ベランダ

いとでんわ 第2期(2011年12月-2012年1月)

すずめが鳴いている。
すずめの数が減っていると、なにかのニュースで読んだことがあるけれど、しかし今まさに早朝、私の部屋の窓の外では、たしかにすずめが鳴いている。
それもけっこうな数がいる。
普段はその鳴き声で起きることができる。目覚ましがなる前に。
もう少し眠っていたいのに、と思うときもあるけれど、薄明かりからくっきりと明るくなっていく部屋のなかにいることは始まる感じがして悪くないと思う。

甥が先日、「すずめってとりだよね、すずめのとりにくはおいしいの?」と私に聞いてきたので、食べる前にまずどんな鳴き声でどんな形で、そしてまず生き物の命、というところから教えた。
5歳の甥は最近、作る過程や出来る過程にとても興味をしめすようになってきて、道順を教え理解し、自分のなかでさまざまなことの順番を組み立てる作業が楽しいようだ。
甥はなにをするにもゆっくりで、付き合ってひとつひとつ組み立てていると日も途方も暮れてしまいそうになるけれど、できるだけ付き合ってあげようと思っている。

団地の話をよくする。
私の勤める会社の近くには古めの団地が4棟あり、電線やアンテナが込み入っている感じや建物のおうど色、ベランダでたばこを吸うおじさん、その風景すべてが大好きで飽きない。
バランスがいい感じがするのだ。建物の並びも、色も、暮らしている人々とのあいさつや、その空気感。

車を止めて、毎朝そのアパートをじっと見渡して、深呼吸をして、会社に向かう。
人の暮らしがそこにあり、毎日ベランダの表情が違い、晴れた日の青空と建物のおうど色はとてもよく合っていて。

そのなかは、全く同じ暮らしなどあるわけもなく、ひとつひとつの家に違う人の違う暮らしがあるのだよ、と甥に教える。
オムライスを食べているかもしれないし、海苔ご飯を食べているかもしれないね、同じ建物でも扉を開けると違う世界があるよ。
同じ事はあんまりなくて、君の好きなものは、あの子の嫌いな物かもしれない。
そのことを、始めから拒むことをしてはいけないと思うよ。

違うということを、当たり前のこととして許容して考えられるようになって欲しいなと思う。

ところで、その団地の1階の庭にはいつもきれいに花が咲いていて、真冬以外は季節それぞれに違う花が咲いている。
初夏にはもう狂ったようにバラが咲き乱れるし、秋にはコスモスが横並びに。その近くにはつばき。

育てているおばさんたちはちょっと天然で、ある日花に目線を向けながら「いつもきれいですね」と声をかけたら「化粧もなんにもしていないんだけれどねえ!」と喜んだりして、おもしろい。
まあなんでもいいや、喜んでいるし、と思っておばさん本体を褒めちぎり、満足してもらった日。

見なれた景色も、聞きなれた鳴き声も、時間や季節によって見え方も聞こえ方も違う。
それを見逃したくなくて、ついついじっと見つめてしまう。

そういえば甥に小さい頃から教え込んでいることがもうひとつあった。
私が社会人になっていちばん初めに覚えたことを5歳児に。

「こっちゃん、乾杯したら?」

「のまなきゃいけない。」

こうして書いてみると、ばかみたいなことばかり教え込んでいるような気がしてきた。