2月なので、チョコレートの話を少し。色気づいて(中学か高校辺りに)、気になる相手にバレンタインにチョコレートを贈るのは、ママゴトみたいなものかもしれません。しかし、女の子らしい女の子はその辺りの演出が上手いと言えますし、なにより度胸があります。わたし自身は、度胸がない上にケチだったと思い返されるけれど、その女の子は、買った商品を手作りだと偽って(チョコブランドも少なく手作りが流行っていた)気になる男子にプレゼントしたようでした。
笑ってしまうようなちいさな嘘。良くないのかもしれないけれど、微妙な手作りを貰う重たさより、余程気が利いています。彼女は、髪がクルクルとカールしていて可愛かったし、お高くとまってない感じ(断っても大ごとにならない雰囲気作り)も大事なことですね。一方、わたしを含むその他大勢の女の子達は、そういう噂話に興じるのが精一杯でした。すぐ「馬鹿みたい」と言ってしまう。わたしたち、ざっくばらんにつまんないねーと語り合おうものなら、女子の沽券が傷付くことを察知していたかのようでした。本能的に。その拙いところは、自分ならどうしたいかを棚上げし、ぴったりと蓋する魔法の言葉だったからです。
彼女のチャレンジを笑うことで、わたしたちは、自分たちの臆病をひっそり隠しました。この場合、どちらがよりウソツキだったのか。人につく嘘と自分につく嘘。児童文学の中に、自分のついたウソを4種類に分類する女の子の話があります(「エレベーターで4階へ」マリア・グリーペ作)。彼女は、そうすることで母親に対して秘密を持ち、だんだんと母以外の世界への模索を始めます。それは、少女らしい潔癖であり、内側に自分の世界を作る始まりでもありました。
余談ですが、弟は、幸いにもチョコレートを貰える少年に育ちました。弟を気に入った女の子がひとりいて、学校の下級生だったので、弟と同級の従姉妹に頼んで橋渡しをして貰ったようです(コネと交渉能力です)。わたしが、この事実を知っているのは、母の命令で渋々そのお返しを買いに行かされたからでした。
大島弓子さんの漫画、おばさんと少女が入れ替わる話(秋日子かく語りき)の中でも、おばさんは何でもお返ししなきゃという躾を受けていることが揶揄されます。バレンタインは、お中元じゃないよと突っ込まれますが、おばさんは全然気にしません。
うちの母も、まず、チョコレートの娘さんにお返しをしなきゃと考えたんでしょう。弟の気持ちはそっちのけで。
その時、高校生のわたしが悩んでお弁当を入れる袋(無難この上ない実用品)を選びましたら、母からとんでもなく不評でした。いやいや、あなたにあげたんじゃないからと、影武者は長らく思っていましたが、求められていたのは影武者の影武者だったかぁとハッとします。現在のわたしとほぼ同年齢の母が、臆面もなくついた嘘は、先に書いた癖毛の女子高生とこんなにも類似性を持っているなんて。
親に嘘をつく、秘密を持つ、嘘で着飾る。その後、呆気なくばれるところまで、チョコレートはいろんな事を教えてくれます。