ふやけた大食堂

第47期

過度なノスタルジーとか“レトロかわいい”とかホント勘弁してほしい。レトロ=かわいいでは決してない、そんな消費的な代物ではない。時の流れに消費されず、形をそのままに残ってきたものなのだから。

だからこそ、流れに飲まれて消えてしまうものもあるだろう。それはさ、寿命だよ。人の毎日に寄り添ってきた生活文化は、いまを生きている人たちのライフスタイルに適応していかなければ、消えていく運命だ。変わらないからこその良さがある一方で、変わらないと生き長らえない宿命だ。変わらない姿のまま役割を終えたものには、惜しみない拍手を送り、さよならするのが粋だし、それが次の新しい何かが生まれるための正しい循環だと思う。

一時的な感傷で、役割を終えたものに無理矢理な延命を施すべきではないと思う。やれクラウドファウンディングなどで、その場しのぎの盛り上がりをつくったところで、あとが大変だし。淘汰の末になくなることが決まったのなら、ちゃんと受け止めて「今までありがとう」って手放そうよ。「めったに行かないけど、なくなるのはなんかイヤ」なんてのは都合がよすぎるでしょう? 当事者でもないのに、何に怒っているのか、自分でもよくわからないところはあるのだけど。

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出張先でたまたま立ち寄ったビルが、潰れる予定だったのがクラウドファウンディングで再生された奇跡だ云々だとの経緯があることをウェブ上で知って、正直すごくモヤっとしたのだ。奇跡か、ふーん。一階は閑散としているが、どうやら屋上の大食堂がウリらしい。せっかくだし一応のぞいてみようとエレベーターに乗った。

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最上階に着いたエレベーターを降りて、ビックリした。なんだここは、このふやけた空間は。
名物らしいソフトクリームを前に、みんながみんな笑顔。子連れはもちろん、老夫婦もおっさんも笑顔笑顔。

端っこの席のほうには高さ2メートル近い大きな窓がずらりと並び、そこから見渡せる山々山々、周りにここより高い建物がほとんどないから、笑っちゃうほどめちゃんこ気持ちの良い見晴らし。

とにかく客層が広い。ディズニーランドではしゃいでるようなノリの女子フォトジェニファーさんたちもいれば、法事帰りと思しき黒ずくめのオバハンたちもいて、theなファミリーも、白混じり短髪ユニクロの黒のスウェットおじさん×部活っぽいジャージの女の子=ちょっとぎこちない父娘もいる。付き合いたてで眼に映るものすべて楽しい系カップルもいれば、顔についた汚れさえ画になる激渋ナイスミドルガテン集団もいる。子連れママ友ランチ会の横で、部活帰りの男子高校生たちが自分たちの顔よりも長いソフトクリームをずらっとテーブルに並べてマジやべえまじヤベエって腹かかえて笑ってる。もちろん一人客もいて、フードを被ってマスクを少しずらしてラーメンをすすっている若き不審者もいれば、おそらく定位置なのだろう、まんまるの電球が頭上でほんのり光る角席で、文庫本に目を落としながらカワイイオムライスをスプーンでつつくおじさんもいる。

驚くべきは、こんなにもいろんな人がいるのに、誰も浮いていないのだ。なんだこれは、なんなんだこれは。私も家族連れに周りを囲まれた中、ひとりで長テーブルの片隅に座っている。テーブルに間仕切りなどはない。普通なら、収まりの悪さを感じるはずなのに、なぜか安心感しかない。ぬくい。かなり離れた席にいるガテンミドルたちがソフトクリームではしゃぐ声が聴こえた、萌える。

テーブルの上には、逆T字型のプラスチックのアレが置いてあって、3時からは学割タイムになると書いてある。ステーキやナポリかつやピザなど盛りだくさん7品で1000円とな。学割というよりDKタイムだろこれは、アホみたいなボリュームだという感じがテキストからはみ出してる。

恥ずかしながら掌を返すように、ここが潰れなくてよかったと感じた。守ってくれてありがとう誰かと思った。おさげの女の子がスマホを向けてくる母親にダブルピースをしている。母親が「あんまりにも大きいからフルーツパフェにピント持ってかれちゃったよ」と笑う。女の子が夢中でフルーツパフェにかぶりつく様子を、隣の若夫婦がバカみたいに長いソフトクリームを箸で分け合いながら、ちょっと羨ましそうに見ている。「次来たらあれ頼もうかな」「あ、うん、子ども向けメニューも結構種類あるんだねあそこ」「そうだね、オムライスも美味しそうだったなあ」「うん、ね。うん、また行こうね」なんて、帰りに語らうんだろうか。鈍い男はズレに気づかぬまま、数ヶ月後何かのついでに再びここに寄って、満面の笑みでフルーツパフェを食べるんだろう。

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給仕さんは頭にひらひらつけてる人とつけてない人がいるし、前掛けも前に出してる人と羽織っているセーターの内側につけててほぼ意味をなしてない人がいる。微妙に統一感はあるけどよく見るとそこまで統一されてない恰好が、なぜだかやたらと安心する。中の調理場のおばちゃんがたまに外に出てきて、若いウェイターに声かけて一緒にテーブルの片付けをしながら笑ってる。

笑ってるんだ多くの人が。それに笑ってない人も不幸そうじゃないというか、やっぱりどこかしらふやけた顔になってるんだみんな。あくびが出て、それから目の奥の方にギュッと力を入れた。感傷と眠気が一緒になって押し寄せてきている。今まであんまり出会ったことのなかった情報に、頭がわけのわからないことになっている。ポンコツである。でもここではポンコツでも許されるのだきっと。ありがとう。

あの食堂にあるのはドラマチックな物語じゃない、なんてことのない日常だった。物語は綴じたもの、いじわるな言い方をすれば、過去を切り取って体良くまとめたものだ。あそこには連続する時間があった。守ってきた時間と、先に紡ごうとする時間があった。昔は良かったねなんていう物語として閉じてしまっていい類の場所ではなかった。物知り顔で寿命がどうだとか垂れていた自分を引っ叩いた。頭でっかちになってるよ。自分の五感で受け取ることを大事にしなきゃ。

今日も明日も、あの食堂のある日常は続く。私は余所者だけど、いつまでも続いてくれたらいいなと、身をもって心から思う。また行きたい。