風吹くほうへ

第25期(2016年2月-3月)

あんどろまらけの歌

あんどろまらけの歌

あんどろまらけの歌「あんどろまらけの歌」2011年、インクジェット、手製本

写真家になるにはどうしたらいいんだろうとぼんやり考えていた。学生時、地方に在る余白のようなものが気になり休みを使っては青春18切符や夜行バスで各地方へ足を運び撮影していた。車窓に流れ込む平原や集落、濡れた浜辺に肥大する植物群。それを重ね手製の写真集を作ることが好きでいつかは自分の写真集をと思い描く学生だった。卒業のリミットがちらつき、自分の写真と社会との接点がみえずもどかしい日々が続いていた。(参照ブログ、http://komaru.tumblr.com/

当時、雑誌のカメラマンのアシスタントをほんのちょっとだけかじっていた。デスクがぎっしり並ぶ編集部では、個性的な服をまとった女性編集者たちがせわしなく行き交っている。デコレーションがご立派なコスメにうす塩系な顔立ちのアイドル、トレンドの洋服など、カメラマンは撮影が終わるとパソコンにかじりつくようにそれぞれの写真を処理していく。写真ってこんなんだったっけ。バイト用のデスクに戻り、誌面が持つ写真の質と自身のモノクロ写真の差を考えた。もしかしたら写真が示す地方に答えが在るのかも。翌日の引き継ぎを終わらせ身支度をしているとき、ふとそんなことが浮かび風向きが変わっていくように思えた。

しばらくして大学の恩師から地方出版が面白いと聞き、数冊借りることとなった。その中で三重のローカル誌『NAGI』に目が留まる。地産地消を掲げる特集に街並みを巡るシリーズ・エッセイなど、硬派な内容でゆったりとした写真の扱いが気になったのだ。めくっていくとスッタフ募集の文字がちらりとみえた。もしかしてまだ間に合うかも。三重に勤める云々を考えないまま勢いで事務所へ電話をかけてみた。するとまだ募集中とのことだった。快く対応してくれ詳しい仕事概要や通勤の話に転がった。
「実は私、静岡出身で三重には縁もゆかりもないのですが大丈夫ですか」と言うと、受話器越しから戸惑いが伝わってきた。しばらく保留のイントロが鳴り響く。それもそのはず、地域密着の仕事に対して土地勘やコミュニティーをまったくな持たない新人を入れるなんて博打のようなものだ。保留の長さからして私の申し出にはかなり慎重になっているようだった。繰り返されるメロディーをききながら緊張が高まる。ようやく通話に切りかわり、事務所のある伊勢に住む覚悟があるなら面接を考えるという返答をいただいた。その時突き動かされるように「私伊勢に住みます」とそう答えていた。通話を終え、ふと携帯を持つ手が震えていたことに気づく。ふぅ。息をつきしばらく沈黙が続いた。急な展開に驚きつつ、もう進むしかないと自分を奮い立たせ面接に臨むこととなった。今思うと電話での心意気を買ってもらったことが、地方移住の追い風になったと思う。(雑誌『NAGI』、http://i-nagi.com/

勤め先が決まった後はほっとした気持ちで初個展や卒業のことを考えていた。そろそろ引越し準備を始めなければな。そう思っていた矢先、東日本大震災に見舞われた。東京にいた私はライフラインが途絶えた都市の脆さと連日の報道に呆然とするしかなかった。卒業式の自粛や計画停電と周囲では不穏な空気が漂う。それでも進もうと再び伊勢を訪ね引越し先を探した。不安と期待の入り混じるこれからの暮らしを想像し、帰りの電車をぼんやり無人駅で待つことに。まだ余裕がある。駅の向かいにある小さな畑で、手入れしているおばあちゃんが気になり声をかけてみた。西日を背にしばらく話し込んでいると曲がった腰を小刻みに動かしておもむろににネギを抜きだした。関東からはるばる来たことを労ってくれ、両手で抱え込むほどの量を袋につめてくれたのだ。
「焼きネギが甘くていいんさ。帰ったらようけたべてな」
受け取るとツンとしたネギと土の匂いに包まれ、ビニール袋は重さで突っ張っていた。これから移動するのが少し恥ずかしいと思いながらも、この場所ならきっと私のことを受け止めてくれるそんな気がした。カンカンッカンカンッ。踏切が鳴り出発の時を告げた。おばあちゃんにお礼を伝え足早に駅に戻る。髪を撫でるようにほの暖かい風が吹いた。電車に飛び乗り遠のく畑や伊勢の風景を噛み締め東京に戻っていった。こうして、3月末日東京からの引越しを果たし新生活がはじまるのであった。