Through The Fire 〜真実と誠実さ

第15期(2014年6月-7月)

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Fair weather friends 〜直訳通りのお天気の良い時だけ都合良く遊びにくる友人家族がシドニーにカナダから遊びに来ていた。本当の友人はお天気の良い時も人生の嵐の最中、曇った日が続いてにっちもさっちも行かなくなった様な時も変わらずに側にいてくれるものだけれども、どの人がFair weather friendかと言う事 は自分を取り巻く環境が嵐に巻き込まれてみないとなかなか判別できない。逃げ足の早いその人達は気圧の変化を読み取るのもとても早い。

彼の友人夫妻は大学時代からの知り合いだった。彼の当時のガールフレンドだった彼女が次第に高圧的になって彼にもっとシリアスな付き合いを迫った時に、逃げ出したくなった彼がルームメートの友人にその彼女を押し付けて結局その気の弱い友人が押しの相当に強い彼女につかまって結婚し、男の子一人を二人の間にもうけていた。友人男性は病的に日焼けを怖れていて紫外線で悪名高いオーストラリアに初訪問、ということもあり一時間ごとに日焼け止めを耳の裏にまで神経質に塗る肌の真っ白な華奢な気の弱そうな男性だった。奥さんはその夫の華奢な体躯の真逆をいく豊満で常に周囲のものに指示をだして自分のコントロール下におく、といった資質をもつ女性で次から次へと指示を出していた。そういった夫婦間の狭間、その一人っ子の男の子は母親の過保護のため何をするにも母親に許可を得ないと何も出来ない様な傷つきやすい子に見えた。

オーストラリアが初訪問だ、という彼らのためにぼく達はブッシュウオーキングに連れて行ったりオーストラリアのバーベキューレストランに連れて行ったりしているうちにあっという間に彼らのシドニー滞在の最終日になった。ぼく達の近所にはバルモアビーチというお気に入りの海水浴場があった。観光客よりも地元の人達が家族連れで楽しむ、そういった落ち着く感じの渚で子供達が、そしてカップル達が水と戯れているのを良く二人で眺めたりした。その日、ゆっくりと皆で眺めの良い景色を求めて自然と岬の先までたどり着き、彼とその友人が二人崖を下まで降りて行って波打ち際のかなり粗い表面がむき出しになった岩の上からぼく達に向かって手を振っている。友人夫妻の男の子はその崖の高さに足がすくんで怖がってこちらまで来れないでいた。

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ぼくはその時、芝の上に座って彼らが崖の下から戻ってヒョコっと岩の間から顔を出すのをぼんやりと待っていた。遠くの水平線の向こう側まで見える様な限りなく澄んだ青い空気と海の上を旅して来た海風が目に、肌の上に心地よく、太陽の光穏やかな午後のひと時だった。

彼の声が下の方から聞こえて来て、彼の友人が最初に姿を現して、そして彼が次に登ってくるのが分かった。ぼくは腰を半分上げて、片手は体重を支えるために後ろについていたけど体と顔は彼が現れるのを待ち構えて正面を向いていた。
彼の頭が見えて来て彼が体を起こして頭を上げてあともう一歩、という瞬間、彼は盲点になっていた岩の先に額をぶつけて一歩後ろへよろけた。

そこから先はまるで一瞬の永久、の様に感じられた。

急な崖を後ろ向きに、器械体操の後転をするかのように規則正しいリズムで後ろに転げ落ちていく彼。彼が一回転して前を向く度にぼくと視線が、目が絡み合う。ぼくは彼の一瞬の視線を捕まえて、彼も必死になってぼくの視線にすがりつく。まるでぼくに懇願するかのように。何度も何度も、何度も彼が後ろに転げ落ち、彼の目とぼくの目が会話をする。音の全くない時間、世界だった。

いきなり音が戻り、周囲が高速モードで動き出す。

海の表面は彼の血で真っ赤に染まっていた。

彼が一番下の岩に腰をついて放心状態で座っている。その上を波が何度も何度も寄せては返して行く。

ぼくは急いで崖を駆け下りた。彼は自分で崖を登る、といってきかない。まるで今さっき起った事は現実ではない、と自分に信じ込ませたいが如くに普通に崖を登ろうとする。体内を駆け巡る大量のアドレナリンが彼を痛みから守って何も感じさせない様にしているのが分かった。周囲には人だかりがして、ぼくはこれが現実なのか何なのか分からない感じがした。支えられる事を拒絶して、自分で歩く、と必死になる彼の姿。上着は色々な方向に引き裂かれて原型をとどめていない。そして笹の葉のアロハシャツは真っ赤な血で染まっている。数分後、救急車がやって来て降りて来た看護師が彼のボロボロになったシャツをはさみで切って服を脱がそうとするが、彼は「これはぼくの一番のお気に入りのシャツなんだ、切ってはダメだ。」と頑に拒否をしている。結局そのシャツをはさみで切られてしまって着る事が出来ないのだけれども実は今でもそのシャツは大切にとってあったりする。救急車まで運ばれて行く最中も一人で歩ける、とまだ言い続けていた。

友人夫妻の子供は恐怖のあまり半狂乱になっていた。ぼくは彼らにこのまま家に帰ってもらう事にして車の鍵を渡して、緊急病院までの道のりを救急車の中彼の横に付き添った。彼の顔色はまるっきり血の気を失って蒼味を帯びていた。そして左手の人差し指は不自然に逆方向を向いて完全に骨折しているのが分かった。救急車の中できくサイレンの音。忙しく働く看護師の方。そして忙しく交わされる無線の交信音。この友人夫妻とはそれ以来、全くの音信不通で今、どこで何をしているかの連絡さへもない。不思議な人達。その時の情景があまりに強烈過ぎてトラウマになってしまってぼく達の事を思い出したくないのかもしれない。

病院についたのは多分、午後二時頃だったと思う。彼の意識ははっきりしていてぼくとの会話の内容もしっかりしたものだった。すぐ検査室に運ばれて数時間がたった。ぼくは病院の待合室で放心状態だった。忙しく人の行き来する病院の廊下に彼の簡易ベットが戻って来て簡単な会話をする。そしてその晩の10時ころになって複雑骨折した彼の指の手術を行うために緊急手術の準備が始まった。彼は傍らにいた看護師に、ぼくが彼のパートナーで全ての連絡はぼくにするように、という指示を残して手を降って手術室の中へ入って行った。

その時までには既に病院で10時間以上を過ごしていた。

何故だろう。ぼくは暗い夜道、家路までをタクシーに乗らずにひたすら歩いた。一時間近い道のりだった。もう疲れはててクタクタだったけど体を動かして外の動く空気を全身に感じないと窒息してしまいそうな気がした。家に近づくにつれて野性のポッサムが木の上を歩く気配や夜の空気を微かに満たすTea Tree の香りが五感を刺激して少し慰められる。一人真っ暗な部屋の鍵をあけて椅子に腰を降ろすともう立つ気力も体力も残っていない自分に気付く。

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頼る人が誰もいない。話す人が誰もいない。

やっとの思いで自分の疲れた体をシャワーの下に運んでしばらく動けずにいる。

下の階に住む女性とは何度か話しをした事があった。彼女はその後、ぼくにとっての唯一無二の友人、ソウルメイトの一人となる人なのだけどこの時はまださほど親しくはなかった。電話をするにももう時間は明け方の2時近くになっていてベットに潜り込んだぼくは寝返るをうつ間もなく深い眠りに落ちるしか他なかった。

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翌朝、病院までの長い距離を歩く。途中、小学校やカフェ、本屋、車の販売代理店、と景色が動いて至る所に日々変わらぬ日常が感じられて少しほっとする。

主治医からの説明によると、脱臼と複雑骨折をした指は昨夜、無事に手術で元の位置に戻して回復を待つのみ、ということだった。そして背骨の方は、岩に打った時の局部への衝撃の強さのあまり、脊椎の一部が完全に飛び散ってしまいその回復のためには骨盤の骨を背骨に移植する必要がある、と言う事だった。ぼくは彼の下半身不随の可能性も覚悟した。

緊急病棟という事もあって部屋は6人部屋、というかなりがやがやとした賑やかな雰囲気だった。一人はブルーカラーのちょっとラフな男性、もう一人はインド人のお歳を召した女性でいつもいつもたくさんの家族が代わる代わるお見舞いに来て皆で一日を一緒に過ごしていた、またもう一人は髪を赤と紫に染めた二十代のパンク好きの女性、という感じに様々な背景の異なる患者達が一つの部屋により集められていた。

その日から朝の10時に病室に来て夕方の7時ころ彼の夕食時間が終わる頃に歩いて家に帰る、というぼくの日課が始まった。

彼が会社の担当者に、ぼくが彼への面会権を持って何かあったときはぼくが彼に変わって意思決定を行う、という事を伝えていた。彼は体全身を固定されていてまったく動く事の出来ない状態だった。その晩、彼のお母さんから電話がかかって来た。前の年の感謝祭以来、ぼく達はとても近い関係になっていて彼女は時折、ぼく達に電話をくれるようになっていた。

ぼくは彼の様子が安定して細かい事がもう少し良く分かるまで余計な心配をかけたくない、と思ってその時は彼の事故の事は話さないでいた。

数日後、彼のお母さんに彼の事故の様子と悪いニュースは極力抑えた今後の経過について話すと、彼女は即座に飛行機の切符を手配してはるばる24時間以上をかけてシドニーに彼のためにやって来た。飛行場まで迎えに行くと、彼女は小さいバック一つをもって颯爽とした様子で現れた。強い女性だと思った。口紅をうっすらとさしただけの化粧っ気のない顔だけれども、目には理智をたたえ背筋はまっすぐ伸び、育ちの良さと品格を感じさせる人だ。

家について事の経緯を話し、彼女はシャワーを浴びてすぐに彼女の息子のいる病院に向かう、という。彼女はぼくと一緒に歩きたい、と言った。体を動かしていた方が余計な事を考えずに思い煩わされないから一石二鳥だとウインクする。病室に入る直前、彼女が緊張して体が、表情が一瞬こわばるのが見て取れた。
その時彼は眠っていて、彼女は彼の横に置いてあった椅子に座って深呼吸をした後彼の手の上に自分の手をそっと置いた。

彼女の目には涙がたまっていた。そっと目を開けた彼の驚いた顔と安堵感いっぱいになったその後に続く笑顔。すべての子供にとって母親というものは年齢に関わらずにいつでも「お母さん」なのだ、と思った。

その日から毎日、ぼく達はほとんど行動を伴にし、日常生活の中で様々な話しをしてぼくは彼女を、そして彼女は素のぼくの事を深く知った様に思う。彼女は彼の子供時代の話しをたくさんしてくれた。中には彼の家族には話した事もない様な内容の話しまでぼくにしてくれて彼を驚かせた。彼女の母親としての後悔、彼の亡くなったお父様の話し、彼女のお母様の話しや、料理のレシピの伝授などもしてくれた。この密度濃い時間がなかったら、ぼくは彼女の事をこれほど理解出来る様になる機会はなかったかもしれない。彼女もぼくの事を知る絶好の機会になったと思う。ぼくのシドニー時代の忘れられない思い出の一つだ。

彼のお母さんの存在によって彼の事故後激変した環境の中に次第に安定感が戻りつつあったある日、彼女と二人、いつもの様に歩いて病院まで行って彼の病室を訪れると考え込んだ様な様子で彼がベットの上に横たわっていた。ぼく達の顔を見るや否や、驚くべき報告が口をついて出る。「今さっき、彼女から電話があって今、シドニーの空港にもう来ていてこれからここへ来ると言っている。」最初、彼女は彼の状況を知らない振りをしていたらしいけれども、何かのルートで彼の事故の情報を既に知っていて、看護師である彼女がここぞとばかりにこのタイミングでシドニーにやって来たのだ。シドニーに発つ前のアメリカからではなく、有無を言わせずシドニーについてしまってから一方的に電話をしてくるのが彼女らしいのかもしれない。

6人部屋のこの狭い病室に数時間後、彼女がやってくる。
そう知った途端、彼の母親が、「これが親鸞のいう炎の道を歩く、という事なのね。」と呟いた。彼のお母さんは唇を横にきりっと結び、目は一点をじっと見つめている。ぼくは予期せぬ展開に胸の心臓の位置がはっきりと感じられるほどに鼓動が早まっていたけれども、「負けない」という闘志がわき上がってくるのを感じていた。彼を真ん中にしてぼくと彼のお母さんがベットの両横に座る。誰も逃げ出す事の許されない時間と空間。今から五分後かもしれないし数時間後かもしれない。ぼく達は無言でその時を待った。

突然に病室のドアが勢い良く開かれて真っ赤な口紅を引いた彼女がお化粧から髪型まで全く隙のない出で立ちで、シャネルの大きなかばんを肩に持って「ハロー」と言って入って来る。舞台脇で入念に、周到に準備された動作とセリフをそつなくこなして、ぼく達を先手で圧倒するための勢いがあった。舞台に役者がすべて一同に出そろった瞬間でもあった。六人部屋の全ての人々の目が彼女一点に注がれる。

すぐに今までぼくの座っていた彼のベットの横に置かれた椅子に当然の様に彼の奥さんが脚を組んで座った。ぼくの闘志の芯に炎が着火した瞬間でもあった。ぼくがシドニーで彼と一緒に住んでいる事を知っていて、なんの連絡もなくこちらに準備の隙を与えぬうち、間、髪を容れないタイミングで奇襲作戦をかけて心理的にぼく達の上に立とうとしているのがすごく不快に感じられた。そして全身から発せられる「私がはるばるアメリカから来てみんな感謝しているに違いない」という彼女のあからさまに見て取れる自負が癪に障った。これはぼくに対して果し状を叩き付けに来たのだ、と思った。

ぼくは滅多に他人に対して礼を逸した態度は取らない人間だ。でもこの時だけは違った。ぼくは一歩たりとも後ろには引かなかった。ぼくは空いている椅子を彼女の目の前に持って行きそこに座り彼女を睨みつけ、一時として目を彼女から反らさなかった。彼女はぼく達の出花をくじこうと思っていたのだろうけれども、ぼくはそんじょそこらの世間体を気にする弱々しい人間ではなくなっていた。ここはぼくのテリトリーだ。

周囲の人達はこのスペクタクルな文字通りの修羅場に全身を傾けて注視していていた。カーテン越しであってもいつもの賑やかな六人部屋がこの時ばかりは異様な静けさに包まれていた。ぼくははっきりと彼女に「You are not wlecome. あなたは今、招かれざる客だ。」と宣言した。多分彼女はここに来る前まではぼくを完全に過小評価していたのだろう。簡単に手なずけられる、か弱いゲイの気骨なし、とでも思っていたのだと思う。でもぼくはその時までには闘牛の様な相手の剣にも簡単には屈しない、そして野性の荒馬の様にカウボーイ相手に簡単に手なずけられたりはしない闘志と肝玉でフルチャージされた、後には一歩も引く事のない強者になっていた。ぼくにはこれ以上、失うものはないところまで来ていたから彼を守るためならば身を投げ打って散り去る事になにもその事への躊躇はなかった。その時のぼくは鬼の形相であったに違いないと思う。

やがてその場にいたたまれなくなって部屋を出て行った彼女に付き添う彼のお母さん。その日、深夜遅くに家へ戻って来た彼のお母さんは疲れのためにソファーに身を沈めると一言も言葉を発する事も出来ずにいた。「あんな意地悪な人間に彼を任せる事なんて出来ない。」と散々ぼくの悪口を言う彼女を受け止めて「彼は本当はいい人なのよ。」と宥めようとしたらしい。そして夕食を二人で取った後、彼女はいくらかアルコールを取っていたことからレストランから帰る途中に車をガードレールにぶつけちょっとした警察沙汰となって、彼のお母さんは疲労困憊してしまったらしい。翌朝に彼の病室でぼく達に話してくれた。

そして彼はというと、ぼくが彼女を睨みつけている最中、彼が今まで見た事も無いような困惑と不快さが入り交じった彼女の表情を見て、「彼女をこんな表情に出来る人間がこの世にいたなんて。もしかしたら彼(ぼくのこと)ならばぼくを本当に彼女から救い出してくれるかもしれない。」と思ったそうだ。今まで誰一人として彼女に立ち向かえる人間、彼女よりも強い人間に出会ったことがなかったという。そしてそんな人などいないだろう、と彼は一人で信じ込んでいたようだった。

もしあの6人部屋での彼女とのスペクタクルショーがなかったら、彼はぼくを信じてついてくる事はなかったかもしれない。

彼の骨折した脊椎の手術を行う前日の夜、ぼく達は消灯時間まで彼の元にいて、それから彼のお母さんとぼくの二人は病室を後にして帰り道の途中にあるインド料理のレストランで遅めの食事を取りながら様々な事について話し合った。彼の亡くなったお父さんの事、彼が子供時代に自分から寄宿舎を探して家を出て行った朝の事など、ぼくの知らない母親の目から見た彼の事について色々と教えてくれた。ちょっとほろ酔い加減で家につき、二人でいよいよ翌朝に迫った彼の手術の無事を祈り、眠りについた。

翌朝は少し早めに家を出ていつもの通り、二人で既に歩き慣れた病院までの道のりを来るべき彼の手術への心構えを固めるために言葉少なにただひたすら歩いた。

彼のいる病室のドアを開ける。血の気を失って暗闇で蛍光灯に照らされた様になった彼の顔色がぼく達をぎょっとさせた。彼のお母さんもぼくも、何かがあったに違いないことを直感した。彼がぼく達の表情に気付いて力ない消耗し切った声で事の始終を囁く様に話しだす。

昨晩、ぼく達が帰って暫く経った深夜過ぎ、彼の元に彼の奥さんがやって来た。「私はあなたと別れない。あなたは私といて私を養う義務がある」と一晩中身動きのできない彼の枕元に立って説教を繰り返し彼を一睡もさせなかったらしい。翌朝、骨の移植手術を控えている患者をどうやって一睡もさせずにおられるのだろうか。彼女は明け方5時頃になって、その日帰ることになっていた飛行機の便のビジネスクラスへのアップグレードを彼に頼み、彼はそんな事まで手配しなければならなかったらしい。彼のお母さんは怒りに震えていた。その時までは、彼のお母さんは看護師の彼女は彼の看護のために誠心誠意真心をこめてシドニーにやって来たに違いない、と思っていた。でも、その彼女が手術前日の大事な息子を一睡もさせずに拷問の様な目に一晩中あわせて、離婚をさせないことに全精力を注いだ彼女の行動を直に見聞きして、彼のお母さんはその時初めて、「自分の息子を救うためには、本当に息子を彼女と別れさせなければいけない。」と悟ったという。その場で彼女は、「あなたは絶対別れなければいけない。」と確固とした調子で彼に言った。

彼の手術は7時間にも渡る長いものだった。彼のお母さんとぼくは廊下の椅子に座ってずっと手術室のランプが消えるのを待っていた。

病室に戻って来た彼には数えきれないほどの無数のチューブの管が全身にささっていて、絶えず赤い血に染まった体液を抜き取っていた。そして背骨を手術した彼は背中に負担を与えない様にうつぶせに宙に紐で吊られていて、ぼく達は最悪を無言のうちに覚悟した。彼は本当によく頑張って手術に耐えたと思う。医者の彼が患者になるのは容易な事ではなかったに違いない。退院までの数週間があっという間に過ぎ、彼は上半身をギブスで固められていよいよ退院の日を迎えた。

それまで彼のお母さんは彼の看病のため毎日連日病院に通い詰めで、実は一日も自分のために時間を取った事がなかった。彼の退院日の前日、ぼくと彼のお母さんは一日時間をとって、シドニーを観光することにした。ぼくはなけなしの観光知識で彼女を精一杯、植物園や中華街、シドニーのコンサートホールや街中を案内した。本当に自分を無にして彼の看病を助けてくれた彼女にぼくは恩返しを少しでもできれば、と思った。その日々を彼女とぼくは絶対に忘れない。何か戦友の様な同じ目的のために戦った者だけが共有できる何かがぼく達の間には通い合っている。

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彼が退院した後、リハビリのために必要になる歩行ステッキをスキー屋さんで買って彼女が彼にプレゼントした。

家に数ヶ月振りに戻って来た彼は感慨無量の様子だった。そこへ早速家主夫妻がやってきて、退院したてで体力を消耗し切った彼の様子を察する事のないその家主夫婦に彼のお母さんがやんわりと帰る様に告げるのが心地よい。彼のお母さんはその翌日、アメリカへ戻って行った。言葉で表せないほどの感謝の気持ちでいっぱいだった。長い様で短かった彼と彼のお母さんとの3人でのシドニーの生活だった。そして各々にとっても貴重な時間だった。

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彼が退院して家に戻って来てから数日がたったある朝、ぼくが早朝に台所に向かうとバルコニーに一匹の虹色インコが来ていた。実はこのインコが我が家のバルコニーに来たのは初めてのことだった。驚きと嬉しさですぐにまだ眠っている彼を起こしてインコが来ている事を教える。そっと二人でベランダに向かうとそこにはもう一匹加わっていて、つがいのインコが来ていた。ぼくは以前、虹色インコは甘い物が好きだ、という記事を読んでいたのを思い出し、台所へもどって手の平にジャムをつけてそっと鮮やかなクチバシの先に差し出してみる。ゆっくりと顔を手の平に近づけてそっとジャムを上目遣いで舐めだす二羽のインコ達。実は驚いていたのはこのぼく本人だったのだけれども、彼は彼が入院中にぼくがインコ達を手なずけていて今日の日のために前々から訓練していたに違いない、と思っていたそうだ。この虹色インコ達は偶然にも彼の退院を遠くから眺めて知っていてお祝いするかの様にやってきたのだ。ぼくは、これは神様からのプレゼントだと思った。ありがとう、と空にむかって思った。彼を無事に退院させてくれてありがとう。この小鳥達を今日の日にぼく達の元へ送り届けてくれてありがとう、と思った。

その日からインコ達は次第にその数を増やしながら毎日やって来て、ぼくがシドニーを去る日の最後の朝までぼくを見送りに来てくれた。
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彼はそれから暫くリハビリに通い大分普通の速度で歩行器なしでも歩ける様になるところまで回復していた。一時は下半身不随になるか、と言う所までの見通しの暗さだったけれども、彼の回復ぶりは担当の医者達を驚かせていた。そしてリハビリと定期的な検査も、病院から近所のクリニックへ、と移っていた。そのクリニックのある小さなモール内にある花屋には近所の人達が持ち寄ったアンテイークの品々も置かれていて花と一緒に売られていた。彼が診察を受けているのを待っている間、ぼくは少しの間、時間つぶしのため狭いモール内を歩いていると、その花屋の窓の近くに七色の風船が空へ向かって飛び立つ様な素敵な紅茶カップが置かれていた。

IMG_2942それはまるで虹色インコ達が彼の退院を祝っているかの様な暖かな色調のカップで、導かれる様にして花屋に入って行きお店の主に訪ねてみる。そのカップは「Honesty 〜真実と誠実さ」という名前の紅茶カップだった。紅茶のカップにその様な名前がつけられているなんてとても珍しいと思った。ぼく達はここまでの長い道のりを無事に二人で歩いて今日まで来る事の出来た記念の品としてこのカップを求めた。

ぼく達の人生はここから、まるで彼の崖から落ちる事故が清水の舞台から飛び降りるかの様に働いて、一気に二人の人生の歯車が動き出した。〜