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2F/当番ノート

とにかくジャグリングは面白い

当番ノート 第19期

私がジャグリングを始めた時に魅力だと思ったことはなんなのでしょうか。

私は中学三年生の時にジャグリングを始めましたが、その時きっかけになったのは、クラスにいた、数学のよくできる友人S君でした。彼はもうジャグリングをやっていないと思います。私はS君が器用にボールを操っている姿に憧れたわけです。

自分もやってみたら案の定楽しかった。

ジャグリングの楽しさは、見ること、やること、両方にあります。
最近のジャグラーは、YouTubeやFacebookなどを通じて簡単に動画をアップロードでき、自分が作った技を、「まぁちょっと見てくれ」という気軽さで、まるで部活の仲間に見せるような感覚で、世界中(の限られたインターネットにアクセスできる人間)に届けることができます。
またそういう風にネットに上げられた動画がたくさんあるので、見本にするものがいっぱいある。よりどりみどりの「作品」の中から、自分が気に入ったものを真似したり、自分なりに改良してみたりすることも簡単にできるわけです。
そういうやりとりの楽しさもある。

また、自分自身が行う「運動」としての面白さ。
「ジャグリング」というと、見せ物として、ショーとして、プロが鍛錬する技術として、未だとらえられがちですが、とんでもない。
今やそれは幼少より鍛えられた人の「業」としてのみではなく、ボールを持った瞬間から、すぐに始められて、しかも実質的に誰でも大会を目指せるような、そういう機会が用意された、もっと大きなコミュニティを抱えた「楽しみ」にもなっているのです。

ジャグリングができる表現には、幅広いものがあります。
もし読者の方が、ここまで来てもまだジャグリングがこれ

だと思っているとすると、それはやっぱり、ジャグリングの持っているもっと大きな楽しみとは、全然違う姿です。

もっともっと、ジャグリングは面白いことになっています。
三年半前の動画ではありますが、たとえば日本の「趣味ジャグリング」の延長の姿を映したものにこんなものがあります。この動画に出演する2人は、共に日本のジャグリングが誇る、高い技術と創造力を持つジャグラー、YURIさんと宮野玲(あきら)さんです。

視覚を追究する芸術のような側面が垣間見られると思います。

彼らは今でこそジャグリングでプロとしてのキャリアを歩もうと模索している人たちですが、もともとは趣味でジャグリングを始めた人たちでもあり、別に親がサーカス畑の人だ、とか、そういうわけでは全くありません。

またここまで洗練されていなくても、自分たちが満足いくように技を開発してみたり、ビデオを作ってみたり、文化祭で演技を発表してみたり、日本中、世界中に、ジャグリングで遊んでいる人がいまや無数にいます。

いわば絵を描くように、なんとなく、好きだから、やる、という人も、見るのも好き、という人も、ただただ画集を眺めるのが好き、という人も、俺はこれで食っていく、という人もいて、しかもその全員が相互に影響を与え合っている。
「演じる」と「見る」が完全に隔離された「びっくりショー」ではない遊び方が多様にあるのが、今のジャグリングです。

雑誌を作っちゃう人間もいる。

いや、しかし正直私自身が、何故「ジャグリングについて書く」なんていうことに力を入れてしまっているのかは、わからないです。ジャグリングはやったり見たりするのが一番楽しいです。
本当に。
だから書くのなんて今すぐやめて、ボールを投げたい。
まぁそれでも、書いちゃうのは、ジャグリングには大きな魅力があるからだ、とか、多様性の現れなのだ、とか適当に綺麗なことを言ってみようと思いましたが、たぶんそれは、ただ単に私が「書くのも」好きな人間だからでしょう。

とにかくジャグリングの面白さは、どんどん「はみだす」面白さです。
まだ他の芸術分野に比べて、全然「型」ができていない故の、「はみだしていく」面白さなのです。大道芸でも、サーカスでもない、そして今ある「視覚芸術」とか、そういうジャンルにも収まらない、まるきり見たこともないものに向かってどんどん「はみだしていける」面白さだと、思います。

ジャグリング、楽しいよ。

(2015.02.13 少し寒いリビングでドイツ語のCDを聴きながら書き上げる)

青木 直哉

青木 直哉

ジャグリングの雑誌「PONTE」編集長。
好きなものは無印良品とことばとエスプレッソ。

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