ひどく敏感な気質

長期滞在者

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桜が咲いて、マグノリアの花も、もう散り始めた。精密検査にための通院ラッシュがひと段落して、普通に働く生活戻らないといけない。季節の変わり目だからなのか、気分が優れない日々が続いているものの、天気は日々好転しているので、うざうざした気持ちのままでいるのは正直勿体無い。だけど、濡れた顔のアンパンマンのように、力が出ないのも本当で、毎日今日も一日頑張らないといけないのかと、朝お布団の中でしばらく泣きそうな気持ちになっている。こんなに良い天気なのにね、さて、どうしたものか。

先日、長沼睦雄さんの著作で、「HSP」という言葉に出会った。「Highly Sensitive Person」の略字で、非常に繊細な気質を持った人を指す言葉なのだという。アパートメントでもこれまで再三書いてきたことだけれど、わたしには、ただ普通に生きることがとてつもなくつらくて苦しい。(もしかしたら、誰しもがそうなのかもしれないけれど、少なくともわたしの目からは、周りの人はもっと明るい生活を送っているように思う。とはいっても、今の自分が不幸であるとか、そういうことは一切思ってないし、日々幸せですが、いかんせん辛い…)そういう自分の生きづらさは、国籍や体型、ACの傾向があることや、セクシュアリティなどが原因なのかと思っていたけれど、なにやらそれだけではないらしい。

HSPの特徴はいくつかあるのだけれど、例えば五感(第六感含めて)がきわめて敏感で、不安や恐怖心が非常に強く、悲観的で、とても疲れやすかったりする。細かく書いていくとキリがないけれど、それらHSPの特徴は、ことごとく自分の気質や日々感じていること、悩んでいたことに合致していて、目からうろこというか、ああそうだったんだって、納得できる答えを見つけたという心持ちだった。

敏感な気質であるというのは、いろんな意味で優れた気質ではあるとは自覚している。自分のそういうところは嫌いではないけれど、感受性が強すぎたり、敏感すぎるのは自覚していたし、自分でも大きな問題だと思っていた。たとえば、職場や家族、友人など身近な人の機嫌が悪かったりすると、その人の気持ちが自分の中に流れ込んできて、自分のことのように感じるし、人が言い争っていたりするのは本当に苦手で、当事者じゃなくても心臓が口から出そうなくらい動悸がするし、動揺する、変な汗が流れる。人が隠そうとしていることがなぜかわかったりするし、知りたくないことまで知ってしまうこともある。ドラマや映画なんかは、自分の五感が全部ハイジャックされ、観るだけで体力がひどく消耗する。自分のことみたいに、フィクショナルな感情や感覚が体内に雪崩こんでくる。暴力的なシーンは、自分の体が痛くなるし、その映像が何度もフラッシュバックしては、トラウマのような恐怖感に襲われる。悪夢にも苛まれる。自分の感情や感覚だけで手一杯なのに、よそさんの分まで抱えきれない。

匂いにもひどく敏感だ。とくに人から発せられる体臭に対して過剰に反応してしまう傾向があって、常に自分からも変な匂いが出てるんちゃうかって、常に怯えている。匂いケアはこれでもかというくらい気を遣ってしまうし、洗濯はこまめにしないと気が済まない。去年、尿崩症を発病した直後くらいのころ、自分から変な匂いがしていると感じていた時期があった。時折、ふわっと変な匂い − 例えるなら、汗をたくさんかいた後の臭い足の匂い − が自分からしているのに気づいた。でも、匂いのでどころを探すために体のあらゆる部分の匂いを嗅いだり、パートナーにも嗅いでもらったけれど、変な匂いはどこからもしていなかった。それでも、何度も何度も、ふっと足の臭い匂いがしては、その度にどこからでてるのってパニックに陥った。最終的には幻臭だと思うようにしていたけれど、振り返ってみたら、自分の体に起きている異常を、匂いで感じとっていたのかもしれない。

あと、長年不思議に思っていた、「東京にいると体調崩す説」の原因がようやくわかった気がする。わたしは、東京での生活がとても、とてもとーっても好きだ。自由にどこへでもいけるし、なににも縛られてない感じがするし、便利だし、好奇心を満たしてくれるものがたくさんある。だから、この生活をできる限り謳歌しようと、いくら食生活に気をつけたり、生活を改善するための努力をしていても、気づくと日々の生活に疲れ果て、体調が悪くなる一方だということに、だいぶ前から気がついてはいた。だけど、その理由はよくわかっていなくて、空気が悪いんだろうかとか、水のせいだろうかとか、そんなことを考えていた。自分がひどく敏感であることを意識すると、周りにいる幾千もの人々の波動や、ストレスや疲れ、感情の乱れ、体調の不調なんかも、無意識的に感じとっているのかもしれないと考えると、それだけで恐ろしい。以前誰かに、あなたは田舎にいた方がいいと言われたことがあったけれど、その人もわたしのそういう気質を見破っていたのかもしれない。

言われてみたらたしかにそうだ。田舎にいると、ただそれだけで心と体がすーっと静かに、穏やかになることをわたしはよく知っている。ただただ、バカみたいなスケールで広がる田園風景や、目眩がするほどの青空や、鳥肌が立つような冷たく尖った風や、ひらめきをあたえてくれる紫の雷光や、止まることのない湖の波音。人がいないこと、話さなくてもいいということに、自分がどれほど安心していたのか、今更になって思い出すの。(生きるのに必死で、いつもすぐに忘れるけど…)人から受け取った感覚を生きるのではなく、自分自身が感じている、ありとあらゆる感覚が溢れ出してきて、わたしがわたしに戻れるような、そんな感じ。

納得したー、ものすごく納得したーって、本を読んで、久々に腑に落ちたのだった。そういう気質なんだと自覚することで、生き方が変わるというか、考え方や感じ方のパターンもわかるし、対策をたてやすくなるのも事実で。なんというか、自分のつらさは、敏感な気質のせいだと思うことで、そこまで自分を責めなくて済むのでだいぶ気持ちが楽な気がする。もちろん、改善していかないといけない点も多くあるけれど、必死になって自分のことを否定して、責めてってしなくてもいいんちゃうって思えるだけで儲けもん。生きてるだけでも十分えらいって思うくらいでちょうどいいのかもしれない。ただ生きるだけでつらいって思ってしまうことすら受け入れて、そういう自分を否定しない練習も、もう少し長く生きるためには必要だよって、自分に言い聞かせながら、ライム水をごくごく喉を鳴らして飲む。今夜はなんだか寒くないし、心が軽い気がしている。