない夢を見ていた記憶もなければ、それを書き残していたことすら記憶になかった。でも、嫌だなぁ、なんだこれ、そんな気持ちが脳内でループした。
 奇しくも、わたしは今年32になり、数日前に難病の診断が下りたばかりだった。下手したら命に関わる病気だ。6年前のわたしが今の状態を知るよしもないし、ましてや、前世の自分がなんでそんなことわかるのっていう感じですよね。そもそも、前世とはなにかという点にも疑問が残るし、前世の自分はどんな姿だったのかとか、前世の自分に会わせてくれたのが現世の恩師とか、本当になにがなんだかっていうね。それに、なによりタイミングがタイミングだ。なんでこんな夢を見ていたんだろう、これはなにかの予兆なのだろうかと思わずにはいられなかった。偶然とはいえ、ぼんやりと全身に靄がかかるような不安がよぎった。あの真夜中にトイレにまでついてくる死神の姿を思い出して、背筋がヒヤッとしたのだった。

 このfacebookの投稿は、入院中の「守られている」ような感覚を引きずっていた自分の皮膚を、ぎゅっとつねるようなものだった。

 今回の入院は、それまでの暗く落ち込んでいた気持ちとは裏腹に、とても静かで淡々と過ぎた。変な言い方だけれど、入院中は穏やかなほどだった。主治医も落ち着いていたし、アシスタントの担当医も、看護師さんもみんな冷静だった。わたし自身も病院の勝手がよくわかっていたから、冷静でいられた。なにより、病院の中にいると守られているような感じ、俗世から隔離されたようなあの感じに、魂がすーっと静まっていくような感じがしたのだった。
 くだらないと一蹴されるかもしれないけれど、ゾロ目入院も縁起が良いと思った。10月1日から、前回と同じ病棟11階の1111号室に入院だったから。しかも今回も窓際、前回のベッドの向かい側だった。去年も同じ景色を、同じ部屋から見ていたのだ。違うのは、新宿高島屋の裏に新しいビルが建ちかけていること、大きなオレンジ色のクレーンが絶え間なく動いてることくらいだろうか。あと、一つ歳をとったことか。
 わたしは安全な場所にいる、死神はここまではやってこないだろう。やってきても、守られているから大丈夫、ってそんな根拠のない安心感がわたしを包んでいた。病院の中の静けさとは打って変わって、窓の向こうの喧騒を眺めていると、世界は絶え間なく動いているのだと実感させられた。わたしが安全な病院のなかで、穏やかに過ごしていても、時間はきちんと過ぎるし、世の中は動いていく。そういうことだ。

 去年入院したのは、脳から抗利尿ホルモンが分泌されなくなり、体の中に水分を保持できなくなる難病になったから。今回は、脳から副腎皮質刺激ホルモンが分泌されない別の難病になった。ホルモンの異常は他にもあるけれど、副腎皮質刺激ホルモンは場合によっては命に危険が及ぶから、はやめの処置が必要だった。幸い、前回とは違いホルモンの負荷試験はつらくなかったし、ルート確保もスムーズで、ベットが出血で汚れることもなかった。苦手なMRIもせずに済んだし、検査はすべて滞りなく進んだ。
 副腎皮質ホルモン、俗にいうステロイドについては結構よく耳にするし、副作用の多い薬のイメージがあった。だけど、本来は生命維持のために重要なホルモンなのだそうだ。そのホルモンが不足すると、いろんな体の不調がでてくる。体の機能が全体的に衰える、どんどん活力がなくなる。気力がなくなり、血圧も心拍も低下する。私が今年の初めごろから感じていた不調の多くはこのホルモンの不足と、慢性甲状腺炎の症状の組み合わせによるものだった、ということが、いくつもの検査からわかってきた。この数ヶ月間、体調が全然よくならないことに対する何千、何万ものWhyの答えが、あっけなく目の前に提示された。下垂体機能低下症と慢性甲状腺炎、明確な原因だ。本当にあっけなかった。
 今後の治療法は少しずつ見えてきたし、やるべきこともわかっている。今はコートリルという薬を毎日飲んで、副腎皮質刺激ホルモンの補充をしっかりと行う。そしたら、数ヶ月後には、甲状腺の方の治療も始められるだろう。(これ、逆の順番でホルモン補充を開始すると大変なことになるらしい。「禁忌」なんて普段なかなか耳にしないけれど、主治医はしきりにこの禁忌を強調していた。危険だから、すぐに甲状腺の治療ができないことを、きちんと理解しとけよってことなんだろう。それはつまり、甲状腺の状態が改善しないと、目立った体調の改善も見られないということの裏返しであることは、きちんとわかっているのだけれど。)主治医の言う通りに、ホルモンの補充療法を続けていけば、少しずつ良くなるはずなのだ、きっと。
 だけど、前世のわたしからのメッセージは、そんな自分の思いとは真逆のものだった。まだまだ、真夜中に現れる死神はわたしのすぐそばにいるのかもしれない。油断するなよ、という忠告。生きるということは、死と隣り合わせで、ふたつは切っても切り離せないものなのだということを、改めて思い知らされる。

 人生は、足し算と引き算で、差し引きゼロになるようになっていると先日どこかで読んだ。諸行無常ということだろうか、とぼんやり思っていたけれど、わたしは病気になったことで何を得て、何を失ったのだろうと最近よく考える。病気になったことで、死にはぐんと、ぐんと近くなった。いつ死んでもおかしくないとさえ思っている。だからこそ、無理をすること、自分を偽ることからはぐんと遠ざかった気がする。かと言って、まだこれまでの生き方の癖や、処世術から完全に解放されたわけじゃない。解放されることはないかもしれない。でも、きっとその辺もうまく水平が保てるバランスがあるのだろう、自分の意識の有無に関係なくね。人生はうまいことできているのだ。
 生きていると、ドラマのようなことが起きるものだ、とも思う。しかも、映画のように派手なわけではなくて、ごく淡々と、予想していないことが起きる。自分が難病になるなんて、想像してた?一切してなかった。しかも、複数の難病になるなんて、考えたことすらなかった。(今でも、そんなことが自分の身に起こり得るのかって、信じられない感じだ…)でもね、それが当たり前のことのように、現実世界で次々と起きてきたのだ。そんなことを言いだしたら、これまで経験してきたありとあらゆるおかしな経験だってドラマ以外のなにものでもない。だから、このままあっけなく死ぬことだって、ちっともおかしくないと思う。そんあことがあっても、何かの差し引きなのかもしれないと、今なら思えるだろう。

 夢の中の死亡宣告は、ポジティブ呑気に捉えるのであれば、夢にみた前世のわたし自身が、「あんたは32で人生が変わるんだよ」と、馬鹿丁寧に、わざわざ時空もなにもかもを超えて伝えに来てくれたのかな、と思えてくる。これまで無理ばかりしてきた「わたし」という存在の死の宣告は、言い換えれば「わたし」の生まれかわりの宣告でもある。(もちろん、物理的に死ななければの話だけれど…Nobody knows…)

 そういう変化の兆しは、わたしの日々の生活のなかで少しずつ見え隠れし始めている。パートナーも自己肯定感を高めるためのプロジェクトをこつこつやっていて、少しずつ考え方が良い方向に向かっているような気がしている。今ある時間を、あるがままに受け入れて、あるがままに楽しんで、自分たちの体の大きさ、心の大きさ、求めるものの大きさに合わせて生活のあちこちを整えている。
 正直、わたしもパートナーもお互いストレスが多い生き方をしてきた分、このさきはもう少し明るい時間が続くんじゃないかっていう気もしている。だからこそ、facebookに残された、前世の私からの死亡宣告は、これまでのわたしたち自身とのお別れの宣告なのだと思って、これからはストレスをできる限り減らしていけるように、そう願って、行動していこうと思っている。きっと何度も何度も、落ち込んでは浮上してを繰り返すとはわかっているのだけれど、そう思うほうがきっときっと健康的だから。これが新しい夜明けなのだとしたら、わたしたちの明日は明るい。