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2F/当番ノート

①はじめまして  ~私事と目次~

当番ノート 第11期

はじめまして、高村直喜と申します。

僕は、山梨県山中湖村というところで「ホトリニテ」という名の宿をしています。まだまだ経験も考えもないのに人様にお見せするような文章を書いてしまうなど、生意気だと思いましたが、これもよい勉強になると思いましたので、いままで感じ考えてきた事、体験してきた事を綴ってゆこうと思います。

まず、題にもある私事ですが簡単に現在までの自己紹介をさせて頂きます。

1979年生まれ 山梨県山中湖村で育ち、小さい頃は野山を駆け回ったり、またファミコンに熱中して勉強などは、まったくしないで遊んでばかりいました。小・中学校でも勉強はしなかったので高校でもクラスでビリの落第。18歳の時に音楽(DJ)に出会い、高校を卒業してから東京へ。色々なクラブでDJをしました。ただ、何か満たされず自分をもっと磨こうと海外へ行くことを決め東京を離れカナダに1年間行きました。

その時、カナダで江戸時代中期の絵師「伊藤若冲」の作品、生き方に魅せられ、感動し日本へ帰ったら若冲のお墓がある「京都・石峰寺」にてDJでの演奏ができたらいいなと、夢を抱きました。日本へ帰ってきて数年後、あてもなく京都へ住み、手紙をもって夢を打ち明けにお寺へ。数日後、ご住職とお母様に受け入れてもらえ、9月10日に毎年行われる「伊藤若冲忌」にて願っていた表現を奉納演奏という形でさせて頂ける事となりました。この石峰寺での『出逢い』によって自分の内面が大きく変わったのだと思います。

その後も、ギャラリー/神社/美術館など色々なところで演奏させて頂きました。(演奏とありますが、DJセット+スピーカー10個、ヴァイオリンでのパフォーマンス)それから、あるTV局のドキュメントで自分を撮ってくださる話がきて、撮影がはじまり数日たった頃、自分からその撮影をお断りさせて頂きました。

その理由は「己の偽り」にたえられなかったからです。たくさんの方に知ってもらえる大きなチャンス。よく見せよう、よく見せよう、と背伸びしていた自分に嫌気が差したのと、もうその時「音楽」は作れていなかったからです。そこで学んだのが「自分の中に無いものは、どうあがいても人には伝わらない事」でした。

それから10年間の音楽活動を止め、なんで音楽をしていたかを考えました。結果、音楽をしている事がツールとなって、まだ見ぬ「人や出来事」に会いたかったのだと思いました。そこで、振り返ると実家が宿をしており「毎日」人や出来事に無条件に会える、という状況だったのに気づき。違和感なく、すんなり、その道へ進んでゆくのでした。

2011年1月に、それまで父がしていた保養所(宿)をリニューアルし名前を「ホトリニテ」に変え、今年で3年目。(もうすぐ、4年目に突入です)1960年創業、おじいちゃんの代から僕で3代目となります。継いで宿に入った時、父はすべての一切をまかせると言ってくれました。僕としては毎日遊んでいるような気もしないでもないですが、真剣です。
笑いあり、涙ありっ!なんて言ってられないくらい目まぐるしい日々ですが、自分に与えられた「やるべきこと」と毎日、向き合っています。

ざっと、今までの事を書かせて頂きましたが、ここに書ききれないくらいの出会い、良いことも悪いことも含めて僕に色々な事を経験させてくれた方々が多くいます。その方々のおかげで、今の僕がいると思います。本当に、ありがたいことです。

今回を入れて【2013年/10月と11月の毎週月曜日】8回の連載となりますが、皆様、どうぞ宜しくお願い致します。
    
【目次】

①はじめまして ~私事と目次~
②『宿にこそ、冗談を』
③毎日せっせと芸みがき
④「間」じめ、な話。
⑤1泊素泊り 3000万円!?
⑥『ちょっと、少し、微妙』
⑦生き様+「てる子」
⑧出会いの絶景と、これから。

高村 直喜

高村 直喜

富士山に一番近い湖、山中湖の湖畔でホトリニテという名の宿をやっております。好きな食べ物はイチゴ。心躍らされるもの、縄文土器。  写真は宿のゆるキャラ「ホトリちゃん」です。(富士を、かぶるバージョン)

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