入居者名・記事名・タグで
検索できます。

2F/当番ノート

シンガポールのゼンハオ

当番ノート 第19期

ゼンハオ君という友達がいます。

もう先の文章に書いたような気がしますが、2011年から2012年にかけてイタリアに留学していました。
その間に、休みを利用してイギリスにも行った。
ジャグリングフェスティバルがあったからです。
BJC(ブリティッシュ・ジャグリング・コンベンション)という名前で、やっぱりここでもテント暮らし。EJCと同じです。

P1010279 のコピー
▲テントの群れ

会場までは、ロンドンから電車で約二時間。
ロンドン観光を少ししてから、最寄り駅、サウスエンドへ。
駅から出て、はたと踏みとどまる。道が分からなかった。
右往左往していると、何人かの集団が、ジャグリング道具を背負って歩いているではありませんか。
まっすぐその人たちのところへ歩いていって、話しかけようとしました。
するとなんと、一人は日本人らしき姿。
これはよかったと思い、「あの、日本の方ですよね」と尋ねると、

“Ah…I’m not Japanese.”

ちょっと困った顔でそう言ったのが、シンガポール人、ゼンハオでした。

BJCでずっと一緒にいたおかげで、ゼンハオとは仲良くなりました。
目が細い中国系の細面で、少しシンガポールなまりの英語を話す。
ジャグリング、数学、科学、アニメが大好きで、日本人の典型的な理数系大学生ジャグラーに似ている。
テントを近くに張って、日本のジャグラーや、お互いの国のことを話して盛り上がりました。
帰る前には、彼と、オランダ人の友達トムが一緒に住んでいるシェアハウスに行って料理をごちそうにもなった。
インペリアルカレッジというところの留学生だったゼンハオは、
「来年には留学を終えてシンガポールに帰るんだ」
と言っていました。

時は過ぎて私がイタリア留学から帰って半年ほど経ったある日。
Facebookでゼンハオからメッセージが。

「今度シンガポールで、サーカスフェスティバルがあるんだけど、来てパフォーマンスしないか?」

そういえば、BJCにおいて、彼がシンガポールのサーカスフェスティバルのメンバーになることを聞いていたので、そんな話もあったなぁ、と思い、いいよ、と返事。
こうしてゲストパフォーマーという扱いで、招待されることになったのでした。
(そういえばその時一緒に招待されたのは、前回の連載で紹介した、YURI&AKIRAでした)

初めて行くシンガポール。
マーライオンとチキンライスくらいしか印象が無い国でしたが、
実際行ってみて、シンガポールに特有だと思ったのはやっぱりマーライオンとチキンライスくらいでした。
あとは、マイロ。(日本では”MILO(ミロ)”の名で親しまれている、チョコレートドリンク。マレーシアでも皆飲んでいる)
でもなかなか過ごしやすい所だった。
旅行で行くにはあまりわくわくしないかもしれないけど、友達がいて、そこに一年くらい暮らすのならばいいんじゃないかな、という思いを、一週間の滞在で抱きました。

IMG_0809
▲フェスティバルに招待されたアーティスト達。

それからまた、2014年3月。またしても私はシンガポールに行くことになりました。
やっぱりFacebookがきっかけ。(ビバ・フェイスブック!) 

Bornfireで知り合ったシンガポール人の友達に、
「そろそろマイロが恋しい」
と書いた。すると、
「あなた、それを言うならもっと適任者がいるでしょ」
と言われ、その一日後か二日後かに、Bornfireのボスであるシンさんから、
「ナオヤ、そんなにマイロが恋しいなら今度シンガポール来る?」
というメッセージが来たのでした。
今度は、ワークショップだけのフェスティバルがあるらしい。
その名もマーチ・ワークショップシリーズ。
その中で、講師をつとめるという仕事でした。
もちろん承諾して、行くことになった。

ゼンハオにも再び会って、シンガポール滞在中はずっとゼンハオの家に泊まらせてもらうことに。
ゼンハオの家は広くて、アパートの1フロア全てを持っていた。
ひと家族で、二つの家を同時に使っているような状況だった。
でも住んでいるのは、ゼンハオの両親や兄弟だけではなくて、なんだかいつの間にか知らない親戚が出入りして、メンバーがめまぐるしく変わっているような、そんな家でした。
深夜にワッフルを作って皆で食べたり、朝はだらだら12時に起きたりして、ゼンハオの部屋に置いてあるお兄さんのベッドを使わせてもらったので、寝る前も長々と色んな話をしました。
なんだか分からないが、ゼンハオ君は、外国人の友達の中でも圧倒的に話しやすかった。
ある時それをゼンハオ君に言うと、
「ははは」
と笑ったのでした。

1901312_10152021845157639_982971636_n
▲ジャグリングの理論を説明するゼンハオ

フランスのジャグリングフェスティバルでも会ったし、時々フェイスブックで、面白いものを見つけた時に教え合ったりしている。この間もフィリピンのジャグリングフェスティバルに行くか、と誘われた。

一番最近彼に会ったのは、日本で。
2014年の日本のジャグリング大会に彼が遊びにきた時。
その時は、それまでの恩返しのために、色々な所に連れて行きました。
そんな中で、やっぱり色んなことについて話した。

ジャグリング雑誌なんか始めちゃったけど、自分が本当にやりたいことかと言われたら、そうでもなくて、やっぱり未来には違うことをやりたいような気がするんだよねぇ、と話すと、彼はやっぱり真剣に考えてくれて、ふむ、と少し黙って、こう言いました。

「ナオヤはジャグリング雑誌が仕事の人でもいいと思うけどね。それに、『誰でもできることだ』ってさっき言ったけど、雑誌なんか作るの、たぶん君ぐらいしかいないよ」

ゼンハオと連絡を取るのは、1ヶ月に一回くらいなのだけれど、
なかなかいい友達に出会えたな、と思っております。

あ、そういえば、今使っているプロフィール写真は、ゼンハオが撮ってくれたものなのだった。

P1010355 のコピー
▲ゼンハオと出会った時。左から2番目、筆者、4番目がゼンハオ。

青木 直哉

青木 直哉

ジャグリングの雑誌「PONTE」編集長。
好きなものは無印良品とことばとエスプレッソ。

トップへ戻る トップへ戻る トップへ戻る