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2F/当番ノート

「自信がない」ということ

当番ノート 第23期

「自信がない」

これはもう、よく聞く言葉であり、僕自身もよくそう思う。

自信がある人は何が違うのだろうと。

基本的にうじうじした性格の僕だから、自信に満ち溢れて行動する人を見ると本当にすごいなぁと思う。

今日もまた、お家の中で「自信」について話題に上がった。

人一倍「自信がない」病で、そのくせ自信を持っちゃうとすぐ調子にのって失敗してしまう。

僕はそんな感じ。名付けて「うじうじ自信欠乏症」

そんな僕なりに、現実逃避に向かう自分をなんとか出し抜いて生きてきた。

今回は現在に至るまでの人生という失敗潭で学んできた「うじうじ自信欠乏症」の傾向と対策について振返ってみます。

ちょうど季節も変わり目、一気に冷えてきたこの時期。
なんとなく、区切りをつけて省みるにはいいタイミング。そんな気がするのです。
今後の自分のためにも。

もちろんこれから書くことは、なんのこっちゃという人には超なんのこっちゃだと思う。

(僕も出来るならそっちの世界の住人になりたい)

けど、同じうじうじ界の民である仲間達に、(一人でもいいから)ささやかな正方向への心の揺らめきになればと思う。

まずは、学生の時に自分に自信が持てず、相変わらずうじうじしていた時に尊敬する友人からもらった言葉を紹介したい。

僕はその頃、就活するにあたって自分のこれまでしてきたことを洗い出しながら、渇望している自信の材料を探していた。不思議と何か一つ自信の材料を得たとしても、まだ足りていない気がしてもっと材料を探して。
気づかぬ内に僕は自信材料欠乏症のような状況になっていた。いわゆる「自信がない」状況だ。

こうなると不思議なもので、何に自信を持ってよくて、何に自信を持っていけないのかわからなくなる。
自分でわからないから、自分の外にある価値の定められた自信材料、例えるなら資格とかに手を伸ばしたくなる。そんな自信に飢えた状態の僕に、友達が一つアドバイスをくれた。

「自信は持つものだよ」

最初は意味がわからなかった。
今も意味が分かっているかというと、まだ至らぬ領域がある気がしてならない。

僕なりの解釈でいくと、こういうことだったのだろうと思っている。

「自信は探してどうにかなるものではない。それでは充足されることはない。そうではなくて、どこかで区切りをつけて不確定な状況においても、意志を持って自分を信じると決めること。自分を信じているという状況をいくらか乱暴でも、不安要素を飲み込んで無理矢理作ることなんだよ。」

僕みたいなうじうじ星人は、何かを決めることが難しい。これは今も悩みだ。

あーなったらどうする。あの人はどう思う。そんなことを無限回廊行き渡るほどぐるぐる考える。

とりあえずある程度のところで決めて、状況が変わればまた後で検討して変えればいい。
うん、それは頭では分かっている。ただ、それができないで悩んでいるだけなのだ。

何かを決めることができない僕たちにとっては、外的要因が固まって、もうこの選択肢しかないよね!となるのが実は一番望ましいと思っている。もちろんそれが良い決まり方でないとは知りながらも。

だから自信を持つために材料を集めて、これだけ材料が集まれば自信が持てるという環境を目指す。
しかしこれは結局のところ、決めることからの逃げ。不確定なことをすることからの逃げ。

傷つくことからの逃げ。ただそれだけだ。

そういうわけで、いくら探しても顔を出してくれない自信君のことはある程度で割り切って、わからないけど、自信を持った自分を演じようと決め込む。そう、決め込むしかないようだ。

自信はその人が優秀かどうか、というより、意志の持ちようということのようだ。

「意志」というのは次の課題になるのだけど、それにはついてはまた別のタイミングで落とし込みたい。

何はともあれ「自信は持つもの」というあの時のアドバイスは、今も僕を助けている。

アドバイスしてくれた彼は、ファーストキャリアを終えて、某社会企業の代表となった。

彼ならきっと社会を良い方向へと進めていくインパクトを起こせるだろう。本当にそう思います。

そんな自信のない僕が自分なりに考えたおまじないのような自信の持ち方がある。

(結局不確定なことに真っすぐ向き合うようなタフなことではないけれど)

その方法は軟弱な精神の僕でも、できる(というか無理矢理納得させる)方法だ。

「自分を信じてくれる人のことを信じる」

説明しないとよくわからないですね。

ここでいきなりですが、昔学校で習ったベクトルをイメージします。

➡を”信じるベクトル”とします。

自信は自分を信じるだから、この状況を図示すると、

自分➡自分

じゃあ「自分を信じてくれる人のことを信じる」はどうでしょう。

信じてくれる人を○○とすると

自分➡○○、○○➡自分

つまり、自分➡○○➡自分=自分➡自分

つまりは「信じる人」に一旦自分と自分の間に助けに入ってもらうんです。

不思議なもので、自分のことは信じられなくとも、人のことは信じれたりするもので、

「自信がない」発作が来た時に、瞬時にこの「○○は僕を信じてくれている」それに応えなきゃとがんばっちゃうものです。

自信がないなりに、そんなことを考えながら日々を生きております。

さぁて明日もがんばるか!

吉助

吉助

大人になっても置いて来ることのできなかった幼さや少年性が、僕の中に図々しくも未だ居座っている。彼らが完全に居なくなるのは寂しいが、日常つきまとわれていたのではどうも効率が悪い。働き詰めで生きていると、どうしても彼らの居場所というのは無くなっていく。
今回アパートメントで連載させて頂くことになり、どういう形で入居しようかと考えていた。そうだ、彼らの居場所を作ってあげよう。

大人になっても消えない内なる少年たち。
彼らが見た感じた思いつることを、ゆるゆると。

自分の弱さと素直な希望に向き合う、そんな部屋。

Reviewed by
美奈子

火曜の新連載に、吉十郎さんを迎えます。自信、とはどういうことか、自信がない、とはどういうことか、一つ一つ丁寧に向き合います。
まるでエッシャーのような、思考の無限回廊にも、確かに出口が存在するのだという、勇気をもらえます。

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