月がきれいだとか死んでもいいだとか

第34期(2017年8月-9月)

004-fin
「愛し合ってるかい?」
というのは日本人ロックンローラー忌野清志郎の有名な決め文句だが。
「愛し合っているかい?」というのはジョンレノンとオノヨーコが言う分には納得がいくが、
私達日本人にはどうも違和感があり、日常でそんなことを決め文句に使っている奴がいたら率直に言って野暮ったいし、
気味が悪いし、うざったいし、信用ならない。
なにかしらのセミナーに勧誘されるか、質問の意図がわからずに助平なことを想像してしまうし、はたまた「ええ、もちろん愛し合っています」と答えてはみるものの、はて、私は強く愛している誰かや物事があるのだろうか?と深い迷宮に迷い込んだり、はたして私は誰かに深く愛されているのだろうか?と疑心暗鬼になったりしてぐったりと落ち込んだりするので、大抵の人は「愛し合ってるかい?」なんて質問はしない。
だって、まるっきり馬鹿みたいだからだ。

結局の所「愛」が自分の中に取り込まれている人は少ないのではないかと疑っている。
「愛」という言葉は元々日本にはなかったらしい。(詳しいことはよくしらないが、ザビエルとキリスト教と一緒に日本に入ってきたのだろうと勝手に推測する。)
とにかく「愛」という概念が私達日本人のDNAには擦り込まれていないのだと思う。
夏目漱石が「I LOVE YOU」を「月がきれいですね」と略し、二葉亭四迷は「死んでもいいわ」と略したのは有名な話だけど、夏目漱石も二葉亭四迷も同じように「愛してる」という言葉に違和感があり、「愛している」なんて言葉にするのを阿呆らしく感じたのだと思う。
しかし「愛し合ってるかい?」と清志郎が言ってもイェ〜〜イ!となるのは、夏目漱石や二葉亭四迷の生きた時代よりはだいぶ現代でその頃には日本もアメリカ、西洋文化の影響を強く受けていろんな文化が開花した後だったし、言ってるのが何曲もの素晴らしい曲を生み出したカリスマ性のあるロックンローラーだからであり、常に時代の先端で歌っていたからであり、自転車に何百という大枚をハタき旅行をするような素敵な変わり者であるからして、「愛し合ってるかい?」というような言葉を使ってもすごくクールでホットでありがたい言葉だと感じられるからだと思うが、それって奇跡的なことで、「愛」なんていうのはなかなか言葉に出せないものである。

しかし愛について恥ずかしくて言えなかったことがある。

私の両親は「愛」という言葉をよく使う人達だった。
ふざけていたのかもしれない。
父が愛の言葉を使う時は「ア〜メマ!」と叫ぶ間寛平のような表情をしていたし
母が使う時は、タイのカラフルでファニーな大仏さんみたいな表情をしていた。
暗い部屋、爆音でムーディーな音楽をかけて手と手を取り合い、ダンスをしながら「愛」を囁き合っていた。
「私達が愛し合ったからあなたたちが生まれたのよ」とよく言っていた。
キモイ両親だと思うだろう。
いろいろとアケスケだった。
2人にとって愛というのは
最大のギャグだったのかもしれない。
もしくは本当に信じていたのかもしれない。
真相はよくわからない。
それは子供への見せしめのようなものだったし、
愛の乱用といいてもいいし、愛の無駄使いと言ってもいい。

そんな愛の乱用家庭環境で育ったからか、私達は「愛」という言葉をよく使うようになった。
私達、というのは私と弟のマーシーくんとショータくんのことである。
こんなことを告白すると、大概の人に「気持ち悪い」と非難されるに決っているのだが
私は弟達を抱きしめたり、頬に口づけしながら「愛してる」ということがある。
特にショータ君がベルリンに越してしまってからは会えない分メールの文面の最後に
「愛しています。」という一言を忘れない。
小さい頃からよく訓練されていたし、身体に擦り込まれていたのだからしょうがない。
ただ癖みたいなもので、ただのギャグみたいなもの。

なんだか「愛」という言葉を乱用した文章になってしまい、
これこそ阿呆らしいし、恥ずかしいし、信用ならない。

しかしなんだかむずむずと心の奥底からわき上がるこの我慢できない感じ。
そう。
ぶるぶるっと。
とってもとってもあなたに聞いてみたくなってきた。

愛し合ってるかい?と。