入居者名・記事名・タグで
検索できます。

Mais ou Menos #21—裏でも表でもないわたしたちの往復書簡ー

Mais ou Menos

IMG_9793

IMG_9794

IMG_9795

2016.7.10
まちゃんへ
初めて2人で海外に行ってみたわけやけど、今回思ったのは、もっと2人で色々な世界を見てみたいということです。妹の結婚式でハワイに行ったけど、ハワイ=アメリカに行くということが、どういうことかというのも、まちゃんと行ったことでわかりました。(ブラジル人がアメリカビザをとるというのがこんなに大変だということを、実際に目にするまで知らなかった。)
だから、まちゃんのビザがとれたときは、本当に嬉しかったし、2人でこれからも困難を乗り越えて行けると思った。
ハワイに着いて、日本語でも通じる場面が多いとはいえ、自分の英語能力の無さにはガッカリした。
人の結婚式に行くと、おめでとう、と思うんやけど、自分には関係ないなと思うので、現実味がないというか、自分はこういうふうに親族に祝ってもらえないのかと思うと複雑な気持ちになる。妹が幸せになってくれればそれでいいんやけど、自分と結婚式を結びつけられない感覚がある。
旅は時間の制限が結構あったけど、その合間をぬって楽しめたと思う。運もよかった。
特に印象に残っているのは、ホノルル美術館のアジアのコーナーと、まちゃんと夜の街をブラブラしたことと、飛行機の中で見たかった映画をたくさん見たことです。映画が見たくて飛行機が苦痛じゃなかった。
ほんと、まちゃんとはこれからもいっぱい旅したいです。うちらの人生そのものが放浪やけど、いっぱいいろんなところに寄っていろいろ見ていこうね。

P

_______________

Pちゃん

ハワイ、すごく楽しかったね。私は一年ぶりの海外。アメリカ圏にはトランジット以外で入国するのは初めてで、ビザがちゃんととれるかほんとに心配だった。でも無事にビザがとれて入国できたし、Pの家族や相手方のご親族と一緒に式に出席させていただけただけでも、私にとっては嬉しいことです。たとえ“友人”としてでも置いてくれることに感謝しています。ご親族の方々も素敵な人々だったし、式も素敵だったね。

ハワイは思っていたよりジメジメしていなくて、気持ちの良い気候でした。ダイヤモンド・ヘッドほんま綺麗やった。ハワイの植物が興味深くて、木の写真ばかり撮ってしまった。そして、そうやって夢中な私を見守ってくれて&気長に待ってくれてありがとう。良いコレクションになりました。

あと、ホノルル美術館最高だったねー。一日中ゆっくり見ていたかったけれど、時間の都合で早足になったのが残念でした。西洋美術が大好きな私ですが、今回一番心をうばわれたのはアジアのもの。インドネシア、ジャワ島、スラウェシ島の美術品。あと、パキスタンの仏像!!仏像は国によって顔や体型が全然ちがっていて、その国ごとの“美”のあり方が手に取るようにわかったね。アジアのアートはより土着的で呪術的な感じがした。何度も鳥肌がたった。ジャワ島の仮面が壁にたくさんかけられていたけれど、人間か動物かわからない歯がたくさんうめこまれてて、すごく怖かった。怖かったけれど、じっと見つめていたくなるようなパワーがある品々でした。もうすでにホノルル美術館が恋しいです。絶対にまた行きたい。

ハワイに行くまえ、菅啓次郎さんの『ホノルル、ブラジル:熱帯作文集』(インスクリプト発行)を読んでいて、ハワイにもポルトガルからの移民がいたことを知って驚いたんだけれど、たしかにポルトガルからの影響を感じることが何度かありました。日本人移民は有名だけれど、ポルトガルもとは・・・。ハワイの人々の雰囲気はブラジルの人々によく似ているのも、そうやっていろんな血が混ざってきたからかもね。Pちゃんに、なんとなくブラジルに共通する“感じ”を知ってもらえたのこと、実は嬉しかった。

ハワイ最終日の朝、ホテル内のライブ会場で行われたレセプションパーティーの場で、Robertさんに会ったね。“戦メリ”に出てくる北野武によく似たホテルの従業員さんで、彼は日系の人だった。このRobertさんとの短い数分の会話が、すごく印象に残りました。

Robertさんの母方の親族は、横浜からハワイに渡ってきた。横浜は昔から様々な土地から流れてきた人々が集まっては、また横浜から更に流れていった移動の場。四国の方で陶芸家をやっていた祖父の話や、日本食が恋しいといったような話。淡々と自分らの歴史を共有してくれて、そのRobertさんの姿勢のブレなさに驚いた。私が普段感じている“生きていることの恥ずかしさ”や“罪の意識”のようなものはまったくなく、まっすで正直で。私は余計に自分のことが恥ずかしくて、情けなくなったよ。自分もあなたと似た境遇なんです、と言えなかった。私、多分この先もRobertさんのこと忘れないと思う。自分が感じた情けなさや、見知らぬ人に対して自分をオープンに語ることの強さ。私もいつかそういう風に自分の歴史を人に淡々と語れるようになるんやろか。

そういえば、明日11日は祖父が亡くなってから一ヶ月になる。この一ヶ月、日経移民のことをほんとうにたくさん考えたな。まさか、ハワイでも日系の人の話をきくことになるとは・・・。これもなにかの縁だったのかもしれない。

さあ、今月も暑さに負けず頑張ろう。

Maysa
2016.07.10

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

PQ

PQ

ゲームと映画が好きです。
国籍も性別もない。

Reviewed by
西尾 佳織

「西尾さんは、自分が何かしらのマイノリティだと感じますか?」と訊かれたことがある。
「え?」と言って、立ち止まって考えて、思い当たらなかった。
そのことを、恥ずかしいというのが一番近いような感覚で感じた。
その質問を受けるまで熱心に、「自分が当事者ではない事柄に、どうやって心を寄せられるか?」というようなことを話していたから、それでいざ質問を受けてみたら「ないのかよ!」と自分で自分に思ったのだ。

ないことが問題なのではなくて、訊かれて初めて「あ、『これに関して自分はマイノリティ』って言わざるを得ない線引きがない」と気付く遅さが恥ずかしかった。
そんなにも自分の立っている場所を抜きにして、「どうやって心を寄せられるか」なんて、よく語れたものだ。

何かしら自分が犯してしまった過ちに関して、申し訳ない恥ずかしい消えてしまいたい……と思ったことはある。何度もある。
でもただ生きていること、存在自体を恥ずかしいと思うことはなしに、私は生きることが出来てきた。
存在ってそういうものだと思っている。
どういうやつだから居てよろしい、あなたはダメ、とかではなくて、図々しくも「はい。います」から始まる。

「”生きていることの恥ずかしさ”や”罪の意識”のようなもの」を日常的に感じている、まちゃんがいて、その言葉に触れて、
私はのびのび生きている自分を恥ずかしいとは思わないけれど、罪の意識を感じる。
自分ののびのびをやめようとは思わないけれど、なんかちょっと罪、感じつつ、だがしかしののびのびだ。
だから本当ののびのびではない。
本当ののびのびなんてない。たぶん、私の生きている間は。
でものびのびしたい。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る