音楽と教育と

第43期

2019年2月末より、ハンガリーの首都・ブダペストにあるエルテ大学*で、「日本の歌を歌うサークル」が始まった。ブダペストにはエルテ大学とカーロリ大学に日本学科があり、日本語を学ぶハンガリー人学生が少なくない*。ハンガリーで日本の歌を歌うきっかけを作ってくださったのは、カーロリ大学*の後藤先生であったが、今回はエルテ大学の日本学科に勤める内川先生から、このサークルの歌の指導の依頼を頂戴し、昨年から少しずつ話を進めてきた。

それでは、このサークルで何をやるのか?

実はまだしっかり決めてない。サークルの名前も決めていない。
内川先生と私の希望は、ゆったりと息の長い活動を続けていこう、ということだけだ。活動費も設けないし、私自身、謝礼もいただかない。

謝礼をいただかないなんて、私自身一文無しなのに、なんで痩せ我慢をするのか?ということだが、これには私なりの信念がある。
「指揮者以外の活動での収入を絶つ。小遣い稼ぎをしない。」
これは約9年前、指揮の師匠の下野先生に弟子入りした時に約束した。学校の教員として安定した収入を得ていた私に対して、音楽のみで身を立てていくことの大変さをまずは体験しなさい、そしてプロの指揮者を目指すなら、プロのオーケストラを指揮し、経験を積まなければならない。その為に必要な活動と勉強を毎日積み重ねなさい、という教えだと受け止めている。

私の人生で一番尊敬しているハンガリーでの指揮の師匠、メドヴェツキー先生も学生からは謝礼などの金銭は一切受け取らない。
メドヴェツキー先生の生き方を見ていると、音楽でビジネスをしようとは微塵も感じられない。きっと音楽家の誰もが、音楽でビジネスをしたいなんて思っていない。時代の流れがそうさせているだけだと思うから。
メドヴェツキー先生からは卒業時にこんな言葉をいただいた。「大学院を卒業したという事は、プロの音楽家としての入り口に立ったということ。でも焦ってはいけないよ、ハンガリーにはブダペストだけではなく他の町にも多くのオーケストラがある。オーケストラと共に、時に指揮をし、時にピアノを弾き、ゆっくり沢山の経験を積みなさい。」

曲がりなりにも教員として10年間「教える」という事を仕事にしていた私にとって、音楽家を目指すにあたって、ひとつの決心が必要であった。これは、文教大学に勤めていた声楽家の西 儀一先生からの教えである。
「先生と呼ばれる職業は、いざという時に失敗をしないことを優先しなければならない。しかし、芸術家とは日々新しいことを作り出していくために、つねにWantを持って生きている人種。まずは思考回路を切り替えることをしなさい。」
西先生自身が音楽家として、そして大学教授として生きてきたからこその教えであると思っている。

諸先生方の教えが、私の人生に反映する。そして、偉大なる作曲家たちが残した楽譜と向き合える時間を、ここハンガリーで与えられていることこそ、私の何よりもの幸せである。
(それでも、私が音楽の仕事を依頼する時は、相手に必ず少なからず謝礼を払う。それは、彼らが今まで沢山のお金と時間を音楽のために投資してきたことへの敬意である。だから全くお金が貯まらない!)

話がだいぶそれてしまったが、歌のサークルでは老若男女、歌の得意・不得意に関わらず、歌を歌いたい、日本の文化を知りたいという気持ちだけで、誰もが参加できる環境を整えたい。サークルの参加している学生たちが、いつの日か、日本に留学した時に日本の歌を歌って、日本人と交流を深めることが出来たら最高に幸せだ。

作曲家・指揮者であったバーンスタインは年齢を重ねるに連れて、教育者としての比重が強くなっていった。これは私の考えだが「音楽」も「教育」もどちらも、媒体は違えども、「誰かに何かを伝える」という点で共通していると思っている。

これから地球上に生まれてくる沢山のこども達の幸せのために、今、私たちが何をもって生きていくのか、そんな事を考える時間が、我々現代人には至極必要だ。

*エルテ大学:Eötvös Loránd Tudományegyetem (ELTE)
*カーロリ大学:Károli Gáspár Református Egyetem (KRE)