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Mais ou Menos #34 —裏でも表でもないわたしたちの往復書簡ー

Mais ou Menos

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ぴちゃん

今日はすごく涼しいね。ここ数日、雨の日が続いているけれど、すごしやすくてたすかる。

この一ヶ月間は、いろんなことが起きて、いろんな変化があった。体調不良の理由がわかって、検査のために一週間入院をしたり、毎日のルーティンがすこし変わったりしたね。なにより、自分が指定難病になるなんて、まったく予想してなかった。メンタルの問題でもなく脳の問題だったなんてね…。
個人的には、この数ヶ月で自分の体に起きたこと、自分の人生の大きな分岐点になると思う。

生き方も、この先もっと変わっていくと思う。
薬である程度症状をおさえることができるけれど、色々考えながらなところもあるし、以前よりも一歩まずは立ち止まって考えるようになった。自分の体のこと、それを最初に考えて行動するようになった。

一生付き合っていく病気だから、この先、この病気も自分のアイデンティティとして、自分の体と精神の一部になっていくんだろね。

入院中も、ぴには支えてもらって、日々の仕事のあい間に顔を見にきてくれたのすごく嬉しかった。2人で、それぞれの視点から記録をつけはじめ、入院中の写真も残すことができてよかった。不思議だけど、写真から自分たちのそのときの気持ちがにじみ出していて、思い出します。

仕事のこと、これからのこと、心配なことたくさんあるけれど、なんとかなると思う。前に進むペースは、ゆっくり亀の歩みになるけれど、今はあまり焦ってないの。職場でも理解してもらえているし、まわりの環境に感謝する日々です。もちろん、ぴのパパやママ、自分の家族にも。

30歳って、そういう年なのかな?
ぴも適応障害だとわかったのは、30-31の頃だったね。関係あるのかないのかはわからないけれど、自分たちの体と心のことを、もっと深く考える時期なのかもね。おたがい、日々ぼちぼちやっていこうね。

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まちゃんへ

まちゃんが病気になって、検査入院することになり、その間久しぶりに2人が離れて過ごしたとき、改めて、自分やまちゃんのことを静かに見つめ直せた気がしました。

やっぱり大切だと思ったのは、二人の生活のこと。
仕事は生活していくために必要なことやけど、どちらかの仕事がなんとかやっていれば、とりあえず生きていけるから、2人が生きていけることが大切なんだと思いました。

まちゃんの病気は薬を飲んで、気をつけていれば命に関わらない病気やけど、何度もまちゃんが、もし死んだら、ということを考えました。

頭の中が真っ白になった。
2人でただ生きようと思った。

私は、人とすぐ自分とを比べてしまうところがあるけど、そういうのやめようと思った。

まちゃんと自分が幸せで、生きていたらいいやんと思った。
人のことはどうでもいい、という意味ではなくて、自分たちのささやかな生活にすごく満足しているし、このまま、自分たちのできる範囲で楽しんで、楽しんで、生きて、生きて、いこう。
好きなこといっぱいしよう。

2017.8.11

P

Maysa Tomikawa

Maysa Tomikawa

1986年ブラジル サンパウロ出身、東京在住。ブラジルと日本を行き来しながら生きる根無し草です。定住をこころから望む反面、実際には点々と拠点をかえています。一カ所に留まっていられないのかもしれません。

水を大量に飲んでしまう病気を患ってから、日々のwell-beingについて、考え続けています。

PQ

PQ

ゲームと映画が好きです。
国籍も性別もない。

Reviewed by
西尾 佳織

言葉にして書くこと、写真に撮ること、絵に描くこと。
種類は様々あるけれど、そういう行為を通じて人は、自分の身に起こった出来事と自分自身との距離をはかることが出来る。

例えばしんどい状況にあるときに、そのしんどい事柄に対して、必ずしも距離を大きく取る必要はない。
しんどい事柄に働きかけて、対象を変更させたりコントロールしたりすることだけが、解決策ではないと思う。

「距離をはかる」というのは、今ある状況を静かな心で見つめることだ。
見つめて、距離を知って、「ふーん、今こんな感じか」と思うだけだけど、
でもそれだけで、きっとずいぶん違うと思う。

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