手と手を繋ぐ

第45期

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手を繋ぐ。
という行為に、何か特別な意味なんてないのかも知れないし、お互いの手に触れる関係ならば、暗黙の了解なのかも知れないけれど。
手を繋ぐ。
という行為には、色んな意味合いがあって、色んな関係性が見えてくるような気がしている。

家路に向かう親子。
放課後一緒に寄り道をしたクラスメイト。
コンビニ帰りのカップル。
労わりあう老夫婦。
はたまた、
歌舞伎町を歩くホストと太客。
酔いに任せた上司と部下。
とかとかとかとか
手を繋いでいる2人の関係性や理由は本当に様々。

だけど、

慣れないわたしとあなたの間に。
恋から愛に変わった信頼に。
自分が守るべき勇気の証に。
こうしていたいと歩む時間に。

そんな感情の先に、相手の手を繋ごうとする行為があるならば、それはとても暖かい。けれど実際大人になると手を繋ごうとする行為があまり無くなるのは何故だろう。それこそ男女で言うなら、付き合う前、2人の距離を縮める為に繋いだその手を、付き合って馴れ合ってすっかりおざなりにしてしまう。付き合いが長くなる程手を繋ぐ行為が小っ恥ずかしくなる不思議。それって何でだろうなんて考えてみちゃうくらいには暇だったのかな。たまにはいいよね。

例えば、
キスをしたいと思うのは、単純に行為やスキンシップ以外の理由でも、相手を欲して高揚と興奮状態からその先の行為に及ぶ為のコンタクトに過ぎない事もある。その先の身体にある性感帯というのは、快楽に導くメカニズムが備わっているから、究極そこだけを求めるのであれば、好意がなくても触れたくなるのだろう。実際唇というのは重ねると想像以上に気持ちがいいものだ。顔が近づくという状態にだってドクっとしてしまう。

だけれど、
手を繋ぐという行為は、それこそキスみたいな興奮状態になるでもなく、その先の期待でもなく、触れたからといって快感を得る事もない単なる手 を、ふと繋ぐ という行為にすぎない。だからこそ難儀なんだろう。じゃあ、なぜ小っ恥ずかしいのか。それはきっと、手を繋ぐという行為は「愛おしさ」なんじゃないか なんて思うんです。好きだからとかじゃなくて、愛しく思える存在だったら。
そんな風に考えついて、仲の良い友人カップルに「2人は今も手を繋いだりするの?」と直球で聞いてみたところ、「手なんか繋がないよ、SEXはしているけれど、そもそもなんで手なんか繋ぎたいの?」なんて苦笑されてしまった。その答えに私は、へ〜としか返さなかったけれど、何となくその時、好意がなくなるより、相手への愛しさがなくなる方が切ないなぁと感じていた。

そして改めて思い返してみる。
自分の手を握ってくれた人達は、その時だけでも、私を愛しく思ってくれていたのだろうか。

子供の頃母と手を繋いでいると、どこまでも安心した。幼馴染みのさやちゃんの手はいつもピトッとフィットしたし、歳の離れた妹の手はふかふか柔らかくて可愛かった。

そして、あの日 信号待ちで貴方が差し伸べてくれた手を、私がそっと握り返した時、

「よかった 」

と言ってくれた事。

私は、あの時

あなたが

「愛しい」と

思い知ったんだ。