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2F/当番ノート

神様だと思っていた

当番ノート 第38期

その人を、神様だと思っていた

なんでも知っているようにみえた
歩むべき道を陽の光で照らしてくれた
僕を生み出してくれた

いまになって気が付くとは。全部間違いだったんだ。

なんにも知らない。
照らされた道は、いやに丁寧に舗装されていて、どうやら俺向きじゃあない。
あいつは、俺の精神まで造り上げようとしているのか。

そのことに気が付くのに、二十一年もかかってしまった。不幸というべきか、いや最悪だな。人生の四分の一ほどの時間を、誤った神への信仰に費やしてしまったのだから。

そうさ、あの女は神様なんかじゃなかったんだ。

崇める神を失う、なんてことは普通ないだろ?神は心の中にいて、不滅なのだから。だからそん時、どうすりゃいいかわからないんだ。他をあたるか?それとも、この真っ暗な海で泳ぎ続けるか、だ。

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 大聖堂近くの人通りの少ない広場。そこまでわざわざ歩いてきて石段に座りこむと、ヴィトはあたりを気にしながら、大事そうに小さなスチール缶を取り出して蓋をとった。汚れた濃緑色の葉を巻紙にあけて、タバコの葉を混ぜ込み、器用に丸めると、右手に握ったライターの打ち金をこする。植物くさい特有の香りが僕らを包む。試すように幾度か吸い込んだあと、僕によこす。センキューを言って親指と人差し指で挟み込み、たっぷりと吸い込む。目を瞑り、昂って、煙を吐き出す。

ブルゴスの街はすでに冬支度を始めていて、靴屋に行ってもサンダルは売ってなかった。どうして?と聞くと、そろそろ寒くなるもの、と店の女は返した。よく冷える街だ。建物からせり出したサンルームは、寒さを避けながら太陽を浴びるための、ひとつ、知恵らしい。

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「今夜はデンカンとは別なのか」
「うん。巡礼宿じゃなくて、町外れの安宿に部屋をとったらしいよ。そこで彼女と一発、てわけ」
冷やかしながらも、どこか羨ましそうにヴィトは言った。さっき二人がキスを交わした時もそんな顔をしてたな。
「それは、まぁいいことだろうな」
「デンカンはここで巡礼をやめるからね」
「君もか?」
「いや、僕は続けるよ。寂しくなるね。一人で旅するの、あんまり好きじゃないよ」
「そうか」
ひと口、煙を吸う。ひげ面で、スパルタの戦士みたいな顔つきのヴィト。冷え込む北部スペインの秋風に対して彼が持ちうるのは、グレーのよれたパーカーと、孤独。
「まぁ、それでも一人旅も悪くはないぜ。なんせ自分の内面を問うことができるんだから」
「確かに、そうだね」
「おれの周りじゃ、人生なんてものを考えてるやつは少なかったよ」
「なるほど、ただ働いて、眠って、また働いては眠るんだね。」
「そう」
「ロボットみたくさ」
彼の瞳の奥を、鋭い光が走った。ウィードの煙が、確かに彼の脳を明晰にしているのだ。
「ハヤテ、アムステルダムに行ったことがある?」
「いや、ないけど、どうして?」
「あそこは、なんでもできる街だよ。とにかく何でも。ウィードも、クスリも。そんなとこなんだ。That is a place to be….」
「to be….なんだ?」
「…うまく、言えないよ。To be, to be….いやそれでいいか」
「あぁ、そういうことか」
「うん、place to be だよ。行くんだ、絶対」
ヴィトもそこへは行ったことがないという。もしアムステルダムへ行けばどうなるのだろう。彼は、何になるのだろう。どうやら、暗い海を泳いでいるのは俺ひとりというわけでもないらしい。少なくとも、狂った絵を描くこの男も。

To be, to be

そう、自分自身に。

夜も冷えてきた。そろそろ宿に帰るとしようか。

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Reviewed by
浅井 真理子

喪失をきっかけにして出た旅はたった一度しか見ることのできない景色で溢れている。喪失は人の目を変えてしまう。聞こえる音も変わってくる。ここで交わされる会話はきっとささいな会話なのに、海の音のように重なり合って響いてくる。

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