関西弁スイッチ

第43期

10。生まれてからこれまでにした引っ越しの回数。ほとんど二年に一回のペースだ。

ある場所から別の場所へ住居を変えるというのは、なかなかに労力の要ることだと思う。荷物をつめたり、電気ガス水道を契約し直したりといった引っ越し作業はもちろん、お世話になったみなさんに別れを惜しむ挨拶をし、新しい土地に移ってからは、見慣れた景色へのノスタルジーを愛撫しつつ、そこにあるコミュニティーになるべく早く順応する。これは普通に考えて、結構体力の要る話だ。

高頻度で引っ越しを繰り返していた私たち家族にとって、どの家も「仮住まい」だった。引っ越した時点で次の引っ越しがわずか数年先に見えていたので、新しい家で段ボールを開封する際には、次回の引っ越しのときに梱包がしやすいように配慮しつつ家具を配置していた。引っ越しの労力をなるべく小さくするための省エネ作戦である。

それと同じように、引っ越しに伴う「周囲の人間の総入れ替え」を小さいときから繰り返したおかげで、私には幸か不幸か、引っ越しに向いた人間関係を作るクセがついた。「幼馴染」みたいな、「お互いのすべてを知り尽くしている」ことが絆の深さに翻訳されるような関係の相手が、おそらく私にはいない。逆に、新しく出会った人たちとは、あくまで「一時滞在者」として付き合う、という意識が強かったし、今でも強い。

一時滞在者として付き合う、というのはこういうことだ。たとえば、Aという土地からBという土地に引っ越し、次にCという土地に引っ越す。Bにいる間は一貫して「Aから来た転校生」であり続けるのだけど、Cに移ると「Bから来た転校生」として紹介される。つまり、その土地の人たちからの「よそ者」に対するまなざしによって、私の「本来的な」アイデンティティが次々に変遷するのである。こういう中で、自分の人格の複数の側面を上手く使い分けたり、その分裂を楽しんだりするスキルが身に付いた。スキルというよりヘキといって差し支えない。そこには、「あなたは私のこと全部を知っているというわけではないので」というふうに、相手とドップリ100%の相互的な信頼関係を築くことに対する、ささやかな拒否・諦めと同時に安心感がある。こういう孤独っぽい安心感は、誰もが今まで一度は(とくに中学生くらいのときに)経験したんじゃないかと思う。私はこの感覚をいまだに濃厚に引きずっている。

兵庫県に生まれて、そのあとすぐに県内で引っ越しをして、そのあとさらにまた引っ越しをして関東地方に移った。関東でもいくつかの町に住んだ。関東といっても、住んだ町はどれも、いわゆる都心の周りを囲んでいるベッドタウンだったので、私の知る限り、標準語に対置される特徴的でローカルな方言というのは存在しなかったように思う。

私の両親は二人とも関西生まれ関西育ちの関西弁ユーザーなので、私たち兄弟も関西弁を母語として育った。だから、関東に住んでいたときは、我が家の子どもたちは外と内での 言葉を完璧に使い分けていた。学校ではテレビで流れてくるのと同じ標準語で話し、家族とはバリバリの関西弁で話すのである。移民の子どもたちもこういう感じなのだろうか。

関東弁と関西弁というのは本当に面白くて、語尾が違うとか、独特の単語がある、とかではなく、ほんの一単語さえ話せば、関東弁か関西弁かを区別することができる、まったく両立不可能な言語である。たとえば、さらに西に進んで岡山や広島の方言は、丁寧語であれば、文末が違うだけで文中の発音はほとんど標準語と変わりがない(ように聞こえる)。

参観日や運動会で、学校のクラスメートの前で家族と話すときは、なんだかとっても特別な気分だった。私に突然関西弁スイッチが入るのを、彼らが面白がるからである。母が教室からいなくなり、私の関西弁スイッチがすっかり切れて標準語でペラペラ話していると、友達から「さっきおばちゃんに向かって言ってたやつ、『母さんこぉへんの?』ってもう一回言ってみてよ!」とねだられる。彼らからすれば、関西弁は、テレビの中でお笑い芸人が話しているヘンテコな音列で、どうやらエキゾチシズムを感じさせるらしい。こうやって珍しがられたときの気持ちは、照れくさい、というだけではなくて、もう少しややこしかった。友達が再現する「こぉへんの?」の発音は、大げさかつ不正確で、関西弁スイッチオンのときの私の真似に全然なっていない。なんだかそれが、ものすごく安心するのだ。

バイリンガルやトリリンガルの人は、言語で人格が変わるというようなことを聞くことがある。関東弁・関西弁のささやかなバイリンガルであった私にとって、それぞれの言葉を介して人格が入れ替わることこそなかったものの、使う場所がきれいに区別されていたために、その二つは、学校の私・家の私を象徴的に表現するものだった。そもそも、母語である関西弁の習得は「私」という一人称の習得よりずっと先だったので、関西弁のときの一人称はごくごく最近まで(小さい子どものように)自分の下の名前である「みお」だった。

だから、学校でずっと一緒にいる大親友が、私の関西弁を珍しがって、私の関西弁の下手マネをするときは、ちょっとだけ寂しく、ちょっとだけ優越感があって、そして何より安心感があった。それは、私だけが知っている隠し扉のことを思い出したみたいな気分だ。いつもみんなと標準語で話しているときの私は私の一部で、でもまだほらこちらに、「みお」の関西弁バージョンもありますよ。知らなかったでしょ?

話し言葉が家の内側と外側で分裂しているという状況が、私のそういうヘキの源泉でもあり象徴でもあったように思う。