祖母のミサ

長期滞在者

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春は天候が荒れる。体調も崩れやすくなる。職場の面子が変わったり、環境が変わったり、出会いと別れの季節だ。波のようにいろんなことが揺れて、揺さぶられて、安定するのがなかなか難しい。わたしにとってもそれは同じことで、様々な変化に適応するために日々必死です。

3月末から4月末にかけて、これまでにはなかったような体調不良が続いていたのも大変だった。身動きが取れないような頭痛が連日続き、急遽CTスキャンを受けたり、倦怠感と無気力、気分の落ち込みなど、これまでとは比でないくらい辛いことが増えた。職場の人事によるストレスではと心配されたりもしていたけれど、多分もっと単純に、自律神経が乱れて、わたしの健康状態も荒れに荒れたんだと思う。(正直、まわりのことを心配する余裕さえなかったのです。)

とくに調子が悪かったのは1週目から、2週目にかけの4日間。水曜の夜から始まった強い頭痛は、弱まったり、悪化したりを続けながら、月曜日の朝くらいまで、大きな波のようにひいては寄せてを繰り返した。その間は、なにもできない状態で、ほとんど寝たきりだった。あまりの頭痛のひどさに、生きているのが嫌になるレベルの苦痛を味わって、精神的にもひどく落ち込んでいたし、体力はひどく消耗していた。だけど、この間に辛かったのはわたしだけではなかった。

12時間の時差の向こう、ブラジルに住む母方の祖母が、体調不良を訴えて緊急入院となったのは、わたしの不調と同じタイミングだった。頑固な祖母が、病院に行くと言ったのは、ひどく珍しいことで、それだけにことが重大なのは、容易に想像がついた。祖母は重度の虫垂炎になっていた。すぐに手術を行うことになったけれど、状況は芳しくなく、難しい手術になるとのことだった。

手術が行われたのは、日本時間の4月9日の早い時間だった。朝、職場で母からの電話をとり、とりあえずは手術が無事に終わったことを知らされた。ほっと一息ついたものの、祖母の容態がどうなるかは、誰にもわからないような状態だった。母には執拗に私の健康状態について聞かれたけれど、祖母の方がやばい状態なんだから、心配しないでって伝えることしかできなかった。祖母はそこから、2日間眠り続けた。

日本時間12日、わたしはまた強い頭痛に襲われた。気が遠くなるような、激しい痛み。目の裏と、頭の中央ーおそらく下垂体がぶらさがっているだろう位置ーが強烈に痛い。ほんとうに痛い。ただただ、横になることしかできない。仕事のことも、規則正しい生活を送ることも考えられなくなる。この痛みは、人間らしさを奪う痛みだ。わたしはこのまま働き続けることができるんだろうか、自分自身のことを支え続けることができるんだろうか、まわりの人に多大な迷惑をかけてしまうのではないだろうか、まともな生活をこの先送れるのだろうか…考えても仕方がないことばかりを延々と考えた。祖母のことは考えられなかった。

次に祖母について連絡があったのは、日本時間の14日、早朝のことだった。朝起きるとともに、Facebookのメッセンジャーに母から連絡があったことに気づいた。とても嫌な予感がした…

ーFilha, vozinha partiu. Descansou. Sábado vai ser o enterro.
(あなたのおばあちゃんが息を引き取り、安らかに眠りにつきました。葬式は土曜です。)

祖母が亡くなった?手術は無事終わったって言ってたのに?なんで?こんなに急に?どどどっと、様々な問いが頭をかすめたけれど、諦めるしかないことはわかっていた。なんで、とは思いながらも、どこかで、祖母の状態が良くないことは理解していたし、祖父のときと同様、祖母の死に目にも会えないだろうことは、どこかでわかっていた。

もう、祖母は生きていない。わたしは二度と生きた祖母の声を聞けないし、薬草のことや、祖母の好きな聖書の話や、昔話を聞くことができない。なにより、大人になった姿を見せることなく、お別れしてしまったことが寂しくて、悲しくて。そう思うと、祖父母の死が、急に現実のものとして自分に迫ってくるのを感じるのだった。

祖母はわたしにとって、ブラジルを象徴する存在だった。旅が好きで、探究心があって、厳しくて、信心深くて、植物に関する知識がすごくて、ハーブの効能などをわたしに教えたのは祖母だった。ポルトガル式の編み物を教えてくれたのも祖母だし、筆記体のコツや、聖書の話や、さまざまな昔話を教えてくれ たのもの祖母だ。祖母が好きだったことは、わたしも大抵好きだった。祖母からはたくさん影響を受けたし、祖母が教えてくれたことの多くは、今のわたしを形作る知識や、技術となった。祖母は教師だったから、わたしにとってだけでなく、多くの人にとって、大先生だった。

祖母が亡くなったあと、いくつかミサが行われた。Facebook上では、祖母のミサについてのポストが度々流れてきた。教師だった彼女が、いかに人々に愛されていたのかを、デジタルな形で目にすることになるとは、なんだか不思議で仕方がなかった。それと同時に、こんな風に祖母のミサのことを、日本からインターネット越しに眺めることしかできないことが、ひどく薄情に思えた。

駅のエスカレーターで、祖母のMissa de sétimo dia (7日目のミサ) のについて考えていたとき、ふと、ひとつのことに気がついた。祖母が亡くなってからから、あの異常な頭痛が止んでいた。もちろん、程度の差はあれど、頭痛は毎日のように起こるし、体調は悪いままだったけれど、頭が割れるほどの強い痛みは起きていなかった。

そういえば、祖母は、痛みをとるのが得意だったなって、思った。たとえば、症状に応じてたハーブを調合して、ハーブティーを作ってくれたし、虫に刺されて足がひどく腫れあがったときには、庭からとってきた薬草と、特殊な泥を混ぜ合わせて、塗り薬のようなものをつくってくれた。手のひらを擦り合わせて、その手を腫れあがった足にかざすと、不思議と痛みが和らいだ。祖母は、そういう不思議な力をもっていたから、頭痛を持って行ってくれたのかな。それとも、祖母の痛みがなくなったから、わたしの痛みも和らいだのかな。いや、どっちでもいいか…祖母が安らかであれば、どっちでもいいや。静かに、祖母とわたしの痛みについて考えて、静かに祈った。