あの言葉の続き:光とはまだ知らないこと

第25期(2016年2月-3月)

旅先の窓の外に海が見える部屋で、ホゼの言葉を思い出していた。
「光はまだ知らないこと」 ああ、あなたの言った通りだ。と私は思う。

ホゼに会いに行った5年前、私は彼に「あなたにとっての光と影って何?」と聞いた。

怪訝な顔をした彼に、慌てて「陽射しがあなたの顔に素敵な陰影をつけていて、だから聞いてみたくなったの」と言い訳をしたのだけれど、あのとき私は切実に人の中にある光と影を知りたいと思っていた。

あの頃の私にとって、光は人からスポットライトをあてられても恥ずかしくない“説明がつく自分”のこと、影は人に知られたくない部分のことだった。そして光は暫くの間消えてしまっていた。30歳がもうすぐそこに迫っているというのに。

思えば20代の前半で「社会人」になってから、私は自分のそれまでの人生を周りに理解してもらうことに随分エネルギーを注いでいたように思う。留学をした理由、最初の会社に入った理由、次の仕事に移った理由……ストーリーを組み立てるときは理由と行動が綺麗に繋がるように気を配った。それを聞いた人が頷いたり面白がったりしてくれるとほっとした。そして、その編集の課程で削り落とした後悔や挫折が影として心の中に残った。

自分の過去のストーリーをどれだけ磨いても、これからどこに進んでいいのが分からない状況にぶつかったのは20代の後半にさしかかった頃だった。人に聞かれればそれなりに格好良い(と、当時思っていた)答えを用意して強がったけれど、それに自分自身が納得していなかった。磨かれた筈の物語は力を失い、先が見えないことに困惑して、どこにも踏み出せないと焦っている自分の姿が影になっていった。

誰しもが心の中に光と影、見せられるものと、見せられないものを持っているはず。どうかそれを教えてほしい。選び抜かれたストーリーの奥にあるその人の影を、不安な気持ちを教えてほしい。それくらい私に心を開いてくれる相手と会話がしたい。そして私も同じように影を持っていていいのだと思いたい。

そう思ってかつての仲間を訪ねるために旅に出て、最初に会ったのがホゼだった。

ホゼは暫くじっと考えて、ひとこと
「光はまだ知らないこと、影は既に知ってしまったこと」と言った。
それからもうひとこと付け足した。
「僕は未知に惹かれるんだ。既に知っていることは危険だ。それは人を安心させるけれど、人が動くことを辞めてしまう場所でもある」。

彼が光と影という言葉から想起したものは、誰かから見られることとは関係なく、あくまで自分が見たこと、見たことのないものだった。

それから数日、私はホゼの部屋に泊まった。彼はぽつぽつと自分の話をしてくれた。想像のつく毎日の繰り返しにある日ふと終止符を打とうと思ったこと、仕事を辞めて当時付き合っていた女性のところに飛んだこと、それが上手くいかなくてこの町に辿り着いたこと、そして今、見たこともない建築を作れるようになりたくて勉強していること——そのひとつひとつが、ホゼが未知に惹かれていることと繋がっていた。

彼女と上手く行かずに結果ひとりでこの町に着いたことについて、彼は光だとも影だとも言わなかった。「まだ消化できていない」とだけ言った。ホゼがまだ整理のつかない話をしてくれながら私たちが歩いた夜道は、淡く優しい光に包まれていた。涼しいのに温かかった。何より美しくて、少しだけ泣きそうになった。

タンポポ

自分を説明しなければならないのにまだ何者にもなれていない、これからの自分がどうなるか分からなくて不安な時期。ある人はそれを「トンネルの中」と呼んだ。確かにあの頃、目の前が真っ暗な状態は確かにトンネルに見えた。

元々の性分として知らないことに踏み出すのが怖い臆病な私に、ホゼはトンネルの中を歩く為の灯りをくれたのだと思う。

「光はまだ知らないこと」

新しいことを始めるとき、何が待ち受けるのか想像がつかない状況に踏み出すとき、私は彼の言葉を呪文みたいに繰り返し唱えた。その呪文は私を「必ずしも連続して、説明がつかなければいけない人生」という思い込みから解放してくれたように思う。何年もの時間をかけて。

そして、それがいつだったかはっきりは覚えていないのだけれど、30代に入ったか入らないかの頃にトンネルは抜けることができた。

あの旅でかつての仲間たちが分けてくれる様々な話を聞きながら、私は私で自分の影の部分をすっかり見せてしまっていた。自分がまず服を脱がなければ、相手も脱いではくれない。見栄という服をどんどん脱ぎながら、裸になっていく感覚は心地よかった。影と影を持ち寄ってみると「わあ、本当に真っ暗だね、ククク」と笑い合うことができたり、自分の影が相手の安心になったりする時があった。そんな時間には光がさした。

さらにそれを文章にして世に送り出したことで、自分の内面はくるりとひっくり返って外の空気にさらされてしまい、自分を綺麗に説明する必要がなくなってしまった。

「説明すること」から解放された意識は、純粋に外の世界を見ることに向かっていった。理由は説明できないけれどやってみたこと、会いに行ったひと、行ってみた場所の先に、新しい展開が拓がっていくようになった。

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いま光は目の前に広がる海辺の水平線の辺りを照らしている。白糸を惹きながら岩場に寄せてくる波のはるか向こうに。それを見ると私は純粋にそこに向かって漕ぎ出してみたいという思いに駆られる。何があるか分からないけれど、あの光がさしているほうに行ってみたい。それはきっと人間に遺伝子レベルで組みこまれている好奇心だ。

トンネルの先に開けていたのは、こんな海の景色だった。そんなことを海辺の岩に座ってしばらく考えていた。

そういえばホゼはポルトガルの海辺の町、ポルトの出身だった。もしかしたら、彼はあのころから海の景色を心の中に持っていたのかもしれない。

「ねえ、あなたの心の中にはどんな景色があるの?」

次に会うことができたら、私は彼にそう聞くだろう。
そして彼はまたきっと怪訝な顔をするのだ。