わたしは、あとがいい。

長期滞在者

 2014年も、あと残すところ一ヶ月。こんなにはやくときが過ぎるなんて…… 二十を越えてから驚くほど時間がはやく感じられる。時計の針の動きがはやまってるんじゃないの?そう思えてくるほどだ。
 12月は忙しくなる。仕事の面でもそうだし、メンタル面でもいろんな変化があるだろうことが予測できる。12月30日には、父と弟がブラジルへ帰国することが決まっている。母は先月、一足先にブラジルに戻った。家族と別の国で過ごすことになる、初めての新年。はたして、自分はどんな気持ちで新年を迎えることになるんだろうか。残念なことに、まったく想像ができないでいる。他人事のように、どこか自分とはかけ離れたことのよう。

 でも、自分から旅立っていくことと、自分だけがその場に残ること、このふたつにはひとりになるという共通点はあっても、その根はまったく違うと思う。残ることを選んだのはわたし自身だけれど、次、いつ家族に会えるのかわからないというのはとても大きな不安だ。もし仮に、両親が病気になったら?ブラジルで強盗に入られてしまったら?わたし自身が病気になったら?そんなことを考えても仕方がないけれど、最悪を想定して考えてしまう癖はなかなか改善できなくて、胃がきゅっと締め付けられるのを感じてしまう。こわさと、ふあんがまぜこぜになる。

 ただ、自分だけが旅立っていくよりも、置いていかれる方がなんぼかまし、とも思う。いまでも、十五の春に父と別れた空港での気持ちは忘れることができない。愛する人を残して旅立っていかないといけない胸の苦しさ。大事な人があとに残され、悲しむことがわかっているのに、自分だけが新しい道に向かって歩いていかないといけないというのはとてもつらい。もちろん、残る方がよっぽどつらくて、悲しくて、苦しいのだけれど、家族にそんな思いをさせるのなら、自分が悲しむ方がよっぽどましだと思う。誰かを置いていくのはわたしには嫌だった。

 父と母は、昔からいつも「どっちが先に死ぬか」みたいな話をしていた。母も父も、自分がさきに死にたいというタイプだったけれど、わたしは子どものころからあとに死にたいと思っていた。まだ五つとか六つのときからそう思っていたのだからおかしな話だ。中学時代にも、友人とそんな話をしたとき、友人もさきに逝きたいと言ったし、いまのパートナーだってさきがいいと言う。もちろん、どちらが正しくて、どちらがおかしいというのではないけれど、わたしのまわりには「さき」派が多いのも事実だ。

 わたしは、残されるほうがよっぽど悲しいと思う。そのほうがよっぽどつらくて、苦しいって思う。大切な人にそんな思いをさせたくないからこそ、わたしは、あとがいい。泣かせるくらいなら、泣くほうがいい。でも、きっと両親もわたしと同じような思いでいるんじゃないだろうか。そう思うと申し訳なさでいっぱいになる。結局、別れというのはいつだってつらい。どっちがよりつらいなんてことは、わたしの思い込みでしかないかもしれないけれど……

 こんな無駄なことを延々と考えているのは、きっと、そう思うことで悲しみを減らそうとあがいてるからに違いない。心の準備をしながら、別れの日に訪れるだろう悲しみに備えているだけなんだと思う。痛みはなるたけ小さい方がいいもの。もしかしたら、こんなこと誰にも理解されないかもしれないけれど、12月はいろんな意味で耐え忍ぶ月になりそうな気がしている。