絶対他力

第38期(2018年4月-5月)

2016年の6月に、ペルーへ行って先住民の儀式に参加しました。その経緯を書いてみます。

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刺繍をするようになって思うのは、どんな大作も、ちいさな1ステッチの集合だということだ。布の裏から針を刺す、表からまた針を刺す。その繰り返し。
ステッチの種類はいろいろあるけれど、複雑に見える図案も、ひとつひとつ分解していくと単純作業の繰り返しによって成立している。
この世界はなんだってそうだ、だから根気さえあれば、大抵のことは成し遂げられる。刺繍を通して、そう思えるようになった。そう例えば、地球の裏側へ行くことだって。

最終的にペルーへ行ければ、それは何年先でも良いと思っていた。ちいさな行動を淡々と重ねていく事、それが心の中にお守りのように、ちいさな光を灯してくれる気がした。
本屋さんでガイドブックを買い、それを眺めては空想し、YouTubeのスペイン語講座を聴きながら刺繍をした。アヤワスカについて書かれた数少ない本を少しずつ集め、Koochewsenのライブに行く度にリヨさんに2つ3つ質問する。
リヨさんは「ペルーに行かないで」と歌っているだけに、決して積極的にペルーへ行くことを勧めたりはしなかったが、質問には親切に答えてくれた。
それまでほとんど家に引きこもっていた私にとって、とても刺激的な楽しい日々だった。

前向きな気持ちは作品にも伝わるのか、不思議と作品の売れ行きが良くなった。大きなデパートの催事に呼ばれ、個展の話が舞い込んだ。
2016年の3月に行った個展で、いちばんのネックだった旅費を賄えるだけの売り上げを達成してしまった。しかもお客様の中に、ペルーに行くならここに泊まるといいよ、と教えてもらった宿の主人の知り合いの人がいたりもした。

これはどうも、ペルーに呼ばれているのかもしれない。
単純な私は本気でそう思い始めた。調子に乗って期限が切れていたパスポートを更新し、スカイスキャナーでペルーまでの安い飛行機を検索した。3ヶ月以上先だと、飛行機代がかなり安い。
6月頃だと日本は梅雨だけれどペルーは乾季である。アマゾンへ行くのに最も恐れていた、スコールの襲来や蚊の大群も、乾季なら比較的ましなはずである。今ここで飛行機を取ったら、3ヶ月後にそれに乗ったら、本当にペルーへ行ってしまうのだ。そして今、それができるだけのお金がある。あとは予約のボタンをクリックするだけだ。

私はあっけなく予約ボタンを押した。もとよりいつ死んでも良いという気持ちでいるのだ。同行者のいない旅先でどんなトラブルがあろうと、それを被るのは自分だけなのだから気楽だ。気がかりなのは残して行く夫と、個展で受注した作品を必ず作ってお客様に届けなければならないという事だった。

・夫のこと

夫は最初反対していたが、私の意志を尊重してくれた。もともといかなる理由においても、(それが 愛しているから、という理由だとしても)他人の自由を制限するということのない人なのだ。
生まれつき心の美しい人というのが存在するとしたらそれは彼だと思う。出会って10年近くになるけれど、彼が他人を悪く言うのを聞いたことがない。口数は少ないけれど表情が豊かで、皺くちゃの目尻はユーモアたっぷりだ。
もともとは絵描きだったが、今は塗装業で壁を塗っている。
仕事中に何を考えているの?と聞いたことがある。
「ここを早く綺麗に塗ろうって考えてる」
と彼は答えた。
「その次は何を考えるの?」
「今度はこっちを早く綺麗に塗ろうって」
それは私にとって、ぱちん と指を鳴らしたくなるくらい美しい答えだった。なにかをする時に、余計なことを考えず、変な気負いもためらいもない。さらさら流れる小川みたいな人。
この型破りで愚直でひたむきな同居人のおかげで、どれだけ私の精神は健康になったことだろう。
私はこの人と暮らしていくのなら、心の底からまともになりたかった。まともっていったいどういうことなのか、イマイチわからないけれど…

とりあえず生きて帰って来られるように可能な限りの備えをしようと、予防接種をし、アウトドアグッズを買い揃えたが、なによりも心配なのはやはり儀式の事だった。
精神に強力な働きかけをするアヤワスカ。ネットで拾い読みした体験者のブログの中には、儀式の際に悪霊に取り憑かれたり、体験後人が変わったようになってしまった者がいるという記述もしばしば見つけた。

私は急に心細くなって、ネットや書籍でみつけた体験者の連絡先に片っ端から連絡し、メールで質問に答えてもらい、直接話が聞けそうならば行って話を聞いた。
連絡がついた体験者の方は、みんなとても気さくに質問に答えてくれた。そして皆、口を揃えてアヤワスカを飲んだことは自分の人生にとても大きなものをもたらしてくれたと言った。何年も前のことなのに、日に日にその記憶が鮮明になってゆくと言う人もいた。

・先生

先生には、そんな体験者の中でも特にお世話になった。残念ながら今は連絡が取れなくなってしまったため詳しい説明はできないのだけれど、アヤワスカなどの幻覚性植物や文化人類学を専門的に研究している人である。
ペルーのアマゾンでアヤワスカを飲んだこともあるし、原住民族のシピボ族の村に何ヶ月も滞在し、彼らと生活を共にした事もある。

「サイケデリックスを摂取する際、心の持ちようはとても大切です。これは飲んではいけないものだとか、悪いことをしている意識があるとバッドトリップにつながります。必ず良い旅ができる、自分はすでに天国へ続く道に立っているのだと信じること。」
先生は言った。それは仏教の「他力」という精神にも通じる。「他力本願」の他力だが、他人任せにするということではなく、己の計らいを捨て、仏の加護を完全に信じ切るという意味だ。全ておまかせして、安心しきっていて、先を案じない心持ちでいること。これは簡単なようでいて難しい。

最近ではアメリカのいくつかの州で大麻が解禁になったりしているが、日本では向精神薬の類は「ダメ、絶対」と教えられる。向精神薬と言っても、たとえばコカイン、ヘロインなどと大麻やLSDでは全く違う物質、違う作用なのだが、全て同じようにヤバいもの、という認識が流布されているのが現実だ。私もずっとそう思っていたし、アヤワスカに対しても同様の偏見を少なからず抱いていた。
実際にはアヤワスカには依存性や致死量は無く、ペルーにはアヤワスカを使って薬物依存患者の治療をする施設もある。それでも今まで一度もサイケデリック体験をした事のない私はなかなか恐怖心を拭い去れなかったし、グッドトリップとかバッドトリップとかいう言葉もピンと来なかった。

「アマゾンへ行く前に、一度安全な環境で、軽い旅を味わって、感じを掴んでおけたら良いのですが。どうでしょう、日本にいる間に、合法なサイケデリック植物のお茶を試してみるのは」
先生のこの提案は魅力的だった。正直、知り合って間もない男の人とそんな事をするのは不安があったが、それなりに社会的地位のある人だし、悪い人でないという直感もあった。それに、死んでも良い覚悟でペルーへ行くのだ。このくらいのことでひびっているわけにはいかない、という気持ちもあった。
何日か考えた末、私はこの提案を受けることにした。