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2F/当番ノート

カルマを知っているか

当番ノート 第34期

001-fin
最近ガンジス川のことをよく考える。というか、思い出したり思いを膨れ上がらせたりしている。
カレーがテーマのグループ展に参加すると決ってから、ずっと繰り返しインドのことを考えている。
今までずっと思い出すことなどなかったのに。

例えば、毎日通っていたラッシー屋さんから見えた8〜11人くらいの男達が花や衣装で彩られた死体を担いで、かけ声を掛け合いながら運動会さながらガンガーの火葬場に向かって爆走していく光景。カレーがとにかく辛いし肉は臭いしまずいしただただ辛いしで、横にあったピクルス的なものとトマトを口直しに食べたらそれはトマトでなく唐辛子的なもので辛過ぎてその場で泣き崩れた思い出。チャイを売るおっさん達の築地市場的なかけ声。駅に入るのには入場料が必要だとあきらかな嘘をつかれ一人の男につきまとわれたが「ユー アー ライヤー!」と言ってやったら喧嘩になり、その男を何度か叩いたノーガンジーな私。インド青年に話しかけられ、いい青年だと心を開きかけたら「ジャパニーズペニスはベリースモールだと聞いたが、僕はビックペニスを持っているので。是非トライしてみないか?」と謎の誘いを受け、私はただただ呆れて「死んでくれ」と日本語で言い放った時の情けないくらい小さく震えた己の声。寝台列車に乗ったら私の席の車窓だけ窓がなく、夜中寒過ぎて震えていたら同じ電車に乗ってた言葉の通じない人が哀れんで毛布を貸してくれたこと。列車で朝を迎え車窓の外を眺めているとカンカンを手に持ちながらこちらをむいて大便をするインド人達の顔、顔、顔。心細い旅行でやっと発見した日本人に安心し、煙草に火をつけたらその日本人が鬼の形相で近づいてきて「私アレルギーなんで、消してくださいます??」と震えながらブチ切れられたこと。夜に停電が起きるたび同じ宿のチベット人がドアをノックし「エリコ〜〜。カモーン」と甘い声を出し夜這しにくるのが怖くてたまらなかった暑くて暗い夜。

遥か昔。大学の卒業旅行にインドのヴァラナシに行った。
その頃の私はサブカル被れの痛々しいスカした美術大学生であった。高円寺むげん堂で買った服に(その頃は写真娘だったので肩から一眼カメラをぶら下げてたが、これもアレだよな)、どのような神様なのかロクに知らずにガネーシャの置物を部屋に飾り、絶えずお香を焚きながら横尾忠則、沢木耕太郎、小林紀晴の伝記を読み、藤原新也の「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というのにシビれてた。「バイトが休めない」「お金がない」という理由で10日間(デリー3日、ガンガー7日)のショート印度旅行を企てたが、本当は直前になってただひるんでいただけだった。

インド、ヴァラナシ。
ただ歩いているだけなのに、次から次へと客引きに合う。
「マダーム!プリーズ!マダーム!!」
断っても断っても次から次へと声をかけられ、断った奴等がずっと後を追ってついてくる。おまえさんは誰?何の目的で?とこちらから聞きたくなるような謎の理由でただ黙ってついてくる奴もいる。子供もつられてついてくる。まるでゾンビだ。よく喋るゾンビ。ウォーキング・トーキング・デットだもんで、地図を広げようと立ち止まると奴らに囲まれ一斉に話しかけられる。終いには客引き同士で「このジャパニーズ女は俺の客だ」的な感じで喧嘩を始める。ただひたすら面倒くさくて、怖くて、立ち止まることも出来ず、歩き続けることしかできない。
持って行ったのは2眼レフの普段使い慣れていない人からもらったカメラだったので、上蓋を開ける→覗いてみる→露出を計る→ピントを手動で合わせる→絞りとシャッタースピードを合わせて写真を撮る→フィルムを巻き上げる。なんて出来る訳もなく、私は一度も立ち止まることなく、写真なんか撮れる訳もなく、ただただゾンビをまくことだけに集中した。

歩いた。
歩き続けた。
3時間?5〜6時間?? いや、何時間歩き続けただろうか。
自分がどこを歩いているかまったく分からず、とにかくデタラメに歩き続けた。やっと人通りが少なくなってきたぞ!と思ったはいいものの、時既に遅し。
とりあえず屋根だけあるような小さな家から裸、もしくは半裸の子供達が15〜6人一斉に駆け寄ってきて「金をくれ金をくれ」と手をだし、しまいには服を掴んでくるので、私はますます怯え、
「ノー!ノーマネーー!!」と早足で逃げようとするも、ずっと追いかけてくる。
そこへ奇跡的にバイクタクシーが向こうからやって来るのが見えたので、向かってくるバイクタクシーの前に両手を広げて立ちはだかり「ぼくは死にましぇん」の武田鉄矢よろしく、こう叫んだ。

「プリーーーズ!!ヘルプ ミー!」

バイタクは私をひき殺す事なく止まってくれた。
もうすでにサリーを着た女性と女学生が2人乗っていたが、そんなことはかまっていられない。
ここがどこだかわからない。宿へどう帰ればいいかもわからない。もうすぐ日も暮れてしまう。

ガンガー近くのこのゲストハウスまで乗せてくれ。
それはトウー エクスペンシブだからもうちょっと安くできないか?
オー、ドント リーブ ミー。
アイ ノウ。
オーケー!オーケー!!ノープロブレム。
プリーズプリーズ
そんな必死な姿に女学生らにクスクスと笑われながらも無事にバイタクに乗る事ができた。(今思えば値切っている場合ではなかったのだけど)
しばらく走るとサリーを着た女性が降り、女学生2人が降りていった。しばらく一人でバイタクに乗る。
狭く混雑した道を異様なまでにクラクションをかき鳴らしながら、人をすり抜け牛をすり抜け猛スピードで走り抜ける。

こ、怖い。このスピード、ありえない。
この運転手、ヤバい奴かもしれない。いや、悪いやつに違いない。
きっとこの阿呆でマヌケな日本人の私はどこか薄暗く湿った場所に連れて行かれ、
身ぐるみはがされ、乱暴され、おもちゃのように殴られ、
そして私は死ぬのだ。
私の肉体は安価で売られ、さばかれ、鍋の中でいろんなスパイスと炒められカレーとなり、
明日にはインド人の胃袋の中、明後日にはインド人のウンコになってるだろう。

そんな最悪の展開を考えていると、私の顔が強ばっているのが運転手にバレたようで、私にバックミラー越しにキレキレの笑顔で話しかけてきた。
「オーケー!ノープログレム!!スマーイル!マダーム!」
そしてなにかつまみをひねったと思ったら爆音でインド音楽をかけ、「スマーイル!!」と叫びながら先ほどより荒い運転、上がるスピード、過度な蛇行運転、イカれたクラクション。

こ、こ、この運転手、正気の沙汰とは思えない。
やはり私は今日殺される。エリコ22歳。 私は今日死ぬのだ。
なんということだ。お父さんお母さんごめんなさい。インドなんか来なければよかった。
どうしよう。ここで飛び降りようか?
いや、このスピードで飛び降りたら危険だ。頭を打って血まみれ牛のウンコまみれになって死ぬことになる。
でも、このキチガイ運転手に殺され、カレーになり、インドウンコになるよりはましかもしれない。
くそう。さっきから見覚えのない道ばかり走りやがって!こんな道の先に私の宿があるとは到底思えない。
やっぱり飛び降りよう。そうしよう。そうしまひょ!
だが作戦を実行するまえに運転手に気付かれては元も子もない。
ここは「スマーイル!」にならって無理にでも笑ってあなたのことをとても信用していますオーラを醸し出し、
「こいつちょろいもんだぜ」と運転手が油断した隙に飛び降りよう。ナイスアイディーア。よしそうしよう。

バイタクは停車した。私の演技がバレたからか?しかしバイタクが止まったのは私の泊まっている宿がある見覚えのある通りだった。
無事に宿まで帰って来れたんだ。
嬉しい。
泣いちゃう。
生きてる。
良かった。
つうか、この運ちゃんめっちゃいい奴だったんだ。
怯えている私を不憫に思いあの手この手で笑わそうとしてくれたんだ。
なんて素敵な運ちゃんなんだ。
なんだよ〜
インド。
ヴァラナシ。
最高じゃねーか。

運ちゃんの優しさに救われた。
怯えることにも疲れた。
少しインドに慣れてきた気がした。

陽の暮れかけたガンガーを一人眺めていた。
少女が一人近づいてきて、絵はがきを買ってくれとお願いしてくる。私は「お金がないから買えない」と言った(日本語が堪能なインド人について行ったら財布がなくなったばかりだった。本当に金欠だった)。少女の歳の頃は10〜11くらいで私の出川イングリッシュよりずっと喋れてすごく賢そうな顔つきだった。それでも少女は絵はがきを買え買え、私は金ナイナイ。そんな押し問答に啖呵を切った少女がこう言った。
「ドォー ユー ノウ カルマ?」
「カルマ? オフコース アイ ノウ」と言ってみたものの、正直わかっていなかった。
少女は続けて私にこう話した。
「あなたは日本人学生で、私から見たらとても恵まれている。私は絵はがきを売って、学校へは行けない。
ユー ノウ、 ディス イズ カルマ。
恵まれた日本人のあなたはガンガーで私の絵はがきを買うのよ。それがカルマよ。そういうカルマの中に私達はあるのよ」

聡明な眼差しでそう説得された私はすっかり感動していた。ハガキを買う決意をし、隠れ腹巻きからお金を出そうと立ち上がると、どこから沸いて出たのか、それぞれに絵はがきや花輪などを持ったちびっ子達がこぞって笑顔で走りよってくる。ひぇ〜!こんな大量に絵はがきも花も買えぬ!!!と私は先ほどの決意を忘れ、また怯え、宿へ逃げ帰った。
結局絵はがきは買えなかった。

このように、私の旅は終始ひどいものだった。
とにかくずっと怯えていたのだ。
ビビっていた。チビりそうだった。泣いていた。
しかし必死でビビってないですよとスカした表情をして誤摩化していた。
だが、やっぱり誰がどう見てもビビっていた。
怯えていた。
自由になどなれなかったし、新しい扉などどこにもなく、硬く閉ざされた心。
自分探し?
臆病な自分が見つかった。
ガンガーは私のことなど呼んでいなかった。
ただそこにあって、絶えず流れていただけだった。

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namazu eriko

namazu eriko

1985年、八ヶ岳出身。
神奈川県在住。
絵/テキスト/デザイン
たまに酒場のカウンター

8月は荒木町アートスナック番狂せのグループ展「八月、番狂せ、カレーとTシャツの庭」に参加しています。

Reviewed by
木澤 洋一

namazu erikoさんの連載第2回目。なんと最高のエッセイだろう!タイトルからして癖になるようなフレーズばかり。僕は特に結末が気に入っている。

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