当番ノート 第11期
人生はとにかく複雑だ。 社会もズンズン複雑になっている。 いつから子どもは大人になるのだろう。 こういうことを考える時点で既に複雑に考え過ぎているのだけれど、いつからか何を考えるにもバイアスがかかることが多くなってしまったように思います。 子どもはある意味、痛快なほど単純で柔軟です。そして、脳も若く発達段階で、恐るべきポテンシャルを秘めています。 それに引き換え大人は、単純というには程遠く脳の動き…
長期滞在者
マイマイカブリという虫が好きだ。 少し正確ではない、言い直す。 マイマイカブリという虫が好きだったことを思い出した。 実物のマイマイカブリなんて、もう30年以上見ていない。 長い優美な形状の甲虫である。ロッテンマイヤー女史が着ていた濃紺の長い衣服を連想させる。 「舞舞被」という字を頭に浮かべれば典雅な舞楽のようであるが、実際は舞舞(マイマイ)とはカタツムリのことである。カタツムリの殻をカブっている…
当番ノート 第11期
昔のことを思えば思うほど 今の自分が、 今の自分の嫌なところが見えてしまう。 ずいぶんと幸せになってしまった。 それはもう、女の子に嘘をつかれたり騙されたり突然音信不通になったりされてるけれど 特に死にたいと思うこともなく むしろ生きたくて仕方がない。 僕という人間はどうしようもなく最低なことをしてきたけれど 良い意味でも悪い意味でも誰かの人生を変えるきっかけになってしまえた。 いま 写真が撮りた…
当番ノート 第11期
「俺の生き様を見てくれっ!」で、他人に共感を得てもらうより、生き「てる」様「子」。すなわち、その人が粛々と生きている様子、またはその人のなんでもない日々の営みが共感される方が、素敵だと思う。 誰もが見ていない所で何ができるか。相手あってこその自分基準をどう磨くか。この先の課題です。
当番ノート 第11期
もうすぐ、クリスマスです。 神社へ行き、お寺へ行き、ハロウィンで仮装し、クリスマスを祝い、 というか、クリスマスに託つけてお祭りをたのしみ、2月14日にチョコレートを贈る、 このちゃんぽんな感じは、わたしが好きな日本のチャームポイントの一つです。 その姿はときに軽薄に見えるかもしれないけれど、 どちらの神様が正しいかとか唯一かとか争うわけではないから、平和でいいなと思うのです。 電車の中で寝ていた…
当番ノート 第11期
あらゆる種類の緑をしみ込ませたような森があった 豊かな地表を覆う和毛のような苔は 幾星霜も年輪を重ねてきた木々の幹を優しく包み込んでいた 常に霧がたれ込めていたため その色彩の深さと豊かさとをつぶさに知ることは容易ではなかったが 1年の中で限られた時にだけ 緑の天井のわずかな隙間から漏れ出した日の光が森を照らした 幾度も濾過された柔らかな光と森自身が育んできた柔らかさとが 出会い膨らみを増し 地表…
長期滞在者
パリに来て最初の一ヵ月半は毎日語学学校に通った。 分かろうが分かるまいが毎朝3時間。 フランス語に対する免疫力を養うのにはうってつけだった。 日本人ばかりのクラスから始まって、終わる頃には外国人に囲まれて授業を受けていた。 それぞれにとても大切な出会いがあった。 それから音楽院が始まり、パリで暮らす人々との出会いも少しづつ増えて、気がつけば三ヶ月が経過している。 フランス語についてもフランス人につ…
当番ノート 第11期
ちゃらんぽらんな夜を過ごして その次の夜はひとり落ち込んだりしてさ じゃあやめとけばいいのに 夜と また夜と、夜と夜とがさ 床が回転して つぎつぎ場面がかわるお芝居みたいだよ 夜のコンビニで 無数のチュッパチャップスが刺さった、くるくる回る販促台を見ながら そんなことを考えていた なにかを買いに来たつもりだったけど、 忘れてしまっ…
当番ノート 第11期
1992 眇眇たる世界。豊富な言動。無用の尽力。十分な口述。過去は忘れ、未来は推測にすぎない。 今しか見ないあの人。ただ。目覚まし時計のように鳴き、騒音のように吠える。 ぎりぎりのところで理性は復す。 1997 二番目に暗くて静穏で無愛想なあの人は誰よりも沈黙の主張と独自性を有していた。 私はもっぱら、視野を限りなく狭め、誰にも気付かれないように、観察した。それはただの予想に過ぎなかった。 妄想が…
長期滞在者
長らくこのアパートメントの自室に引き籠ってしまった。 そうこうしてるうちに冷たい冬が窓の外を叩き始めて余計に部屋から出づらくなった。 それでもわたしはどうにかキーボードを叩いて新しい景色に出逢いたいと思う。 さて、今回はわたしが今年の夏に出逢った演劇作品についてお話しする。 こどもを対象とした演劇祭“TACT/FEST”で上演された飴屋法水演出の「教室」という作品について。 この作品は、演出家の飴…
当番ノート 第11期
初めて泊りがけで登った山は、赤石山脈の光岳だった。 小学校1年、楽しみにしていた初めての終業式を欠席させられ、両親と山仲間に半ば無理やり連れて行かれた格好だ。 夏休み初日は山の中、という思い出深い数日がスタートしたのである。 当時は寸又峡からの林道は崩落しておらず、車でガタゴト揺られながら登山口まで到着した。 そこから、寝袋とおにぎり・水筒を小さなリュックに入れて、長く続く登りを大人たちに混ざって…
当番ノート 第11期
先日、横浜美術館に横山大観展を見にいった。 描かれた葉の紅葉する緑と黄色の間がとても切なく美しかった。 その腐ってしまいそうな刹那がなんだか懐かしかった。 同館のコレクションにダリの絵があった。 ———————————— 初めて持った画集はサルバドール・ダ…