「『いついかなるときも希望と喜びが傍らにありますように』という言葉が今も胸に残って生きているからです。」
2年前の春にわたしが放った言葉が思わぬ角度から返ってきた。そしてわたしはこのアパートメントに入居することを決めた。
みなさんこんにちは。フープダンサーのAYUMIといいます。
フープダンサーってなに。ただの踊るひとじゃないの。
はい、フラフープと一緒に踊るひとのことです。あまり、どころかまったく想像つきませんよね。ごもっとも。
ちょっと動画で一例を紹介させてくださいな。
ほら、フラフープと一緒に踊っているようにみえるでしょ。フープダンスといいます。90年代の終わり頃にアメリカで生まれました。日本ではまだ滅多に見かけませんが、ここ数年欧米ではプレーヤーが急増し、日進月歩の発展を続けている新しいスタイルのダンス/パフォーミングアーツです。
わたしがフープと踊ることを始めてかれこれ7年ほどになります。日本にフープダンスが入ってきてすぐ、わたしは幸運にも出会うことができ、踊り始めることができました。以来、日本でのこのちいさなシーンの最前線をずーっと走ってきました。望むと望まざるとに拘わらず。
「望む望まない」の話はまた別の機会に譲るとして、わたしにとってフープダンスとの出会いは確かに「幸運」でした。
初めてフープを手にしたときの、体が拡がるようなあの感覚。宙に弧を描く円に連なる腕がどこまでも伸びていく。まるで鳥になったようだ。そう思った時から、フープとともにある人生が始まりました。
そのときわたしはすでに三十路で、結婚に一度失敗し、前職で大きく体調を崩し、目は開けども見えず聞こえずの廃人と化した状態からの回復途上にある、月収数万円のパートタイマーでした。
ダンサーとして世に出ることを考えるには遅すぎる、いや年齢のほかにも今思えば瀬戸際な要素は満載です(人間として十分に機能回復していたかも危ういです)。幼少より格闘技の修練を積んではいましたが、当時のブランクは7年ほどと長く、ダンスは基礎訓練すら受けていません。
人生においては無かったことにできる出会いが数多あります。ですがフープとの出会いは、そうするには余りにも鮮やかでした。
そこでわたしは猛然と練習を始めました。毎日4時間。最低でも2時間。朝5時に起きて勤めの前に。雨の日は中央線のガード下で、真夏は照りつける太陽の下で。今しかない、と。肉体的な限界を迎える前に、行けるところまで行くんだ、と。
結局、過度の練習が祟ってさらなる故障を抱えたり、打ち込む余りパートナーとの関係がこじれ精神的に追い詰められ挙げ句破綻したりなど、生涯の友となるだろうフープを得ても人生は依然荒天続きです。
それでもわたしはフープとの出会いを「幸運」だと言いますし、踊ってさえいればなんとかなると本気で思っています。
まるで鳥になったようだ。
あの時わたしは、まったく予期せぬ形で、世界と再会したのです。
眼前の薄闇をさっと裂くような鮮やかな驚きと興奮を忘れはしまい。
光を見失っても、何も聞こえなくとも、あなたの、わたしの傍らにそれはある。
「いついかなるときも希望と喜びが傍らにありますように。」
祈りの言葉を捧げて、今日もフープとともに踊ります。