隣の女の子

長期滞在者

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 先日、電車の中でとても印象に残る出来事があった。まだ小学校に入学したてのとても体の小さな女の子と、同じように小柄なその母が、電車の中でわたしの横に座った。女の子は終始泣いていて、学校に行きたくないと、ずっとぐずぐずしていた。母は大分高齢で、困り顔で優しくあやすように女の子を励ましていた。

 母は次の駅で降りるそうで、学校までの残りの道のりは、女の子ひとり。仕事だから仕方ないと言いながら、母は何度も何度も、女の子に大丈夫よって声をかける。頭を撫でる。抱きしめる。女の子はより一層ぐずる。

 いよいよ、降りる駅。母は後ろ髪を引かれるように、電車を降りていった。女の子は、母をずっと目で追う。電車から降りた母を振り返って、窓越しに見つめ合う。女の子は震える声で、

「がんばるから、早く帰ってきてね。待ってるからね。」

寂しそうで、悲しそうで、本当に辛そうに言うもんだから、隣で胸が苦しくなった。母には聞こえていない声が、わたしの耳の中で何度も何度も震える。わたしには子どもはいないけれど、子どもをおいて仕事に行かなくてはいけない親の気持ちを考えて、思わず目頭が熱くなった。それと同時に、わたしの父や母のことを思い出して、彼らも同じような気持ちでいたのだろうか、と遠い昔を手で探るように思い出そうとした。

 わたしの両親も共働きだった。だからわたしにも、きっと寂しいことがあったはずなのだけれど、それを親に話したことがあったろうか。子ども時代のわたしは、何を考えていたのだろう。もしかしたらわたしは、言っておくべきことを言わずに育ってしまったのではないか………そんな思いに今更ながら焦りを感じる。いずれにせよ、親はきっと思うように子どもを構えず辛かったろう。親もきっと寂しかったにちがいない。

 わたしが人知れず感傷に浸っていると、隣の女の子が突然、目の前にいる同じ制服を着た、ほんのすこし年上の男の子に、今日はお姉ちゃんと一緒じゃないの、と声をかけた。男の子は、お姉ちゃんは別の電車でいくよって。女の子はそれを聞いて、安心したのか、なにかに納得したような感じで、そうなんや、と一言。わたしが下車する駅について立ち上がると、女の子も一度立ち上がろった。あ、ここで降りるんやな、と心の中で思っていたら、まだここちゃうで、先ほどの男の子がと優しく話しかけ、女の子自身はすぐに座り直した。わたしは電車を降り、子どもたちのことを考えらながら、ぼんやりとその電車を見送った。

 子どもはすこしずつ大きくなっていくんだなって、ほんの数分隣に座っていただけなのに、子どものエネルギーと、成長することの妙をひとりで噛み締めていた。胸の中ではいろんなことがめぐって、新しい発見をしたときのような嬉しさがある一方、どこか寂しいような、物悲しいような気持ちで電車を乗り換えた。女の子は、帰宅した母をどのような顔で出迎えるのだろう。そして、親はどんな顔で女の子を抱きしめるのだろうか。それがうまく想像できなくて、わたしはただただ、車窓越しの大きな琵琶湖をじっと眺めた。