偏愛総進撃第二回 あれは怪物ではない・・・

第29期(2016年10月-11月)

怪獣、とは我々にとって何だろうか。子供のおもちゃ、恐怖の対象としてのモンスター、ラテックス製の着ぐるみを着た、おどけたキャラクター群・・・少し怪獣映画を知っている人なら、戦争のメタファーと答えるだろうか。
怪獣モノ、というジャンルには、時代や作品によってさまざまなバリエーションが存在する。かつてロマンポルノの製作者が、濡れ場さえあればどんなシナリオでもよい、と言ったという話があるが、怪獣モノもそれに近いジャンルである。何しろ、怪獣さえ出ていれば、シリアスでもシュールでもコメディでも、なにをやってもいいのだ。かくして、日本の怪獣映画史には、ガメラ2(1996)のような軍事SFから、モスラ(1996)のようなファミリー向けジュブナイルムービーまでが綺羅星のように並ぶことになる。
しかし、考えてみれば特異な現象である。
なぜ、怪獣映画ファンは怪獣を求めるのか。
多種多様な形態、生態を持つ怪獣の本質とは、(もしそんなものがあるとすれば)何なのか。

結論から言おう。
怪獣とは、ヌーメンである。
人はそこにあるヌーメンに惹かれるのである。

ウルトラQ(1966)、という番組がある。
ウルトラマン(1966)、の前に存在した、SF系の30分TVドラマである。現在の作品で例えるならば「世にも奇妙な物語」などに近いかもしれない。毎週、怪獣や怪事件、異星人などが登場し、新聞記者や学者がそれに対峙するという構造をもつ人気番組であった。

この番組の11話に「バルンガ」というエピソードがある。

首都上空に現れた風船のような怪生物「バルンガ」は、何もしない。ただ、そこに浮いている。バルンガはあらゆるエネルギーを吸収するため、街の電気は消える。電気が消えた町は大混乱になり、人々は自転車と徒歩で移動する。警官の発砲も、戦闘機から発射されるミサイルも、台風でさえもバルンガには効かない。バルンガについて知る博士は、答えを求める主人公たちに、あれは怪物ではない、神からの警告だと告げる。最終的にバルンガは巨大なエネルギー=太陽を目指して誘導され、太陽と一体化する。

先ほど、怪獣とはヌーメンである、と述べた。
宗教学者のオットーは、宗教分析の中心概念として「ヌーメン」を置いている。これは、日本語に訳すならば、おののき、に近い。非常に雑にまとめるなら、神的な、全く他なるものを目にしたとき、悟性での理解が拒まれ、自分が小さく感じられるといったような感情である。深山幽谷、深い闇、巨大な礼拝堂、こうしたものがヌーメン的感情を想起させる。戦慄が巻き起こす不安と高揚。宗教とは、本質的にはこうしたヌーメン的な感情≒おののきに解釈を与えていく意味の体系である(オットー的には、そういうことになる。はずだ。間違っていたらすみません、独学なので)。

バルンガには意思がない。ひょっとしたらあるのかもしれないが、それは我々には測れない。おそらく、思考の構造自体が違うのであろう。なぜ地球に来たのか、なぜ地球を去るのか、そもそも生物なのか自然現象なのか、啓示だとして何を伝えようとしているのか、一切の答えは描かれない。説明がなく、ただ現象だけがある。現象だけが、圧倒的な規模で降る。現象の存在感は、世界そのものと対峙せざるを得なかった古代へと、否応なく我々を引き戻す。人間の秩序も、武器も、思考も、尺度も、バルンガには通用しない。分析そのものを拒否する圧倒的な存在に、人はヌミノーゼを感じざるを得ない。

ヌーメンを、ヌーメンのままにしておくことを、人は恐れる。
バルンガを怪物とみなす主人公も、神の啓示とみなす老博士も、ヌーメンに対する名づけを行っている点では、同じ場所にいる。原初的な宗教感情の発生プロセス。

どちらにせよ、バルンガはバルンガでしかない。人格も意図も、ない。
ヌーメンに恣意的な名づけを行ってはならない、というのがバタイユの思想だと私は解釈しているのだが、それは多くの人には難しい。
しかし、根本の部分で、合理的な回答を徹底的に拒否するものこそが神性なのである。

バルンガから50年。そういった存在には「怪獣」(というカテゴリー名!)が与えられ、人々はそれに対処する方法を練ってきた。キャラクター化し、矮小化する。ジャンルの中に押し込める。理解可能な世界の具現としてのヒーローを作り、そちらに希望を託す。
だが、どこまで押し込めても、怪獣はその本質であるヌーメンをさらけ出す。2016年現在、怪獣モノの最先端である「シン・ゴジラ」でも、やはり、本質は変わっていない。恐るべきゴジラは、恐怖の対象でありながら、畏敬の念を抱かせる。ゴジラによる火は、旧約聖書における神の怒りと同様に、意味不明であるがゆえに聖性をもち、そのヌーメン的性格を担保している。

ヌーメンから離れて生きられると思うのは、傲慢ではなかろうか。