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2月

スケッチブック

2月1日

目が覚めたら朝の4時だった。

夜と朝の間、起きると眠るの間。少なくともこの家で起きているのは、私だけ。というのはあと2時間くらいだろうから、30分でメールを返して、1時間で原稿できるとこまで進めて…と段取りを考えるも、ぴんとこない。

こんな贅沢、もっと踊ったらいいじゃないと声がする。

最近、言葉の鎖を解くことについて考えている。惰性で繋がれていたものを、いったん解いて、ほんとうはひとつひとつ、ばらばらに宙に漂っているものを、気まぐれに隣り合わせに並べてみたい。時間も。

布団に戻って、寝返りを打ったしおの背中に顔を近づけた。私の顔の長さほどしかなかった体は、今や胸の下まで伸びている。やわらかい髪に顔を埋めて早打ちする鼓動を吸い込む。

いつかしおがこれを読んだら、気持ち悪いと思うだろうか。最近はぶんぶんと一生懸命に手を振り回して「近づかないで」ということも増えてきた。その変化を寂しくも、ほっと見守る自分がいる。まだこの眼差しを伝える言葉が足りない。

かつてこの眼差しで私を見ていた人。その体がなくなったときから、もう一度この世界に産み落とされたという感覚が続いている。母が粒子になって、この夜に含まれているとしたら、私はなんと満たされた世界に生きているのだろう。

四角く刻もうとした時間が、まるく広がっていく。

2月3日

また早く目が覚めてしまった。7時前に降りるとリビングで錠次くんが新聞を読んでいる。「今晩パパいないんか、じゃあ鬼は俺がやるよ」と、仕事に出かけていく。

保育園にお迎えに行くと、子供たちが口々に鬼の話をしていた。「それぞれの心の鬼を追い出しましたー」と、壁新聞に書かれている。しおは鬼がよほど怖かったみたいで、帰り道「しおいい子だから、鬼さん家には来ないから」と言い続ける。ごはんの後、お風呂を嫌がったら鬼に来てもらおうと思ったのに、珍しく気持ちがお風呂に向かっていて、そのまま入浴。

頃合いを見計らってお面をつけた錠治くんが2階から降りてくる。しおは「やだ、ジョージくん、やめて、とって」と顔を真っ赤にして泣いた。怖いというよりは、みんなして自分を怖がらせようしていることや、錠次くんに豆をぶつけろと言っていることを怒っているみたい。結局、早々に鬼ごっこはやめて、みんなで庭に豆を蒔いた。おにはそと、おにはそと、私の鬼はどうか外に。みんなが部屋に戻った後、しおは小さく「ふくはうち」と言いながら延々リビングに豆を蒔いている。私も小さい頃は、寒空の下に追い出されてさまよっているかもしれない鬼がなんだかかわいそうで、ふくはうちが好きだったっけ。

気が済んだのか、小さな手はお絵かきに移行している。「りっぴ、じょーじくん、ちーちゃん、かあちゃん、ぱーぱ」家の人の名を呼びながら、ちょんちょんと、紙を点で埋めている。絵のつもりなのか、文字のつもりなのか。一緒に住んでいないけど、たまに遊びに来てくれる錠治くんの娘さんのことを思い出して、「あ、Yちゃんも!」と嬉しそうに書き足す。

ちょんちょん、ちょんちょん、紙の上に豆粒みたいに小さな点が増えていく。
(おにはきえなくてもいいね。そのぶん、たくさんふくがあればいい)
小さな背中に教えてもらうこと。
ふくはうち、ふくはうち。ふくはうち、節分の、小さな祈り。

2月4日

つぶやきその1。昨日は節分。ママが豆を買ってきて、パパがその日会食と分かれば、「じゃあ俺が鬼やるかー」とジョージさんが言い、鬼のお面買うの忘れたっ!ってなれば「じゃちょっと鬼描きますね!」とりっぴが言う。これがシェアハウス連携プレー

つぶやきその2。本番はどうなったかというと、鬼自体はすごい怖いんだけど、明らかにジョージさんの声に戸惑いを隠せないしおと、取り敢えず豆が食べたいりっぴと、せっせと豆を庭に撒くあっこさんで、最終的にみんなで玄関で鬼は外をしましたとさ

りっぴのツイッターによる昨日のまとめを読んで、思い出し笑い。この家の人はそれぞれに方向性があって、それが愛おしい。

今日で断食が明ける。遠隔でサポートをしてくれていた元住人のMくんから、「とにかく少しずつ、少しずつ食べる物を増やしてくださいね」とラインが送られてくる。初めての断食でわかったのは、エネルギーが限られると、焦りや怒りがなくなること。この1週間、ノートパソコンに派手に水がかかったり、締め切りが山積みだった日にしおが保育園を休んだりと、まあまあハプニングはあったけど、怒ったり悔やんだりするエネルギーの余剰がないなって判断したのか、淡々と対処ができた。普段の暮らしもそうあれたらいい。そう思ったのに、夕方前には順とちょっとした意地の張り合いをしていた。お昼に半人前食べた蕎麦が燃料か。

2月5日

顔の見えない人たちがいるプロジェクトが苦手だ。推測や憶測にどんどん輪郭がぼやけていく。そんな仕事に必死になっているうちに、年をまたぎ、月をまたいでしまった。

植物のようにありたい。炭素を吸っても、酸素を出せるような。私の体から出る言葉は、空気を澱ませていないですか? 澄ませる方に寄与していますか?

ファンタジーを語るなら、あの喫茶店はやっぱり一本の木だと思う。来る人を受け止めて優しい気持ちにして帰す。働いているみんなには、それぞれに日常の感情があるけれど、「仕事」のなせる業なのか、場には光合成の力が働いている気がする。ああいう場所が増えたら森の中に暮らすように深く息を吸えるはず。

でも、いつまでも清めてもらおう、栄養を分けてもらおうと、それだけで扉を開けたくない。自分が一本の木になれないのなら、一緒に森の作り手になれない時期ならば、むしろ澱ませたくない、と、いつの間にか距離をとっている。
大切な場所ほど、近くことができない。

2月8日

朝、りっぴとしおと順と一緒に、駅へ。そこからりっぴは名古屋に向かい、私たち家族は羽田空港へ。しおは3人で一緒に空港にいるという状況が嬉しいらしい。「疲れているからまたこんどにするね」とキッズスペースで遊ぶのを見送って、両親の真ん中に座り、機嫌よく牛乳を飲んでいる。毎月順の出張にくっついて行くから去年の飛行回数は、私よリもしおの方が多かった。慣れた足取りで手荷物検査を潜り、別の飛行機、別の行き先に向かう順にバイバイすると、機内に乗り込んで行く。手を繋ぐ必要もないくらい慣れた足取り。私といえば久しぶりの二人旅に緊張して昨日はうまく眠れなかった。

高松空港でJさんという営業の方が迎えてくれた。空港で初対面の人に迎えてもらうなんてことは珍しいから、少し照れ臭くて嬉しい。しおは車の中でJさんに一生懸命話しかけていて、いつもは人見知りがすごいのに、ほっとする。途中寄ってもらったコンビニで急におしりふきが足りなくなるかも、除菌ティッシュいるかも、などと思ってしまい、自分一人だったら買わない備えを買い込んでしまった。港につくまえにしおは爆睡。両手が空くようにと、久しぶりにバックパックで来たのに、ベビーカーとバックパックとパソコンやらノートが詰まった手提げ鞄とさっきのコンビニの袋であっというまに身動きが取れなくなる。Jさんがベビーカーを担いで高速艇にいれてくれた。3人旅になったことがありがたい。


2月9日

豊島をめぐる旅が始まった。小さな手をぎゅっと握って、豊島美術館の白い空間に入った瞬間、ただただ涙が流れた。ここにくるのは2回目。最初にここに来た時はもうその空間の一部になってしまったような感覚になって、床に背中をぴたっとくっつけて、うつらうつらしていたっけ。臨月で彼女がお腹にいた。彼女はこういう場所からくるのかもしれないと思ったし、私が死んだらこういう場所に行くかもしれないとも思った。

2回目の今日は、ただ心臓がドキドキしていた。この子が外に出て来たら、いつかこの光を一緒に見たい、と思っていたのが叶ったこともあったし、地面から最初のお水が出る瞬間に立ち合わせてもらえるという、特別プログラムに申し込んでいたのもあるかもしれない。初めて来た時よりもさらにしんと澄み切った空間で涙と一緒に鼻水が出てきたことに慌てたし、しおがおしゃべりをしたときのことを考えていなくて、焦ったのもある。「ぱぱおしごとかなー」と、しおが意味のあることを話し始めたあたりで、早々と空間を出て隣のカフェに退散していたら、あとから出て来たディレクターのTさんが大丈夫だったのにーと笑った。「むしろ静寂としおちゃんの声のメリハリが僕はよかったですよ」と。

Jさんがしおを見てくれるというのでもう一度、ひとりで空間に戻ってみる。今度はゆったり水を眺める。イメージが変化して、多層になっていく。水が、地図になり、泉になり、またひと粒になって旅をする。風と見えない傾斜によって動いている粒なのに、意思が宿っているよう。粒は嬉しいのか、孤独なのか、泉となってしあわせなのか、個が消えて悲しいのか。いずれにせよ、もっと大きな幸福感が、空間を包んでいる。

”この地上に存在するものは全て、祝福されている。”
しおと先に出ていた時にカフェで見つけた、作家の内藤礼さんの文章が、風みたいに体を通り抜けて行く。

お昼ご飯を食べて心臓音のアーカイブへ。館内のパソコンで前回、残していた私の心臓音をしおに聞かせると、しおは黙って聞いていた。

「覚えている?」
「覚えてるよ」

こんなときの彼女は不思議なオーラを纏っている。
神様にはたくさんしつこく聞いちゃいけない、なぜか、そんな気持ちにさせる。

「よかったらしおちゃんの心臓音、残していきますか?」とTさんが言ってくれたので、小さな音を取る。メッセージを入力してくださいという画面がでてきて、自然と泣けてくる。

この音を彼女が聞きにくる時、彼女は大人になっていて、私たちはすれ違っているかもしれない。あるいはもう私はこの世の中にいないかもしれない。そんな未来に残せる言葉なんて、きっとひとつだ。

涙と時間が同じ方向に流れている時は、透明だ、と知る。喜びとか、悲しみってことじゃない。それらすら雑味に感じるような、もっと尊く熱くて、ひんやりと澄んでいて、透明なもの。

人も減ったので、しおを抱っこして作品の中へ。真っ暗な空間と記憶していたのに、光が眩しくて、あまりにも凶暴なことに、立ちすくんでしまった。大音量でだれかの心臓音が鳴り響いているのに、ものいわぬ死の空間に見えた。墓場?

前回来た時は、もっと、こうなんというか、生命力に満ち溢れる作品だった記憶がある。いままでどんな日もこうやって心臓を打ち鳴らしながら生きてきた、いまお腹の中で彼女はこんな音を聞いていると、なんか、胸の中から熱くなるような作品だった。

抱っこ紐のしおに聞いてみる。
「私のお腹ってこんな感じだった?」
「ちがったよ」
「そっか」

それだけ言うと、彼女はすうっと寝てしまった。

どんどん、とんとん、爆音や小さないろんな心臓音に打たれて歩き回っているうちに、何も考えられなくなった。とにかく鳴り響いている、とにかく、まだ生きていないといけない、生きていく。前回の感動とは、違う。振り切るような気持ちで作品から出てくる。

窓の外の海の水面が無数の波の鼓動に見えた。

しおがまだ寝ていたので、受付の男の人としばらく話をした。娘を産んで、母を亡くしたら、まったく違う作品に見えたというと、その人は静かに頷いた。
「作家はここを巡礼の地にしようとしているのですよ」

その人も参加しているという別のアート作品に私も参加してみることにした。一生のうち、自分にとって大切な人の名前をひとりだけ書くことができるという。その名前はガラスの短冊となって森の中で鳴り続ける、という。
「ちなみにどなたを書いたんですか?」
「姉を」
「納得するまで何度でも、何枚でもどうぞ。僕も散々書き直しましたら」
ああ、この人も亡くした人なんだなと、納得してしまう。

母が森に祀られたかったのか、わからない。少し寂しいかもしれないと、心配にもなる。こういうとき、今の名前だけでいいのか、結婚前の名前も書いて欲しいと思うのか、どっちだろう。でも、もう答えてくれる人はいない。

なんとか書き終えて、チームのみんなを追いかける。仕事と違うことですみませんと謝ると、いいえと首を振ってくださった。
「喜んでくれてると思いますよ」とJさんが言った。
憶測と、「私だったらこう」という割り切りと、誰かの優しい言葉とで、これからの母はつくられていく。もうすぐ一周忌だ。

二つ美術館を巡って、海と田んぼをつなぐ宿の見学をさせてもらったら、もう最終便のフェリーの時間だった。しおは一緒にいたTさんというディレクターさんを気に入ってしまい一足先に帰るという彼らを港まで追いかけた。バイバイをした後も、名残惜しそうにフェリーが去った海に留まっている。

こんなとき、私は彼女が私にとっての旅の神様だと思う。最終便のエンジンの余韻が残る港がやわらかい茜色に包まれていて、依頼されていたエッセイの書き出しはちゃんと見つかった。

2月10日

朝5時半に起きて6時に宿を出る。昨日、地元の飲み屋で知り合ったSさんが、朝日を見に連れていってくれるというのだ。昨日の酒場は、ちょっとした自慢くらべだった。「絶景の朝日を見せてやるよ」というFさんと、「この時期の明け方にしか見ることができない、月の道がある」というTさん。私たちとしてはどちらも見たい。

「はやくはやく!」と走り出した車が島の反対方向に向かったので、これは朝日だけかなと思ったら、ドライブの途中一瞬雲が晴れて海に月の道が映る。こんなとき旅の魔法が働いていると思う。

ドライブから戻って来て豊島横尾美術館へ。しおは昨日の晩からデザイナーのKさんとすっかり仲良くなってしまい、ふたりはずっと外で遊んでいてくれる。以前来た時は、塔の作品以外は「よくわからない」と思っていたけれど、今回は感じるものが多かった。そしてやっぱり前回とは全然違うことを考えた。

母型も心臓音のアーカイブも、横尾作品も、一度見ているのにこんなにも捉え方が違うということに、アートがこんなにも自分を映す、というそのことに一番打たれたような気がする。

帰りのフェリーしおは爆睡。その間にスマホで原稿を書き始めた私も爆睡。半分夢心地で高松の港前のホテルについた。JさんとデザイナーのKさんが部屋まで送ってくれる。そのまま休んで下さいねーと言ってくれたけど、しおもロビーまで見送りにいきたいと思っているのがわかる。名残惜しいのだ。

ふたりが乗り込んだエレベーターがしまった途端、しおの頬から涙が落ち始めた。じっと上を向くけど、どんどん落ちて、それは嗚咽に変わる。
「みんなと一緒がよかったの、だいすきだったの」
ギュッと凝縮された時間の中で、特別なつながりが生まれることってある。
私もだいすきだったよ。しおが気持ちを代弁してくれる。

気持ちが落ち着いたしおと島を懐かしむように、乗船直前にかったいちごたっぷりのクレープを食べた。その間は、「かあちゃん、いちごあんまり食べないでー」といつもの調子だったけど、最後のいちごを食べ終わったら、なんだかぐったり、しんみりしてしまった。夜、食べに出た海鮮丼とうどんは全然美味しくなくて、ふたりで一人前しか頼まなかったのに、ほとんどを残してしまった。

2月11日

男木島からきたNさんとランチ。秋に島でライターレジデンスをできないか話し合う。縁を一本ずつ紡いで撚り合わせて、せとうちと関わり続けられたらいいなと願う自分がいる。

途中から昨日まで一緒だったJさんが来てくれて、屋島に連れていってくれた。カフェがしまっていたので、海を眺めながらの青空会議。飛行機の時間が気になったけど、まだあとちょっとなら大丈夫かなと、エッセイのテーマについて話し込んでいたら、無謀なくらいギリギリになった。Jさんが必死になって運転してくれている後部座席で、しおは爆睡。Jさんの娘さんが私に、なんでも聞いてゲームしようという。「次はあなたの番!」というので、「私たちは飛行機に間に合うでしょうかー?」と聞くと、「間に合いませーん!」と笑われた。「そんなこと言わないでー」とJさんの困り笑いも聞こえてくる。こういうことが起きると、小心者の私はドキドキして、そこまでの行動を反芻しては、後悔したりするのに、このときは、乗れなかったらそのとき考えればいいか、と思えた。たまにそういう時がある。

羽田で夜ご飯を食べながら、別便で別の場所から帰ってくる順と合流し、3人で帰宅。家に帰ってきたら、びっくりするくらい疲れていて、ストーブの前から動きたくなかった。歯磨きをしていたしおが、急にはっとした顔で「みんなとごはん食べたい」と言い出し、急いでジャケットを着て、玄関に向かっていく。もう飛行機ないよと言っても、帰りたい、みんなとご飯食べたい、と泣き続けるばかり。あーどうしようと思ったところに、救世主りっぴの帰宅。それでも泣き止まない。りっぴはケラケラ笑い、しおりは1時間くらい泣き続けてからくたりと寝てしまった。

2月12日

無事に登園。「また、たかまついこうね」「お姉さんとみんなとごはんたべようね」と、何度も顔を覗き込んでくる。行く先々で出会う人たちの中に、心を置いて来てしまう。そんなところ似なくていいのに、と思い、じゃあ淡々と忘れて欲しかったのかと言われればそんなこともない。あまりに似ているから、この先が思いやられる。

バレンタイン商戦には参加しないつもりだったのに、つい順が好きそうなチョコと、家のみんなで食べられそうなガトーショコラを発見。グルテンフリーなんて、なんとありがたい。小さな包みを下げてお迎えにいったら、プレゼントなの? おとうさん、プレゼントだって、と帰るや渡されてしまった。

2月13日

献本いただいた本のイベントに参加。昨年の今頃、同じ詩人をテーマにした本のイベントに登壇させてもらって、対談相手だった編集者のAさんが家に泊まっていった。翌朝、駅まで送って行きがてら、公園を散歩した。その時にはもう母が長くないと分かっていたから「親を亡くすってどんな感じですか?」と聞いたら、青空をしばらく見上げていたAさんが「雲ひとつない空というものが永遠になくなる感じ」と言った。言葉が何度も浮かんだこの1年。

今日のイベントは民族学者の方による詩の朗読と解説。屋久島に暮らした詩人の詩を、数日前に台湾で手にいれたという月琴を爪弾きながら朗読するその空間で、ずっと南西アメリカの情景が浮かんでいた。「昔住んでいたニューメキシコの夜を思い出しました」と言ったら、その人も向こうにいたことがあるらしい。「その部分が共鳴したのかもしれないですね」とおっしゃっていて、こういう話が自然にできる人に久しぶりに会ったなあと思う。

よかったらみんなで少し飲んでいきますか?とAさんが誘ってくれて、行きたかったけど、探しているうちにみんなして終電が怪しくなってきて、駅で別れる。「本頑張ってね」と言ってもらえたけど、もう何年も完成の報告ができていないのが悔しい。

2月14日

寝苦しくなった。2月だ。
「眠れないよ」と声に出してみるけれど、胸の中の人も、その向こうの人も目を閉じたまま。私ひとりが、フルートのランプが照らす夜をさまよっている。

体も暦をめぐる。季節が狂っているから乗り切れるかと思ったけど、スマホの写真フォルダが、昨年の写真なんて勝手に引っ張り出してきてくれるからタチが悪い。病院の駐車場と、母を乗せたストレッチャーが写っていた。
「運んでいる途中でお亡くなりになるかもしれませんよ」
あの日は私たち家族の、一世一代の大勝負だった。

もう話すこともできなかった母と家で過ごした2週間は、あたたかった。看取った瞬間とそれからしばらくの日々はどこか神秘的で、浮遊感さえあった。
その一瞬一瞬を忘れたくなくて、とにかく写真を撮っていた。そのときには光をを撮っていた、という記憶があるのに、今は直視できないくらい冷たい。

病院に向かう銀座線、スタバのカフェモカを頼んだこと、院長先生と話したこと、看護婦さんが母に向かって話しかけていたこと、自宅で看取りたいとわがままを押し通したのに、介護タクシーのなかで家族の思い出が走馬灯みたいに過ってしまい号泣したこと、家で訪問看護の先生が待ち受けてくれていたこと、恐怖とそれを上回る安堵の中、隣で眠ったこと。

温度を蘇らせようと、あのときの出来事をひとつたぐり寄せる度に、一段、二段と階段を下がっていく。階段の向きがひっくり返ってしまったみたいに、真っ暗な闇に向かって下へ、下へ。体の中に黒い雪がしんしんと降っている、粉雪が舞っていると思っていたら、気づいたときにはどっしりと降り積もって、上がることができない。

2月15日 

いい文章を書きたいときに頼りにしている近所のカフェがパソコン禁止になっていた。手書きで粘ったけど、どうしても打ち込みが必要になる。家の周りは週末になるとやたらと混み合うから一時間もカフェ難民になって家に帰ったら、りっぴとしおがクッキーを焼き終えていた。見たかったなあ、しおのクッキー作り。やり直しがきかない毎日。

2月16日

父と会う。ふたりで話がしたいと言われて、昨晩からざわついている自分がいた。母が亡くなって「話さなければいけないこと」の内容が変わった。私が自分の死を意識する以上に、父はそれを考えるのだろう。そこで浮き彫りになる考え方の違いもあって、いい大人のくせに傷つく自分もいる。

喫茶店で待ち合わせた。毎晩、明日の朝、自分は起きられるだろうかと怖くなるんだ、という。何かあった時のために、父の近しい友人たちの電話番号を共有してもらった。でも、そういうことではないのだろう。「一緒に住んであげられたらいいけれど、今はできない」。そう言った自分が涙目になっている。

しおと順も合流して、ご飯を食べる。父にしおがクッキーを渡したら、バレンタインなんて何年振りかなと目を細めていた。お洋服を買ってあげたいと言ってくれていたので、一緒に買い物に。子どもの頃から、買い物のときに、あれこれ考えてしまい、これがほしいと言えなかった私は、うまくいくのかとドキドキしたけれど、父がこれはどうかな?と手に取った一枚をしおが気に入り、全員が気に入り、あっさりと決まった。しおは嬉しそうに、紙袋を肩にかけている。純粋なやりとりに、私が救われている。

2月17日 

夕方から体調が悪い。豊島の原稿をえいやと出して、布団を頭からかぶる。順としおが上がって来て「かあちゃんだいじょうぶ?」と透き通るような声が布団に入ってくる。お願いだから近くにこないで。隔離のしようがない。

2月18日

目が覚めたら驚くほど咳き込んでいた。家から駅に向かう途中で、あーこれはだめだ、と思った。熱が出ないからコロナではなさそうだけれど、個人的な予兆ではあると思う。今の私には今月これから起こるだろう、家族や自分のあれこれを受け止める力がない。明後日からの出張は延期。月末の海外視察は断念。本来諦めが悪いはずなのに、どこからともなく現れたもうひとりの自分がばっさばっさと宙に浮いていた案件を切っていく。君は何者? 名前は生存本能? 

2月19日 

こまめに測るも熱はない。咳も軽減。久しぶりにクルミドの仲間たちが遊びに来てくれて食卓を囲む。こうやって集まって夜ご飯を食べるのは私たちが南米から帰って来たとき以来で、気がつけば3年もの月日が流れている。時折、だれかが遊びに来てくれることはあって、Hちゃんが、あるとき私がしおを沐浴していたタイミングで家に到着してしまって、泣きわめくしおとしばらく二人きりだったことがあると話していた。私の記憶からは綺麗さっぱり消えてしまっている。忘却ホルモンが働くってこういうことか? お世話になった記憶が消えてしまっているのは、ショックというか心配になる。

定期的にやろうねと言っていたのに、今回はJくんの送別会。Jくんが持ってきてくれたワインが微発泡で「私、常に微発泡だから、飲まなくていいや」と言ったら、テーブル一同「微発泡、わかりすぎる」と、大笑いになった。そう派手に爆発はしないけれど、いつもしゅわしゅわと何かが湧いている。

玄関で4人を見送って、私たちはあのお店に同時期に関わり出したメンバーだと気がついた。フリーランスになってからの、数少ない同期だったかもしれない。気づく頃には一人が旅立ち、またひとりが旅立っている。それぞれの人生だもの。きっといい方向に向かっている。

2月20日

どれだけ溜まっていたのだろう。眠る。起きる。また眠る。起きるたびに、眠る前よりも少しだけ体が軽い。そろそろヨガに行って大丈夫かなと思ったら、最後のクールダウンの段階で、ケホと咳が出た。「体調の悪い人はご利用をお控えください」ポスターの眼差しが痛い。

2月21日

空いた1日を、ようやく本の執筆に使える。このスタートラインに立つために、いったいどれだけ働いて、どれだけ暮らしてきたのだろう。

家で仕事することにしたおかげで、もうすぐ家を引っ越すちーちゃんと、ひさしぶりにゆっくり話もできた。同じ家に住んでいても、仕事や休みのスケジュールが違うと全然会わない、ということがある。重なる時間帯や重なる話題が、それぞれ違うというのが、6人暮らしの心地よさだなと思う。私にとっては、ちーちゃんと重なるのりしろは、汗ばむくらい柔軟体操をしてほぐれた体を、気持ちよく伸ばしたところにある感じ。いつもはしない話、見ない場所。たとえば、体を振り返るように捻ったら、ああ、そこにあるよねとわかる。曖昧で、ちょっと気だるくて、ゆるやかだ。

2.22

確定申告。昨年どころか一昨年の領収書がどっさり出てくる。1月の末から2月を病院と実家で過ごし、3月の初めに葬式を出し、そこからどうやって確定申告をしたのか。やっぱり記憶がごっそり抜けている。「俺が、経費計上は諦めた必要最低限の申告をしておいたんだよ」と順がいう。あの頃、順がよく「俺だって余裕ゼロ」と言ってたことは覚えている。その言葉に距離を置かれている気がしていたけれど、生活を回してくれていたんだと、頭が下がる。

領収書という記録が、記憶を引き出してきて、「レシートを前では泣かない」とひとり宣言する。心のスイッチを完全にオフにしてそんな風に土曜日が過ぎてしまうことが辛い。

2.23

公園に春。サッカーボールを抱えて、家の前の公園へ。「お母さんと娘さんがふたりでサッカーしているから、不思議に思って」と、通りがかったおじさんが話しかけてくる。べつに母娘でもサッカーしますよと思ったけれど、おじさんは話したそうだったから、ボールを蹴りながら耳だけ傾ける。
「母を看取りましてね、父も入院させましてね」
「そうだったんですね」
私の背中に何か書いてありましたか? と思って、そっとしまい込む。
誰にもわかってもらえないけど、誰かに聞いてほしい。その人は、そんな気持ちだったのかもしれない。

2.24

実家へ。幼馴染が生まれたての赤ちゃんを連れて会いに来てくれた。イギリスに住んでいて、明日、飛行機に乗って帰るのだという。「そんなときに、わざわざありがとう」と言ったら、「いつも私たち、そんな時じゃんね」という。

葬式の時に彼女はイギリスから電報をくれた。
「初めてお家に遊びにいったときにおばちゃんが出してくれた麦茶が、あまりに美味しくてびっくりした。あきちゃんがどっかに行くってなると、夜遅くにふらっとやってきていつまでも喋ってる私に呆れながら、おばちゃんは、いつも麦茶を出してくれた。あの麦茶が今まで生きてきた中で一番美味しい麦茶」
そんな、とにかく麦茶づくしの内容で、こっちもびっくりした。うちの麦茶に特別な淹れ方なんてあったんだろうか?

「自分にママ友が作れるだろうか?」とぼやくので、「私、ママ友いないや」と言ったら、それで生きていけるの?とびっくりされた。

よく考えたら「友達」をつくろうと、ちゃんと動いたことがない。「断られたらどうしよう」とビクビクしてしまって、だれかを遊びに誘うのも家の電話の前で手が止まっていた子供時代だった。

いまも昔も、誘われるがまま、ご縁のまま。

「ねえ、私たち『友達』にならない?」小学校の入学式で、ひとつ後ろの席に座っていた彼女がちゃんとそう声をかけてくれなかったら、友達がなんのか、よくわからないままだったかもしれない。

2.25

悲しみという言葉を使いたくないと思う。喜びとか、感動、とかを使いたくないのと一緒で。

うんと因数分解したい。

2.26

お世話になっている喫茶店に今日こそ行こうとして、駅まで行ったのに引き返してしまう。弱っている時に、知っている人たちのいる場所じゃなくて、匿名の存在になりたい、と思うのはなんでなんだろう。そうやって最近はなんだか、スタバにばかり足が向く。ひとつ前の駅に後戻り、もうひとつの好きな喫茶店へ。漆の展示をやっていたので、すべすべしたお皿の肌をひたすら撫でた。

2.27

命日は28日だけど、母は日付が変わる少し前に亡くなった。最後の一息を吸い込んだのを見ていたから、それは知っている。

ひとりで過ごすのは辛い、と父が言うので、実家に泊まりに行くことにした。「家族のために出張をやめる」なら、正直母が生きているそうしておけばよかったと思うけれど。後悔も命日を実家で過ごすのも、きっと私のためだ。どこかで、1年前に包まれた感覚を、もう一度取り戻したいと思っているのだから。

部屋には、父の友人たちから沢山のお花が送られていた。

布団を2組敷いたのに、しおは私の布団の中に潜り込んでくる。
「しお、前はもうちょっと小さかった?」
「うん、小さかったけど、いっぱい助けてくれたよ」
「おばあちゃんどこにいったのかなあ?」
「おばあちゃんお空だけど、お花にもなったんじゃない?」
「違うよ、おみずになったんだよ」

この子の話す言葉は不思議だなと思う。言葉遊びなのかもしれないけれど、本質をついている。

となりに空の布団がある。
日付が変わる前に母は亡くなって、私はその隣でなんどか眠った。
その時と、なんだか同じ感じになった。
たぶん何回か呼びかけたのもあの時と同じ。
部屋に気配が満ちていて、小さな時みたいにぐっすり眠った。

2.28

お墓まいりへ。父が持って来た線香はラベンダーの香り。
行くにも帰るにも車が混んでいる。
「なんでこんなに混むかなあ」と言ったら「月末の金曜日だからだよ」と返ってくる。
「そしたら、毎月のお墓まいり大変だね」と月命日ごとの墓参りを欠かさない父に声をかけると、「毎月の終わりは30日か31日だから大丈夫なんだよ」という。
「2月は逃げる月っていうものね」と、助手席の伯母さんが言った。
「28日しかない。早い早い。うるう年の1日はおまけみたいなものよ」
それでもきっと、しばらくは2月が一番長い月になるんだろうと思う。

ちらし寿司を買って、実家に帰り、みんなで食べた。

2.29

朝、自分の家に帰ってきたら、りっぴが窓をあけて「おかえりー」と迎えてくれた。

もういちど、この世に産み落とされたような感じがするなら、2月28日をもうひとつの誕生日と思って生きようと気張っていたけれど、1年後の命日は過ぎてみたら、すっきりするものでも、ぱっと切り替わるようなものでもなかった。

知人にうるう年の誕生日の人がいるから「おまけ」はちょっと失礼だと思うけど、今日1日があってほっとしている自分がいる。

「そろそろ、物書きの会を再開させたいな」と友人が連絡をくれた。メールボックスには、新しい仕事の依頼が入っていた。

「あっこさーん、大丈夫ですか?」(今晩、来れます?)
夜、メッセンジャーに入ってきたひとことに、腰をあげる。

誘われるまま、ご縁のまま。
風が吹く限り、糸を垂らしてくれる人がいる限り。

寺井 暁子

寺井 暁子

作家。出会った人たちの物語を文章にしています

Reviewed by
中田 幸乃

寺井暁子さんの日記連載、第1回目。

読み終えて、ある人の言葉を思い出した。
「後ろを振り返ることができないようなスピードで進む社会の中で、
立ち止まらせてくれる言葉が詩」
という言葉。
別れて、捨てていかなければ先に進むことができない忙しさの只中で、
詩の言葉は、後ろからとん、と肩をたたいて、
「本当にそれでいいの?」と問いかけてくる。

ああ、寺井さんの言葉は詩なんだ。


矛盾した感情がある。
悲しみにこころを引き裂かれそうになる。
戸惑って、揺れる。
それでも寺井さんは、自分の感情と向き合うことを放棄しない。
絡まった感情の糸をほどいて、詩の言葉へと編みなおす。
小さなしおちゃんに、語りかけるように。

丁寧に編まれた言葉たちは、まあるくまあるく広がってゆく。
そして、とん、と、わたしたちの肩をたたくのだ。

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