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2F/当番ノート

青山ブックセンターとGalaxie 500

当番ノート 第54期

「ポップミュージックというものは、いつ爆発するかわからない時限爆弾みたいなものだ。爆発するのはいますぐじゃなく、遠い未来かもしれない。でも、いつかどこかにいる誰かのところに届くことを信じて曲を作るんだ」

昔読んだ音楽雑誌で、誰かがそんなことを言っていた。誰が言ったのかもう忘れてしまったし、ほんとうにそういう発言が存在していたのかもはっきりしないのだけど、ずっと記憶の片隅にある。

音楽だけでなく、多くの創作物についても同じことが言えるはずだ。いつかどこかにいる誰かのところに届いて、爆発するかもしれない。たとえそれが、100年後の誰かただ一人、だったとしても。

それにしても、「いつ爆発するかわからない時限爆弾」とはずいぶん悠長な破壊兵器である。

こんなことがあった。

だいぶ昔、町田に住んでいたころの話だ。新宿のコールセンターでアルバイトをしていた私にとって、タワーレコード新宿店と、ルミネ2の青山ブックセンターは安心して居られる「逃げ場」のような場所だった。

就職氷河期のころ、「就職活動は地獄である」といううわさを聞いたので、地獄を回避すべく全力で就職活動から背を向けて、アルバイトをしながら実験音楽やインディーズミュージックのECサイトを手伝っていた。将来どうやって暮らしていこうか考えたり、考えなかったりしながらぼんやり暮らしていた。

コールセンターの仕事をしていれば、電話の向こうからきつく叱られることもある。たいていの場合、自分がしたわけじゃないことで怒られる。電話応対の本数や成果なんかが全部数値化されていて、成績優秀なオペレーターのランキングがずらっと発表されたりする。コールセンターというのはコミュニケーションの工場であり、戦場みたいなものだから、効率性が求められる。効率的に怒られたり、効率的にうっとおしがられる必要がある。仕方がないとはわかっていても、残念ながらわれわれは機械ではないから、だんだん気持ちが、心が、すり減っていく。

すり減っていくとどうなるかというと、削りすぎた鉛筆みたいになる。鉛筆の芯がむき出しになるように、神経がむき出しになって、すこし力を加えるだけでぽきっと折れてしまいそうになる。

もしバンドを結成するとしたら、「削りすぎたペンシルズ」という名前にしようと思っていた。

そういったわけで当時の私は、削りすぎたペンシルズ(仮)の唯一のメンバーとして、げっそりとした気持ちでアルバイトを終えると、一刻も早く安全な場所に逃げ込みたくて、タワーレコードや青山ブックセンターに通っていた。

あるとき青山ブックセンターで、当時興味を持っていたシュルレアリスム関連の本をぼんやりと探していた。

エドワード・ゴーリーの本をぺらぺらめくったり、マックス・エルンストの本を手に取ったりしていたら、ふだん店内BGMを聴いているつもりはなかったけれど、意識していない部分でじつはそれなりに聴いているのだろう、知っている歌が聴こえてきた。一瞬たって、その曲がGalaxie 500の“Blue Thunder”だと気づいた。感情のどこかの部分が、ぱん!と音をたてて風船みたいに破裂したような感じがして、涙が出そうになった。

もともと、良い曲だなあと思っていた。けれど特別な思い入れがあったわけではなかった。

なぜ気づくまでに一瞬の間があったのかというと、単純にぼんやりしすぎていたからかもしれないし、この曲を外で聴く機会があることをまったく想定していなかったからかもしれない。Galaxie 500の音楽は、誰かといっしょに聴いて気分がよくなるような音楽ではなくて、夜中に一人、人知れず聴いてちくちくした気持ちを鎮めるような類のものだと思っていたから。

その曲がかかった理由は想像するしかない。でも、青山ブックセンターの店内で流れたGalaxie 500の“Blue Thunder”は、自分のためだけにかけられた音楽のように聴こえた。青山ブックセンターという場所だからこそ、そんなふうに感じたのかもしれない。

私は、ひとつの音も聴き漏らさないように耳をすました。

「ポップミュージックというものは、いつ爆発するかわからない時限爆弾みたいなものだ」

その言葉の意味が、わかったような気がした。

それから、新宿ルミネ2の青山ブックセンターはある日とつぜん閉店して、ブックファーストになった。しばらくたつと、あの場所から書店自体がなくなってしまった。

書店でなくてもいいし、CDショップでなくてもいい。ただ、「非効率」も肯定される場所が、街からなくならないことを願っている。

佐伯享介

佐伯享介

青森県出身。SFと文学と犬と猫が好き。

Reviewed by
辺川 銀

歌を録した時とか、詩や物語をしたためた時とか、絵を描いた時とか。瓶に詰めた手紙を海に流しているような気分になる。いつか誰かに届きますようにと、祈りを込めながら。

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