希望と復讐をたずさえて〜砂漠の女〜

第34期(2017年8月-9月)

私は砂漠の女である。

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てりたまバーガーの卵そっくりな半熟の太陽に、パキパキと音を立てて水がとび、乾き、飢える。
砂の道には時々ごろりと頭蓋骨が転がっており、「一歩間違えばこうなるな」とあぶら汗をかく。
過酷な場所では、覚悟する人間が勝つ。
もし不意に死んでも、未練に背を向けてクールに成仏しようと心に決めた。
頑張って道を進んで行くと、オアシスを発見し、溺れるほど水を飲んで木陰で休むことができる。
そして日が沈めば急激に冷え、夜露に足先がこたえる。

水はなくても、大きな波がある砂漠は、つらい。
翻弄される。
暑さ寒さだけではない。歩きにくいし、風が吹けば埃で先は見えにくいし、平坦な場所ばかりではない。
もし私のわずかな食料を奪うような輩が襲ってきたら、正義もへったくれもなく戦わねばならない。
生きることに血眼な相手の心臓を突き刺し、鼓動を守る。

でも、そんな砂漠でも、夜が慰めてくれる。
藍の幕にこぼれるを光を眺めて過ごす。
所有できないし、期間限定の石だが、本来ヒトは何がなくても、満足できるものなのかもしれない。
なのに私は足りない。それではまだ足りない。全然、足りない!

私は砂漠の女である。

手に取り、うっとり見つめる。そばにいて、実感できるものに。
会いたい。求められたい。湿り気のある引力に溺れたい。
そのためだったら、暴力的な殻に閉じこもる。

もうここから出られなくっても。
もう自分が自分でなくなっても。

砂漠は良い。

強烈な紫外線にさらされて、乾いて壊れて粉々になって、一部になれる。
全体になれる。
それは熱狂だ。

さぁ、今日も明日も熱狂しよう。
それが私の運命だ。
運命だと思い込むこと、それが熱狂だ。

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地獄のポエムから、こんにちは。砂漠に住む私はたかだまなみと言います。
もちろん砂漠は比喩で、いつもは東京にいます。
私の心の奥底が闇の力で砂漠を召喚したのか、
生まれるまえに「ア〜君ね、君は砂漠的な運命だからシクヨロっ!」と神様にあらかじめ決定されたのか……。
まぁどちらにしても、他人の凸凹道ストーリーってたまには面白いじゃないですか。
私の砂漠な物語を紡いでいきます。読んでくれると嬉しいよ!

アパートメントで過ごす夏の2ヶ月のテーマは「岐路」。
人生が路線変更した特殊な地点。
特に、フィリピンのミンダナオ島での生活にフォーカスしますが、まだ出てきません!笑
読者の皆さんには、ある女の視点から暑い砂の上を歩いていただきます。
それでも「わからん。この女はわからん。」
ということでしたら、普段書いてる私の記事など読んでみてください。

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人生の岐路、それは決断の0.00001秒後にある。
岐路の話ならば、まずヤング時代の決断(諦めも含む)を話そう。

小学校の卒業文集で書いた「将来の夢」は、獣医と音楽関係の仕事だったと思う。欲張りか。
獣医になりたかったのは小学校1年生のときに見た、殺処分される犬猫の写真展の影響だ。(なぜそんな所に行くことになったのかは不明。)

小さい頃両親にディスニーランドに連れていってもらったことや、花畑でピクニックをしたことなどはほとんど覚えていない親不孝者で、「あそこ行ったの覚えてる?」「いんや、覚えてない。」と返事をするたび、(ワガママ娘を苦労して連れてったのに……。)と彼らの肩を落とさせた。

しかし恐怖に怯える子犬や、夥しい量の死骸の写真は、脳みそに鮮明にプリントされてしまったのか、毎晩夢に見、やがてお日様の出ているじかんにも侵食してくるようになった。
感受性が豊か、とは思わないが、強いのかもしれない。
なんの罪もない子犬が、母犬とはぐれて絶望し、挙句の果てに窒息させられてゴミのように扱われることを、眠る前にその子犬の視線になって丁寧に丁寧に考えて悲しんだ。
そんなことがあってはいけない、と犬猫殺処分反対を呼びかけるスローガンをいくつも作った。
小学1年生にしては、なかなかできている。政治家になった方が良かった。

私は獣医になると決めて、小学生のうちに北海道の大学に行くと決めた。
だけど決定的に欠けているものがあって、私は極度の血や骨嫌いなのであった。(血を見ると過呼吸になる。)
理科準備室には小学生のうちは入れなかった。(しかも理科の時間、人体模型が怖くて泣いていた。)
祖母に「動物の世話だなんて!」と反対されたのもあり、口に出して言うことはなくなったし、
良い子の私は祖母の希望通り、音楽大学に入学した。

もう一つの夢「音楽関係の仕事」については、音楽大学に入学してささっと叶えよう……とはいかず、才能がない上に努力するのも嫌いで、音楽は苦痛でしかなかった。絶対音感を生かして楽譜を作る仕事をしたこともあったが、卒業と同時にグランドピアノもアップライトピアノも売り飛ばして、非常にせいせいした。付き合った人と別れるのと同じで、跡形もなく、痕跡を残さない。殴って追い出す。素晴らしい始まりのためだ。笑いながら殴らなくてはならない。

やがてサラリーマンとして就職した。
上司に「お金があったら何をやりたいか」と聞かれた。
「私は猫おばさんになりたいです。」と答えていた。
「殺されそうな猫を引き取って、育てるんです。」

でもその頃には、溢れる金が動物を救えるわけではないと思っていたし、私にできることはほとんどないと考えていた。
人間が自身のエゴに気がつかなければ、悟らなければ、動物をどうこうするのは無理なんだ。
そもそも動物を管理しようというのが間違っている。
問題は大きすぎ、人間は弱すぎ、私が生きている間に根本解決は不可能だろう、と。
今は拾った猫を自分の家の子にならないか、とスカウトしたり、動物シェルターに寄付するくらいだ。

無限の可能性から一つを選んで、どこかで諦め、別の道に進む。
常識が嫌いで藪をかき分けていると、いつの間にか砂漠地帯になっている。
(レールの外は砂漠なのです。)

音大出のお嬢様になって欲しかった祖母の願いを裏切って、貧乏コラムニストをやっている。
(その原稿料も寄付してしまっている。)
どこへ行くんだ。

でも砂漠に希望がないわけじゃない。
私には復讐しなくちゃいけないことがあるから。
オアシスだってたまにはある。
少なくとも復讐が果たされるまで、立ち止まることはない。
希望と復讐をたずさえて、砂漠を今日もゆく。

<続く>