「人魚が星見た」第八話・三浦海岸/三崎口(前編)

第21期(2015年6月-7月)

▼三浦海岸/三崎口(前編)

朝になるまでに、人魚の体はみっしり固くなってしまった。荒い呼吸はおさまったが、ほとんど動かなくなった。うろこにつやがなくなり、体も顔もにぶい色にくすんだ。私がにぎっていた小さな手も、乾いて冷たくなった。人魚が静かになって、半日ほど経った。私はすっかり元気をなくしていた。この子も、Nの人魚と同じ運命になるのか、と観念しかかった。

ふと人魚の乾いた背中に、ひびが入っているのに気がついた。内側に、生きもののみずみずしい皮ふが見える。なまなましさに一瞬ひるんだが、見ていると、裂け目がだんだんひろがり、みりみりと皮がひとつづきにはがれてゆく。どうやら人魚は、硬くなった皮ふを、ゆっくり脱いでいるようなのだ。こんな人魚を見るのは、はじめてだった。

数時間かかって皮を脱ぎおえた人魚の体は、白みがかってやわらかそうで、さわることがためらわれた。じっとして、体をやすめている。見ると、体が少し大きくなったような気がする。人相も変わっている。ながめていたところ、理由がわかった。ぎょろぎょろしていただけの目に、ちゃんとまつげが生えている。

しばらくすると、人魚はシュガーポットを見て、何やらわめいた。角砂糖を手渡すと、ものすごい勢いで食べ、またわめく。続けて2個、3個。砂糖ばかり食べさせるのもどうだろう、という妙な常識が首をもたげ、冷蔵庫からにんじんを出し、スティックのかたちに切って渡した。気が進まないのか、しばらくにおいをかいでいたものの、かじりつくとこれもあっというまに食べた。いつもどおり元気で、時に手におえない、私の人魚に戻った。

変わったところがもうひとつあった。ふしぎな言葉をしゃべりはじめたのである。私の顔を見て、みゅうみゅうと声を上げる。抑揚があり、感情があった。猫や子犬がひとの言葉を話したらこのようではないか、というような、胸の奥の慕わしさやいとおしさを呼びおこす声だった。人魚は私がたらいに近づくたび、しゃべる。いつも外に出たがってしっぽを振りまわし、たらいから水をこぼすので、人魚の体がじゅうぶんに回復したころ、いっしょにまた海へゆくことにした。

体が大きくなったせいで、人魚はこれまでの水筒には入らなくなっていた。台所をあさり、深めのタッパーウェアを探し出した。塩水をつくり、人魚を入れるとぴったりだった。タッパーをタオルでくるんでかばんの底にいれ、いくつも駅を通過した。

このまま、南の果てに行っても見つからなかったらどうしよう。こわい。だけど、見つかることはない、というさめた予感もある。ふたつの思いを行きつ戻りつして、覚悟の決まらないうちに、とうとう終点まで来てしまった。

駅前はバスのロータリーだった。ベンチにすわってしばらく、つぎつぎに出発してゆくバスを見ていた。もう誰も何も現れてほしくない、と思いながらも今日も何かが現れるのを待っていた。バスはいやだ。また、取りこまれてしまうから。その一方で、もっと身をまかせたくもある。考えているうちに、行き先に三崎港の名を見つけたので、そのバスに決めた。

いなずま模様のシャツを着たイノシシが、携帯電話を肩口にはさんだまま乗ってきた。のしのし大またで歩いてきて、どかんとすわる。前の座席にいる女子学生が、迷惑そうに眉をよせるのが見えた。イノシシは、電話をやめなかった。
「漁師殺すのに刃物はいらねえのよ」
ぶっそうな物言いに、つい耳をそばだててしまう。
「雨が続いてさ、サメもいて、何だかんだひと月つぶれちゃって。だめだめ、泥が舞って息続かなくてさあ、潜れないよ。流れが強くて進めないの」
黄色い牙ののぞく唇の端からぶざまな音を漏らしながら、イノシシの漁師はバスに乗っているあいだじゅう喋りどおしだった。
「明日潜れたら、おかず持ってくよ。取れたら、生けとくからさ。さざえ、うめえから。な」
バスはいつも、この世のものではないものを吸いあげて、どこか遠くまで運んでゆく。私もそうして、運ばれる。イノシシのだみ声を聴いているうちに、バスは港に到着した。女子学生は嫌気がさしたのか、とっくにバスを降りていた。ゆうゆうと下車するイノシシについて、私も降りた。イノシシが消えていった方の路地をついていったが、すぐ見失ってしまった。

かわりに、ドーナツ屋をみつけた。この看板には、見覚えがある。新逗子で、Nと入った店だ。とんびにドーナツを奪われた。初夏だった。

白砂糖のついたのがいい、ふつうの。耳元でNの声がしたとたん、かばんの中でタッパーが震えるのを感じた。人魚が、中からたたいているらしかった。元気なのはうれしいけれど、暴れるのはこまる。平静をよそおってすばやくドーナツを選び、会計をすませて店を出た。港まで戻って、バス停のあずまやのベンチに腰かけ、包みをひらいた。人魚をタッパーから出して、白い粉砂糖のかかったドーナツをちぎって与えると、むさぼるようにたべた。脱皮をして、おなかがすいているのだろう。頭をなでてやると、目を閉じるので新しく生えたまつげがよく見える。かわいい。声に出して言うと、人魚は意味がわかったと見え、目をあけて歯をむき出して、何か言った。腹がくちくなった人魚は、タッパーの底でまるくなって眠りはじめた。ときどき、ぷくりと泡が浮く。人魚が生きていることを感じて、しあわせだった。

バス停の古い地図を見ると、この先もまだまだ道は続いており、さらに南にある小さな島にわたる路線もありそうだった。行き先に迷いながらベンチでうとうとしかかったところに、バスがやってきた。三浦海岸ゆき、とある。車の気配で人魚が目をさまし、ごとり、と動いた。海岸。その言葉は、こわくも魅力的でもあった。海岸で会う。もう燃やしてしまった、Nの言葉を思い出す。夕暮れが近かった。行く? これに乗って行く? ひざに抱えた人魚が、わけのわからない言葉で訊ねてくるのを、私はまどろみの中で聴いていた。

三浦海岸