言葉なんて嘘っぱち

第34期(2017年8月-9月)

001-fin
ハロー エブリワン。
イェーイ!
元気ですか?
私は今どんなことを言葉にまとめようかなって、考えて選べずにいる。
いろんなことを書きたいと思うのに、気分が乗らなくて、上手にテキストにまとめられなくて、何か嘘をついて、どうにか締め切りを伸ばしてもらえないかなーと怠惰なことばかり考えている。テキストを書きたいと言い出したのは私の方なのに、本当に私はいい加減なやつ。
でもこうやって書き始めてみると、なんだかんだ言葉はでて来るし、人間やろうと思えばちっとは形になるよね、あははん。人生がそうであるように、行き当たりばったりに思いをツラツラカタカタと3回目の連載。

私はどうも人と、思ったように会話ができない。
だもんで、人と関係を歩んで行くのが苦手だ。
かつては初対面の人と話をしなければいけない際には顔が赤くなり、大量に汗をかき、動悸がし、何も喋れず作り笑顔で精一杯というような有様だったが、私は努力に努力を重ね、東京砂漠の黄砂にもまれ、初対面の人とどうにかこうにか顔を合わせ、上辺の会話ができるまでに成長した。
質問されたらだいたい答えられないし、こういう風に答えたら人は喜ぶのでは?と嘘をつくし、オモシロくなくても笑ってしまうし、というかパブロフの犬のごとく相手が喋ったら内容関係なく反射的に笑ってしまう。
「どこに住んでいるのか?」「何人家族なのか?」「どこ出身なのか?」と自分で質問しておいて何も頭に入らないし、相手に何を聞いたらいいかわからないし、まったく会話ってやつは難しい。健さんの「不器用ですから」という台詞で「不器用なこと」はこの上なくかっこいいと思えた時代があったが(気のせい?)、不器用であることはなんて生きづらいのだろう。
学生時代の私を知る、お姉様、お兄様達がこのように言う。
「当時は部屋の隅で何も喋らず、地蔵のようにただ固まっていて、気味が悪かった」
「エリコちゃんが人とまともに喋れるようになるとは、本当に大人になったね」と。

ずっと言葉に違和感があった。
幼少の私はどうもこの言葉というのが全て嘘っぱちに思えて、「言葉なんて」と言葉を軽視ししてきた。
今口に出したこの言葉と私のココにあるこの気持ちとは大きな隔たりがあるし、今あなたの耳に入って、頭に入って、咀嚼されたそれらの言葉は私の実際のこの気持ちとは全く違うじゃない。
言葉なんてただの言葉じゃん。
会話なんて無意味じゃん。
言葉というのは他者と意思疎通するために生まれたんだろうけど、
人には十人十色、さまざまな感情、思い、感覚がある。
だけど所詮「そんなの分かり合えっこないじゃん」と、私は幼少にして早々と諦めてしまったが、
その「そんなの分かり合えっこないじゃん」を前提のもと、「それでも伝えたい。理解して欲しい。知りたい。理解したい」という風に言葉が生まれたんだなぁということに気付いたのはつい最近のこと。

いぇ〜い!
そうだ。
感情はただの感情で、言葉にしなければ
流れる川のように、過ぎて行く時間のように、今ある感情も消えてなくなってしまうのだ。
言葉は知性だし、言葉は現実。
言葉にした瞬間に事実になる。
ピーース!

こうやって、デタラメで、まとまらない言葉を使って、恥をさらし、ヘタクソな文章を書いているということは、誰かと出会い、共有し、それでも、それでも、それでもどうにか言葉を、言葉を使って、、、いや、いったいどういうことだよ。まったく。私はなにを書いているんだ。でもいい。気にしない。ちょっと今回のテキストはアレだけど、これが今現在のわたしなんだなぁ。そうなんだな。これでアリな気がする。もう、なんでもあり。モハメドアリ。
言葉なんてただの言葉。
みなさん、また来週もここでお会いしましょう。