春梵のこと

第36期(2017年12月-2018年1月)

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恋人と知り合ったとき、自分はこういう人と出会うために生まれて生きてきたのかもしれない、と思った。

浮世離れした人だ、という印象を最初に持ったのを憶えている。

直接会って言葉を交わした人の中で、浮世離れしているなどと思った相手はあまりいない。

たくさんいたって困る。

知り合ったあと、私たちはときどき何人かの友人たちと共に食卓を囲んだり、映画を観たりした。

コンビニでお酒を買って飲みながら、あても無くぶらぶら歩いたりも。

抽象的な話も、くだらない話もした。

それぞれが美しいと思うものの話もよくした。

相手と自分が同じ感受性を持っているかのように共感できるときもあれば、ちっとも理解できないときもあった。

 

上手く言えないけれどその人は、他所から与えられるものさしを当てにしたり輸入せず、自分だけの鏡のようなものを自身の芯に持って世界に触れているようだった。

誰でも多かれ少なかれ他人に左右されない価値観を持っているとは思うけれど、その人のそれは私の知っている誰よりもはっきりとしていて、それでいて繊細だった。

けれど誰かの考え方を否定することはしなかった。

外の世界に対するそういう姿勢は、色んなものさしを他所から借りてばかりの私には最初からひどく刺さった。

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とても生きやすそうには見えなかった。

願うまでもないことだけれど、私はその人にどうかそのまま生きていてほしいと思った。

何をどういうつもりでか自分でも分からないけれど、その人のために自分が死んでしまっても良いとさえ思った。

そう見えた理由は省くけれど、その人は命にあまり執着がないようだったから。

一緒に生きるとか支えるような関係として、私がその人のためにできることは何もないだろう。

無理に関わりを持ち続けようとすると、相手の大事ななにかを損なうような気もした。

私は私のしたいように、自分の命を存分に生きなければいけない。

あの人も自由に生きているのだから。

 

妙な感覚だった。

もっとよく知りたいなと思う反面、少し交換した言葉だけで何かが満ち足りたような感じも覚えていた。

人生でそうやってあと何回会えるか分かったものじゃないけれど、お互いの人生をそれぞれ生きて断片的な思い出を共有しながら、それぞれの折で死ぬときが来るだろう。

 

そんな風に思っていたので、なぜかどうやら両思いらしいと知ったときは拍子抜けした。

この人はなにか勘違いをしているのではと思った。

向こうも驚いていたらしく、当時を振り返って「後ろから刺されたようなものだ」などと言う。

 

先のことは分からない。

私も恋人も、未来のことに関して大きな約束を作ることはあまりしない。

今は一緒にいることをたまたま二人とも選択しているけれど、いつか恋人同士でなくなることがあるかもしれない。

そうなっても人生は続くし、出会えたことに意味があったと信じている。

その人のことを知れたことが私のいちばんの幸せだ、と思う。