忘れられるけど忘れたくない人

第45期

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今も忘れられない人っていますか?とある仕事の打ち合わせの際 話の流れで聞かれて、忘れられない人はいないと答えた。けれどその質問をされた時、忘れたくない人ならいるよとは言えなかった。それはきっと、その日打ち合わせをしていた目の前のキミから、まだ未練があるんじゃないの?なんて茶化されて、これっきりになる事がなんとなく嫌で、だから口にしないまま 一緒にいる間は、たまたま思い出しただけだと思いとどめた。

忘れられないんじゃなくて忘れたくない人。

相手からしたらもうとっくに私の記憶は消えてしまっているかもしれないけれど、一方的に私の感情だけが恋という魔法がとけた後もなお、相手の本音を知り得ぬままいれるからこそ忘れたくないだけだろうし、本当はもう終わってしまった過去だと分かっているからこそ、誰にも触れられない記憶として、純真な思い出に守られていたいだけなんだけれど…

それは、
15歳の時に同級生だった しょうちゃん という男の子とのたった1日だけの出来事で。

中学3年になって、隣のクラスになったしょうちゃんとは、体育祭の練習で整列の際に隣になる機会が多くて、運動嫌いでいつもしかめっ面していた私を、隣に並ぶ度くだらない事で笑わせてくれていたのだけど、ある日地元の商店街で偶然会って、その日 陽が沈むギリギリまで公園で話し笑い転げ、帰り際 誰にも内緒でつきあわないか?と言われて、私の中に断る理由は1つもなかったので、ならばと明日また改めて会う約束をした。
当時は、誰が誰と付き合ってるとか、その関係を堂々とひけらかす事が自慢の1つだったのに、なぜあの時しょうちゃんは2人が両想いである事を隠したかったのだろうか。大人になった今考えるとロクな憶測しかできないので、あえて何故だろう と宙ぶらりんにしておきたい。

次の日10時に最寄駅で待ち合わせて、お天気は最悪の雨だった。それでも私は当時1番のお気に入りだったビビットなピンク色のパーカーを羽織って行ったのに、しょうちゃんは目を合わすなり、派っ手!と分かりやすく顔が曇って、ちょっとガッカリしたものの、しょうちゃんが傘を持って来なかったのはわざとなのかな? なんて思いたくなる程、すっかり今日に浮かれていた。池袋まで行き、見つけたコーヒーショップで各々ジュースを頼んで、二階の席にストンと座って喉を潤す。向かい合って座るしょうちゃんが、レシートを正方形にしてから不器用に織りだして、多分鶴を作りたかったんだろうけど、羽を折る辺りでこんがらがって失敗している様子にクスクスしたものの、しょうちゃんがコップを口に運ぶ度 一寸の狂いもなくあった場所にまたコップを戻す緊張感と几帳面さを和ます術も、その堅苦しさを溶かすアルコールになれた胃袋も、当時の私は持ち合わせていなかった。それでも言葉少なめにひと通りの近況報告を終えて、お互い取り立て喋る事がない状況にいよいよ気まずくなると、どちらからともなくアドリブだらけの話を、思いついた方からポツポツと投げては、たまにツボってケラケラ笑ったヘッポコな時間は、決して嫌じゃなかった。

それから地元に戻り、昨日偶然2人が会った商店街を歩く。商店街を抜け切るとしょうちゃんの住む高級マンションと、私が当時住んでいた庶民的な団地に家路が分かれるT路地に突き当たる。そこでしょうちゃんは駅前から蹴り進めていた小石を力任せに蹴り飛ばし、ソレに私が気を取られた瞬間トッと身体を近づけてきて、

キスしたことある?
してみたくない?
していい?

と言ってきた。

その時、人間はどんなに驚いても、口から心臓は飛び出ないけれど、皮膚を破って飛び出る可能性はあるかもなと思えた。それくらい自分の心臓がバク爆していた。あの頃の私達は、キスとかセックスなんて安易に口にはできなかった。恥ずかしかったから。そう、そういう行為は浪漫でありたかったから。そして、そんな気持ちをたまに大人になっても持ってる人がいたりする。貴重だ。それは、経験値が少ないからではなく、キスをしたりセックスをする事に対して浪漫を持てる人間なんじゃないかと信じていたい。今はもう若い子ですら、性に関して淡白だったり、妙に割り切れている事も少なくないのだから。

そしてあの時
しょうちゃんも 私も、唇をむチュッとくっつけたまま、どうしたらいんだか分からなかった。分からなかったからずっとくっつけていた。それはもういつ離せばいいかが分からなかったのもあるけれど、離れたくないという気持ちもあったし、男の子の唇がこんなに柔らかいとも思わなかったし。そして、そのどうしたらいいかのか分からないキスは、私が背伸びしていたつま先がよろめき、地面にクタっと踵を付けたと同時に唇が離れ、その時キスをした瞬間に眼を閉じていた事すら自覚できないまま無意識に瞑っていた瞳をあけたら、キスをした瞬間より 空の色が少し夜に近くなってる気がして。随分長くキスをしていたんじゃないかと、何だか急に恥ずかしくて 2人でケタケタ照れ隠しに笑った。
きっと私は、しょうちゃんの事が今でも好きなんじゃない。実際彼の顔はどんな情景を思い出しても、最後に2人でとった写真の中のしょうちゃんのまま表情の動きはない。ただ誰かに恋をして新しい哀しみに傷つく度、誰にも触らせたくない大好きなモノだけが入っている思い出の箱の中から、しょうちゃんを引っ張り出しては突っ散らかして、でも捨てられなくて、また綺麗に片付けては自分の気持ちをなだめていたいのかも知れなくて。私が知る限りで唯一の救いみたいな経験だからだろうか。

なんて事を思い返すきっかけから数日後、これも不思議な縁で、当時私が住んでいた団地に現在住んでる方と仕事関係で知り合い、お宅にお伺いする機会ができて、私は何十年ぶりにその商店街を歩いてきた。胸にあった感情がグォっと喉仏を超えて鼻に到達したと同時に、涙を必死に堪える時のあのツーンとした痛みと熱が目頭に込み上げてきて。ソレを大人だからと隠しながらも、無意識にあの頃の面影を探してみたけれど、時代と生活のニーズは、私だけのチンケな思い出に寄り添ってくれる事はなく、あの頃のサンクスがローソンになっていたり、電気屋さんは100円ショップになっていたりした。

けれど当たり前にそれで良いんだと思っているし、しょうちゃんを忘れられないのではない。
むしろ何て事ない、ロマンチックでもドラマチックでもないしょうちゃんとの時間を、私は絶対に忘れたくない。だけなの。

だって

どうしたらいいのか分からないキス

なんて

もう2度と できないから