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3F/長期滞在者&more

黒い川

長期滞在者

阪急神戸線の線路北沿いの道を塚口から園田方面へ、夜遅く自転車で出発する。
山陽新幹線と阪急線が交差する複雑な高架下を掘るようにくぐったその先に、黒々と藻川(もがわ)の水面が見えてくる。
最近僕の中で流行っている「藻川西岸南下・神崎川・左門殿川から2号線コース」(塚口発着で約15km)である。
ここは藻川に散らばるもこもこした中洲群がなんだかシュールな影絵を形作っていて、昼間に通っても不思議な景色なのだが、夜に走るとその中州のこんもりが怪異的でより妖しい。
暗い坂道を抜けて現れる藻川の夜景の幽玄は、何十回と通っても見飽きることがない。映像に撮りたいなぁと思うのだが、僕のつたない動画技術では十分の一も凄みが伝わらないだろう。

しばらく藻川沿いを南下すると東園田橋、その橋上から夜の水銀灯下に弥生ケ丘墓地の広大な墓石群がきらきらするのを眺める。
きらめく墓石群の先に黒い威容をたたえるのが弥生ケ丘斎場の大きな建物である。5月にこの稿で書いた『尼崎円環魔境』に出てくるあの斎場だ。あの体温低下コースを北から逆に下っているのだ。
何度通っても体感温度が数度下がる謎の高架の話を書いたけれど、あれから4ヶ月間、何度も何度も通るうち、慣れというものは恐ろしいもので、最近はついぞゾゾゾを感じなくなってしまった。
ということは逆にあの体温低下は高速道路を抜ける風のせいではなかった、ということでもある。
不思議だが、不思議は不思議で置いておいたほうがいいのかもしれない。あまり深追いしないほうがよいことも世の中にはある。

弥生ケ丘斎場の前の河原が、尊坊河原である。この尊坊という地名については別のところに書いたものがあるので、お暇な時に読んでいただけると嬉しい。(→ シミルボン『地名の謎』
その名神高速高架をくぐり、またしばらく藻川沿いを走る。対岸・東園田ベロ洲の縁に建つマンションの灯りが黒い水面に反射している。最近は黄色っぽい電球色の部屋が増えて、昔ながらの青い蛍光灯との比率が拮抗している。その黄・青のまだらの窓色の配分が闇の背景の中で絶妙に妖異を醸している。
東園田ベロ洲が尽きると、藻川は猪名川に合流し、さらに戸ノ内ベロ洲の向こうから神崎川が合流してきて、走るほどに川幅が倍々に膨らんでいく。そのさまも雄渾で映像的だ。

神崎川が藻川と猪名川を併合し、戸ノ内ベロ洲の明かりが遠のくと、一気に暗くなった道の向こうに長大なJR東海道本線架橋が見えてくる。
昼間見たらただの橋なのだが、夜は周囲の河川敷が公園になっていて人家や工場から隔たるためか、ひと絞り照度が落ちたような、妖気を帯びた姿になる。暗い水上に橋が中世の古城のような佇まいで端座しているのを見ると、こちらもしんと背筋を正さなきゃいけないような心持ちになる。

一度合流した神崎川はもう一度枝分かれして神崎川と左門殿川(さもんどがわ)になり、ふたたび合流して中島川と名前を変える。いや、正確には合流寸前に小さく東に枝分かれして神崎川という名前は存続するのだが、本流の名前が中島川に変わるのである(何度かの河川改修工事を経て、さまざま流路が変更された結果だろう)。
藻川・猪名川・旧猪名川・神崎川の四本が順次合流してせっかく大・神崎川にまとまったのに、もう一度左門殿川に分離させられた挙句、最後は支流扱いに格下げされて海へ出る。最後の中島川に手柄を攫われる格好である。大・神崎に対して失礼な気がするのだがどうだろうか。

神崎川が左門殿川と分かれるあたりは西岸は高く聳える防壁に遮られ、その様子を側道からは見ることが出来ない。防壁のこちら側は工場群が続き、夜中でもけっこうところどころ稼働していて、人工光綾なす妖景が続く。
なぜか全面白塗りされて看板の字まで塗り込められた塩野義製薬の杭瀬事務所が異彩を放っている。昼間に見ても(夜見るとなおさら)廃墟にしか見えないのだが、ちゃんと稼働している事務所らしい。
この白塗りシオノギを抜けると国道2号線に合流し、僕は杭瀬から出屋敷あたりまで国道を進んで、北上して塚口に帰ることになる。これが「藻川西岸南下・神崎川・左門殿川から2号線コース」である。
なかなかに怪異で素敵なコースなので辿ってみることをおすすめする。

・・・・・・

というわけですっかり夜行サイクリングにハマっているのである。
何を急に自転車、自転車と言い出したかと言われそうだが、自転車に乗ること自体は別に急に始めたわけでもなく、6〜7年前から通勤で毎日20km近く乗っている。
だがたしかに、最近の、この春からこちらの自転車へののめり込み方は、自分でも尋常ではないと思う。

以前から武庫川のサイクルロードを使っての帰り道に、夜の河川敷や漆黒の中で輝く水面を見て走りながら、この見たままを映像にできたらかっこいいだろうなぁと思ってはいた。
平野勝之監督の自転車旅の映画(『白 THE WHITE』や『流れ者図鑑』等)を観て、やはり自転車と映像というのはドンピシャに親和性が強いのだと確信を深めたというのもあった(特に『白 THE WHITE』なんて、厳冬期の北海道を自転車で走るだけ! という色んな意味での「極北」なのに、ちゃんと映画として成立してるところが凄い!)。

藻川や神崎川の周辺を夜走ってみたときに、暗い川面や岸辺の風景の変化に魅了され、このゾクゾクをどうにか映像に残せないかと考えるようになった。
最初は自転車の荷台に三脚を積み、夜の川の写真を撮り始めた。だがやはり、流れ去るからこその自転車視点なわけである。静止画としての写真はちょっと違う。映像じゃないとこの流れ去る闇景の素晴らしさを伝えられないのではないか。
デジタル一眼レフに付随している動画機能で、自転車に乗りながら片手運転で動画撮影してみたりいろいろ試してはみたのだが、僕は写真は撮れても動画に関してはド素人である。感じたままに映像に落とす技術を持ち合わせていない。

これだけ凄い景色なのに、思うように映像に残せない。
煩悶しつつも、毎日夜の川を自転車で走る。
美しくも妖しい映像が、僕の頭の中にだけ蓄積されていく。
そのうち、ようやく気がついたのである。
僕はどうしてこの映像を、他人と共有しなければならない、と思いこんでいるのか?

これはもう、写真を撮る者の習性というものなのである。
写真は何かを伝えることができる、というのは多くは思い込みだけれど、写す人、写されるモノ(物・者)、それを見る人、の三者がそれぞれのコトノハ(言の葉/事の端)を差し出すことで関係を結ぶことはできる。共有という言葉はおこがましいが、何かの端っこを交換するくらいのことはできると思っている。
コトノハ云々というのは昔一緒に二人展をした中村浩之氏が言った言葉だけれど、ああ、なるほど、僕らはこのために写真を撮り、見せるということを続けてきたのかと、感心したのだった。

僕は写真を撮る人だから、ついこの考えに乗っかって、世界から受け取ったものはその端っこでもいいから、何らか形にして返さなければならないと思いこんでいる。
藻川や神崎川から受け取ったこのゾクゾクを、どこかに放たなければならない、と。
今は、別に即座に打ち返さなくてもいいんじゃないか、と思っている。
自転車のサドル上からの風景は、別に僕一人のものにしても良いのである。それがサイクリングというものの贅沢であるといえる。
必ずしも返さなくても良い借財である。
この贅沢に気づいたから、最近自転車に熱中しているのだ。

映像が撮れないので、この景色は僕だけのものとして蓄財させてもらう。
申し訳ないので、ちょっとこの文章でおすそ分け程度のことはしているつもり。読むの面倒くさい? それは知ったことではない(笑)。
ただ、この備蓄は、今後の僕の写真に、きっとあとから影響を及ぼす。きっと及ぼす。
自分自身、その影響の襲来を楽しみにしつつ、今夜も藻川の漆黒を浴びに自転車で向かうのだ。

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カマウチヒデキ

カマウチヒデキ

写真を撮る人。200字小説を書く人。自転車が好きな人。

Reviewed by
藤田莉江

以前、わたし(ふじた)は大和川という大阪の一級河川の川沿い近辺に住んでいた。

時々買い物に行く大きなショッピングモールへ行く時だけ、この川沿いを走った。

仕事終わりに予約していたCDを引き取りに行ったり、無性に甘いものが食べたくなったときなんかに自転車をえいやと駆って(少し遠いのだ)当時の閉店23時までウロウロしたり。

寒いのは一等苦手なわたしなのだが、冬の寒い夜に、なんとなく帰りたくない気持ちを持て余しながら半分冷やかしみたいなだらだらした買い物を終え、途中にあるチェーンの牛丼やさんで丼と七味を振った熱い味噌汁なんかをかっ込んで温まり、一気に自宅への道を戻る。

川沿いは遠目にも電気が付いている建物も少なく、民家も寝静まった様子で消灯しており、街灯すらまばら。
わりと不気味だった。

そのとき、実はわたしも、そのぬらぬら黒い川面を自転車で走るスピードで眺めるのがとても好きだった。
とても、とても、とても。

前なんか見ずに、ずっと土手の上から目線を落とし、川のほうを見ながら、小さな声で溢れるように歌いながら、なんてきれいなんだろう、と、見ていた。寒さの中をよく見ようと目をあけて自転車の風を受けているせいなのか、泣きそうになる。
泣きそうになっている身体の反応に脳が反応して、ほんとうに泣きそうになる。
ちょっと涙が浮かぶと、ぼや、と、視界が滲んで、それがまたきれいで、ただただ心が痛手を負ったみたいに頼りなくなる。
なにかに傷ついたみたいな、そんな錯覚をする。

映像に撮りたい、と、思って実際撮ったのかどうかは覚えていないけれど、確実に、何度もそう思った景色だった。写真は残っているけれど、あまりにも暗すぎて、三脚なしではほとんど太刀打ちできなかったから、映像なんて、もっと難しいよなとそのまま諦めた気がする。

写真も感度をかなりあげて撮ったので、ざらりとした質感になって、あの美しいなめらかなぬらぬらは写らなかった。
それになにより、自分の目線の高さより少し高いあの自転車のサドルに座る高さから、滑るように見ていくのが好きで、ああ、写真じゃ、これは撮れない、撮れないんだなぁ、と、思ったのだった。

夏場、虫の声を聞きながら走るのも気持ち良かったのだけど、わたしは冷たい風に少し涙目になりながら見た川面が一等好きだった。

ひとには見せられないなぁ、これ、と、両の手をあげてしまうことはままある。

自分の目で見た、ほんとうに美しいものほど、もうカメラを構えることすらできない、と、思っていた。
思っている。

これを、死ぬ前にふと思い出したいな、なんてものは、特に、写ったりしないんだから、こんなにすごいものは、写ったりしないんだから、と、写真を撮ることばかり考えている人間のくせに、撮ろうとは思えなかったりする。

夜の川も、その類いなんだわ、と、わたしは諦めてしまっていた。
涙目越しに見た景色なんて、模造したって意味はない。

写真を撮ってひとに見せることをするようになってから、見せるためにばかり撮るつもりでなくても、
「これはなんだ!?」と、「!?」という刺激を視覚により与えられた場合、当たり前のようにそれを捉えておかねばならない気がしてしまっている。

「写真を撮るものの習性」

それを持ちつつ、サラサラと「これは撮ることができないほどうつくしい」と、指の間から砂をこぼすように諦める、それがあるからこそ、「これは撮ってやる、撮るんだ、何がなんだって絶対だ、」と、一度指先に絡めさえできれば食らいついてゆけるような気もしている。

夜の川辺を自転車で走るその細かな描写がとても美しかった今回のお話。
それを読んで、しっかりおすそ分けされてしまったわたしは、わたしの中の夜の川、大和川沿いサイクリングの鮮明な記憶が蘇って、酷く懐かしくなった。

今は別の街に住んでいる。毎日川辺を通勤している。
けれどこれは一級河川の水量には到底及ばず、川幅はそう狭くはなくても、膝どころか足首とかふくらはぎ程度の深さしかない川で、川底も透けて見えている。
全く違うので、夜の川を日常的に見ていても思い出すことはなかった記憶だ。

あの時自分は勝負すらしなかった川に、何を貰っただろう。
これからまた沢山見られるであろう、カマウチさんの夜の川の写真が楽しみだ。

夜の川の写真そのものと、それとやりあっての応酬と。

「撮るものの習性」は、撮れ(ら)ない時に見えるものにこそ強く影響される。

直接は写せなくとも、そういう”蓄財”をフィルターのようにして、それすらも含めた影響の顛末を明日撮るのだ、今日も撮っているのだと、わたしも信じていたい。

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