星空書簡7―100年を越えて

第29期(2016年10月-11月)

こんばんは。先日の「スーパームーン」は残念ながら本州広い範囲でお天気悪く見られませんでしたね。
その前日とその翌日、どっちもきれいでした。
前日は大阪から帰り、ずっと追いかけてくる月を見て(車なので、ずっと見てるわけにも
いかないのだけど(笑))
翌日は浜松で、建物を出たら目の前に昇ってまもない大きなオレンジ色の月を見ましたよ。

今、今年の大みそかにオンエアされる予定のラジオ番組をつくってます。
まだちゃんとタイトル決めていないのだけれど、「銀河鉄道の夜」の宮沢賢治さんと
その親友だった保阪嘉内さんのことを取り上げます。賢治さんは、かならず国語の教科書にも
のっているので、その名前を知らない人はあまりいない。その一方、嘉内さんは今だにあまり知られて
いないけれど、実は、賢治さんの唯一無二の親友と言われる人であり、私のいる山梨県出身
だったのです。
今年は2人の生誕120年の年で、しかも、2人が出会って100年の年でもあるので、それの
記念番組を大晦日にっていうのも、なかなかいいでしょう?

2人が互いにどれだけ大きな影響を与え合っていたか、というのは、今、山梨に残る
賢治さんからの73通の手紙からも伺い知ることができます。彼らは、科学や宗教、哲学、
あらゆる「思考」において多くを語り合ってきたのでしょう。
その中にあって、特に「星空」に向かう気持ちもとても重なり合っていたようです。
今から100年前の7月に、賢治さんと嘉内さんは、2人で岩手山登山にいって、ものすごい
満天の星空を見ています。今から100年前の岩手山・・周囲になんの灯りもなく、ほんとうに
手が届きそうな星の輝き。天の川の細かい星でさえも見えてくるような立体感。考えるだけで
鳥肌が立ちます。
そこでどんなことが語られたかは、2人の手紙や日記から
少しだけ伺い知ることができますが、それ以上はもう想像するのみ。
でも、きっとそのときに、銀河鉄道の夜のように、2人はすでに宇宙を旅をしたのじゃないかと
思うのです。

実は嘉内さんは、1910年の13歳のとき、ハレー彗星を甲府からみて、それをスケッチに
残しています。そのスケッチにこう書いています。
「銀漢をゆく彗星は、夜行列車の様ににて、遥か虚空に消えにけり」
銀漢とは銀河、つまり天の川のこと。天の川の中を飛ぶ彗星は、まるで
空を駆け抜ける夜行列車みたい、と言っているのです。
まるで銀河鉄道! ですよね。
この話を、嘉内さんが賢治さんにしないわけはないし、そうやって2人で空想しながら
きっと宇宙を旅しただろう、て。

今度のラジオの半分のもとは、以前私が脚本を書いたプラネタリウム番組「二人の
銀河鉄道―賢治と嘉内の青春」をもとにしたもので、あと半分は、あまり知られていない
嘉内さんの文章や歌を紹介したり、嘉内さんのお孫さんのお話も伺う予定です。
FMFUJIという山梨エリアを中心にしたラジオだけれど、関東でも広く聞くことができるし
インターネットサービス使うと全国どこからでも聞けるので、よかったらぜひ。

2人のキーワードは、星空でもあり、また「ほんとうの幸せ」でもあります。
100年を越えて、今の私たちにじんじん響いてくるものがきっとあるはず。

あっという間に、11月も後半ですね。風邪などひかないようにお互いきをつけましょう。

保阪嘉内13歳のときに描いたハレー彗星のスケッチ(アザリア記念会提供)

保阪嘉内13歳のときに描いたハレー彗星のスケッチ(アザリア記念会提供)