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2F/当番ノート

自分だけの記録が語るとき

当番ノート 第36期

ふと、携帯に残っている服飾の学生時代からの写真をざっと見返してみた。

たいがいそれらはどれも微笑ましい。

スマートフォンで写真を撮るというのは基本的には良い思い出を残すためにするし、思い出したくないことと関連するものは後から消してしまえるからというのもあるだろう。

楽しかったこと、感謝していること、心動かされたことをたくさん思い出せる。

 

ものを作る純粋な喜びを知ることができた。

学生時代を一文に要約するとしたら、今の自分はそう言うだろう。

全てが稚拙だったとはいえ、自分が何をしているときに喜びを感じるか、服における何が好きかをよく掘り下げることができたのは、今思えば服を作る技術を学んだこと自体よりもさらに大切な経験だった。

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最近までのことを写真だけでなくもっとよく振り返りたくて、今度はたまにつけていた日記を読み返した。

のだが、最終的にぐったりしながらそのノートを棚の奥へ押し込む羽目になった。

 

若くて痛々しくて自分で読むのも恥ずかしいなと思いつつ読み飛ばせていたのは最初のうちだけで、自らどんどん不幸になっているというか、自分で自分を追い詰めているような言葉ばかりでひどくつらくなってしまった。

携帯に残っている写真と、これは本当に同時期の記録なのか。

 

苦しくなってそれを吐露した内容(ばかりではもちろんないけれど)を見ていると、自業自得なこともあれば運が悪かったなと思うこともある。

いずれにせよ人の役に立たなければ、人に認めてもらい価値がある人間だと評価してもらわなければ、そういうようなことばかり意識している人間の文章だ。

それで認められなければ生きていく意味がないと思っていたからだ。

元々はあんなに喜びを持って、ものを作れていたというのに。

 

職場で学生時代のように自分の手を動かして服を作っていたわけではなかった。

それがとにかく、向いていなかったのだと思う。

私が主体性を持って仕事ができるようになったのは、仕事を楽しいと思えるようになったのは、結局、自宅で衣装を作り始めた後だった。

 

鬱々とした状態で日記を書くことが少しずつ減り、好きなことをして生きるぞと開き直ったように思えるようになってしばらく経った頃、アパートメントの一年前の連載が始まった。

 

人生の中でいつ何を学んできたか、大切なことなら尚更、いつでも分かっていると思っていた。

時が経ってから振り返るときに初めて、自分が何を経験していたのか知ることがある。

誰にも見せる予定のない日記をつけておくことで時折、過去の日々からでも違う何かを得ることがどうやらできるらしい。

少なくとも私の場合、良かったことだけ思い起こせる写真や体裁が整うように書いてどこかに公開した言葉は、その役を担えない。

 

ちょっとこの日記は自分としては地雷じみていて、さすがに捨ててしまいたいけれど。

でもそんなことをしたら、未来の自分が怒るかもしれない。

ぜんぶ大事なのに!と。

しかし当分読みたくはないので、とりあえずは棚の奥に押し込んだままにしておこう。

 

黒井 岬

黒井 岬

服を作る人。
1993年、新潟県生まれ。2011年より東京に移り、専門学校に4年間在籍し服飾を学びながら作品を製作する。
自主製作のほか、ミュージックビデオ、映画、ダンサーなどの衣装製作を行う。

Reviewed by
kuma

過去の自分が何気なく残した言葉たちが、まるでかつての残光のように、今の自分の中心をつらぬくことがある。それは時として痛ましい。でもその痛みは自分だけに伝う、得難いものでもあるのだと思う。

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