倉庫とパッケージ。

第21期(2015年6月-7月)

倉庫とパッケージ。

フィレンツェはあの日、雨だった。
物語。

忘れないように努めていることは、
やがては忘れてしまう事であり、
思い出さないようにしていることは、
何かの拍子に必ず思い出してしまう事である。

この二つの事柄は、
或いは別々の倉庫に同じ名前で保管されているか、
同じ倉庫に別々のパッケージで保管されている。
つまり、
記憶というものは僕たちの意思や考え方だけでは完全には管理できないもので、その類似性が記憶の引き出しの取っ手のような形をして時折、僕の人生にその重要そうな「何か」を問いかけて来るのだ。

フィレンツェは、その日雨だった。
チェントロの石畳に雨粒が間断なく打ちつけられ、まだ浅い春の温もりは怯えたように建物の陰に身を隠し、灰色の空は冬との別れを惜しんでいた。
僕は傘もささず(僕は傘というものをさしたことがほとんどない)、ピアッツァ・レプブリカを一周して観光客とフィレンツェの住民たちを横目に冬と春との境目を探していた。
シスレイのショーウィンドウに飾られた春物のシャツが鮮やかな色を街に投げかけていたが足を止めて見るものはいなかった。春は気まぐれなワルツをこの小さなルネサンスの街で踊っているのだ。

記憶の中のフィレンツェは、いつも雨だ。

でも、実際はそうじゃない。
フィレンツェの記憶の入口がいつもこの雨の日だというだけで、実際はほとんどの日が晴れていた。
フューメ・アルノに沿った公園の電話ボックスで泣いたあの夕暮れも、コパ・イタリアに優勝して狂ったように街を練り歩いたあの夜も、パスクワの喧騒も必ずと言っていい程、晴れていた。

それでも僕の記憶の中でフィレンツェは必ず雨なのだ。

もう、20年になる。
フィレンツェで暮らしていたあの頃。
幸せだった?
いや、退屈で退屈で仕方なかった。
でも、プランツォの度に、午後の昼寝の度に、退屈で良いのだと思っていた。
いずれ、休みなんか1日もないほど働く日々がやって来るのだ。その時、この退屈で退屈で仕方ない日々を思い出し、それを糧に頑張るのだと決心した。

その決心から20年。

僕は今年、38歳になる。あの18歳の決心からちょうど20年。
ちょうどいい。
この20年に起きた僕の人生の様様な節目について書こう。
だから、これは自己紹介であり、フィロソフィーの確立と提示であり、言い訳であり、賞賛には程遠い悲哀である。
そういう機会はなかなかにあるものではないのだ。

フィレンツェはあの日、雨だった。
思い出深い、忘れがたい、浅い春の日を凍えて過ごすような、春の雨だった。
ここから、記憶を辿る。
ここがスタートであり、原点であり、僕の記憶の帰るべき場所であり、大切にパッケージされたひとつ目だ。

嘘を書くつもりはないが、全てが真実ではないと考えて欲しい。

真実は時に、下手な嘘より嘘臭いからだ。

この倉庫に眠っている、パッケージされた大小様々な大きさの箱は、僕の記憶とその物語である。
忘れないように努めてきた事も、思い出さないようにしてきた事も、今はこの「節目」のために一度は紐解こう。

この偶然の機会に感謝を込めて。