むきだし

長期滞在者

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 自由であることは大切だと思う。様々なことから自由になって、思いのままに動けたら最高。その点、自分はほんとうに自由奔放に生きていると思う。好き勝手に生きているし、本能のままだし、体だけ大きくなった子どものよう。自分の親世代とはまったく違う価値観を持っていると思うし、今自分のまわりにいる人の多くとも多分どこか違うけれど、それはそれでいいと思う。経験が違えば考え方だって違ってくる。それはごくごく自然なことだ。自由に生きていると、まわりと歩幅や歩調が変わってくるし、where am I? って不安になることもあるけれど、そういうもんだと思うようにしている。

 気持ちが落ち着かないとき、最近よく自分の胸の中で繰り返している言葉がある。
「マイザはマイザやねん」
 これは同僚の言葉。彼の友人が、わたしのことをそのように話していたと教えてくれた。この言葉を聞いたとき、なにかがすごくしっくりきて、すとんとあるべきところに落ちるような感じで、あぁそうだなって納得した。わたし自身が探していた、自分自身を形容するのにぴったりな言葉だと思った。
 考えてみれば当たり前のことだ。自分は自分自身である。それ以上でもそれ以下でもない。それを他者の言葉を通じて発見するなんて変な話だけれど、わたしのことをよく見ているなぁと妙に感心したのだった。波紋のように、その言葉はわたしの中に染み渡っていて、彼のその言葉のおかげで、職場が以前よりも居心地が良くなったように思うし、なによりわたし自身が以前よりも心地よく過ごせるようになった。

 自分を偽らずに生きられるのは素晴らしいこと。自分が自分自身でいられること、それをまわりの人に認められていること、たとえそれが多くの人ではなく、少数だとしても。どこかでこころをむき出しにできるのは嬉しいし、日々そうであれたらと思う。むき出しでいられるスペースが少しでも多くなったらいいのに。そうすることで、自分はもっともっと自由になれるのにと思う。そのためにも、空気は読み過ぎたらだめだなって、守りすぎてはだめだって、過去の自分の行いを反省したりする。自分があぐらをかいて、リラックスできる状況を作っていくために、今は環境づくりをしているところ。芯を強く、でも柔軟に。柔らかく受け入れて、より強くしならせて、釣竿のようにありたい。

 次の生活の拠点では、もう少し、いろいろとさらけだせたらと思っている。わたしたちのこと、わたし自身のこと。私生活ではだんまりを決め込んで、沈黙だけが増えてしまうからこそ、むきだしの状態を増やせたらと思っている。