みんながなんかをくれるらしい

第36期(2017年12月-2018年1月)

魂のどこかが繋がっているかのような、心が不思議に近しく感じる種類の友人が、ここ一年ほどで数人できた。

そのうち一人は、同い年の女の子だ。

私たちは同居人だった。

今年の春先に、東京のとあるシェアハウスに3ヶ月間だけ住んでいた。

元々実家に帰る予定だったのだけれど仕事の都合などもあって、どうしてももうしばらく東京に留まる必要があった。

留学を控えていて、ほとんどのものを実家へ送り、仕事の道具と少ない荷物だけ持ってその古い一軒家に移り住んだ。

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奇妙な共同生活だった。

そう振り返るのはひとえに、同居人たちが不思議に面白い人たちばかりだったからだ。

彼女たちは同じ世代の若者に(平均的には)あまり馴染みがなさそうな嗜好や特技をそれぞれ持っていて、一般的には「変わった人」と言われそうな風だった。

彼女たちはよく笑い、未知の仕事や表現を尊敬し、学ぶことを愛し、好きな音楽が聴こえれば踊り、心地良く暮らすために色んなことを工夫する。

好奇心旺盛で、私が自室でミシンを動かしていると時折顔をのぞかせて仕事を見たがった。

冒頭の同い年の彼女とは特に生活時間が似ていたせいもあり、ほぼ毎日のように居間のこたつでお茶をすすりながらなんでも話した。

ほんとうに、なんでも。

知り合ってたまげたのは、彼女の「わからない、理解できないこと」に対する「知りたい」と思う気持ちのすさまじいことだった。

彼女は数年前に、海外のとある地方の人々が愛する歌があると知り、演歌のようなどちらかといえばお年寄りに好まれそうなそれらの歌がどうしてこんなにも老若男女みなに深く愛されるのか理解できなかった。

好奇心に突き動かされるようにしてそれらの歌の歴史について調べ、どういうわけか今、彼女は監督としてその歌についてのドキュメンタリー映画を作っている。

そしてどんな努力をもってしてか私には想像もつかないことに、彼女はその地方の言葉を勉強し、映画製作にあたって使っているのだ。

打ち合わせだと言って家の居間でスカイプを開き、異国の人と全く分からない言葉で話す彼女を思い出すたび、英語の勉強で頭を抱えてばかりな自分を奮い立たせなければと思う。

話を聞いていると、ドキュメンタリー映画製作というものは想像以上に過酷なようだった。

彼女は一緒に暮らしていても、お世辞にも体力があるようには見えなかった。

撮影のため何度か渡航してハードなスケジュールをこなすたび、体調を崩してよれよれになっている。

けれど渡航先で出会った人や聞いた言葉のことを、大切そうに教えてくれる。

良い出会いがたくさんあったんだね、と言ったときに返ってきた言葉が忘れられない。

「みんな、なんかを私たちのためにくれるんだわ」

そう彼女は言った。

目の前に現れた心惹かれるものや人には出会うべくして出会っているのだということ、そしてそれらをいつか何かに結実させることを自分の使命のようなものとして信じていること。

そうやって生きていこうね、というメッセージのようなものを私は彼女と過ごした時間の中から、あるいはもしかすると彼女を通したもっと大きな何かから、たしかに受け取ったと思う。

あなたも私に、「なんか」をくれたよね。

遠く離れた今、それはいっそう鮮明に私の中に存在している。

こんにちは。

一年ぶりに、アパートメントで書くことになりました。

いま私はカナダで英語を勉強しているところです。衣装作家の仕事は、しばらく休業中です。

また2ヶ月間、どうぞよろしく。