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2F/当番ノート

そんなこんなで

当番ノート 第1期

小中学生の時代の大の親友は、高校入学するとすぐににナントカという新興宗教に入信してしまった。
信仰の自由は自由として否定するでもなく、勧誘されるでもなく、まあ、そのままなんとなく疎遠になった。
他の仲良しだった友達は、地方都市に転勤したり、結婚して遠くへ行ったりで地元には今でもやりとりする
ような仲間は残念ながら見当たらない。

高校はちょっと離れた私立を選び、夕日の綺麗な港町の学校まで毎日片道二時間くらいかけて通った。
中学校は田舎の公立だったから、たいていの同級生はそのまま地元の公立高校に進学する。
高校では10人くらいの仲間が出来て、今でも葬式だの結婚式だの何かある度にワイワイ飲んでいるし、
昨日もシゲオから電話があり、最近芥川賞を取った作家の受賞インタビューについてゲラゲラと盛り上がった。
しかしそれでも、ひとり遠くの私立高校に通うのだから当時はやっぱりアウェイ感は否めないのである。
話言葉のイントネーションも微妙に違うし。

今は都内に小さなデザイン事務所を構え、自宅は何年か前に江ノ島の近くにマンションを買った。
なんとなく、海の近くがいいと妻と探して歩いたのだ。
大邸宅を相続して建てたというマンションは、古家の名残りでちょっとした庭があり、
リビングの窓からは大きなクスノキがざわざわ見えていて割と気に入っているが、サーフィンもやらないので
海岸引っ越し組(サーファーたち)とつるんでバーベキューするでもなし。

ー 何が言いたいかというと、僕には”田舎”というものがちょっと欠落しているのだ ー

どうやら田舎には旧友というか、級友が重要な役割をするらしく、そう、祭りなどあると、小学校
中学校、近所の高校に通った同級生が必要で、それがないと地域の祭りに参加などしてもどうも
居心地が悪いのである。
そんな訳で、生まれ育った街には親友と呼べる仲間はいないし、親友のいる高校辺りは、小さな頃
の駄菓子屋的な記憶がインプットされていない。
おまけに、肝心の実家は父が亡くなってから母の一存で新築してしまったので、帰省する度に
「お邪魔します」的な残念な居心地である。

だから、もうずっと前から田舎があるのに田舎に対する漠然としたあこがれがあるのだ。
この中途半端な居心地感がしっくりと居座ることのできる田舎が欲しい。
それは僕にとって、軽いけれど、しかしどうしようもない喪失感であってなかなか埋め合わせるのは難しい。

そこへ、かおりんがアパートメントを作ると言い出した。これまた、かおりん、などと馴れ馴れしく言っても
知り合ったばかりでまだ友達とも言えないような仲なんだけど。
せっかくなので、ちょっとお邪魔しつつ、精神的な「田舎」になるといいなと思っている。
いきなり「住まわせて」と言うのもおこがましいので、時々現れる寅さん的な役割をお願いしたのである。
田舎難民の僕が、時々帰る事の出来る柴又の「とらや」みたいな田舎が出来るとちょっと嬉しい。
旅から帰って「おいちゃん、おばちゃん、かおりん。ただいま。」うん。あこがれるぅ。

杉山 圭

杉山 圭

UNITED DESIGN,INC.
クリエイティブディレクター

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