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2F/当番ノート

ジャグリングをやっていて、外国語学習をする時に分かること

当番ノート 第19期

 外国語を勉強するのが好きです。
 今まで、色々な言語を勉強してきました。
 一番最初に出会ったのは英語で、中学、高校と6年間勉強しました。
 時々、『ENGLISH JOURNAL』とか、ちょっと楽しい英語雑誌を買ってきたり、字幕で映画をたくさん見たりしながら、適当に覚えていきました。
 大してしゃべれもしないのに英語で授業をする大学の学部に飛び込み、未だにそんなに上手くはないですけれども、英語で授業を聞いて、レポートを書いて、卒業できました。
 編集長として、ジャグラーへの英語インタビューなども、出来ています。正直そんなことをする人はほとんどいないので、今、日本と海外のジャグラーを結ぶということでの希望の光のうちの一人は、私だと言っても過言ではないのかもしれない、とか、今思いました。そうか、そうかもしれない、頑張らないといけない。

 英語の次に出会ったのは、イタリア語。本当は、子供の頃に母親が見ていた某テレビ番組の影響で、1から10の数え方は英語に触れるよりも前から知っていたのですけど、知識は本当にそれだけで、きちんと勉強を始めたのは、大学に入ってから選んだ第二外国語としてでした。
 それと同時に、アラビア語と、アイルランド語、デンマーク語の授業も取りました。どれも別に身を入れて習得するつもりではなく、なんとなく面白そうだったので、授業を受けたのでした。
 実際、変な音を発音すれば、この言語だけで生活している人がいるんだなぁ、この言語の歌の伝統が何百年もあるんだなあ、ひそひそ話とかできるのかなぁ、こんな発音の仕方で、とか思いを馳せるのは楽しかったし、今までに書いたことのない文字を書けば、これで恋をしたり、この文字でお母さんに怒られたりしている人々とか、ブログを書いている人とかいるんだろうなぁとか思うと、面白かったな。ちょっと自慢もできたし。もう書けないけど。

 次に出会ったのは、中国語。
 大学一年生の終わりに台湾に初めて行ってその魅力に取り憑かれ、すぐに勉強に取りかかって、未だに続けています。
 およそ旅行に困らない程度になってから進歩が無いですが、好きなので続けています。
 その頃の台湾へのハマりっぷりは尋常ではなく、今当時の私を思い出してみると、「もしイタリア留学を決める前に台湾に行っていたら、絶対にイタリアじゃなくて台湾に留学していたよ」とか言っていたのを今でも覚えています。イタリアに行っても、イタリア語でそう言っていたのを覚えています。なんてイタリア人と、イタリア留学に憧れている人に対して失礼な大学生でしょう。

 そのあとは、チェコ人の可愛いジャグラーに出会って、また大学でチェコ人の美人な先生に出会って、そしてシュヴァンクマイエル監督の『男のゲーム』というストップモーションアニメを観て、すっかりチェコ語が好きになって、参考書を買い込んで勉強しました。昨年韓国のジャグラーと交流して、サムギョプサルの美味しさを味わってからは、時々韓国語の教科書も眺めています。フィンランド語も、そういえば大学一年生くらいの頃から参考書は持っていたかもしれない。2年半前に実際にフィンランドに行ってからは結構な頻度で本を開いています。

 こういう「にぎやかな外国語」生活に興味を持ち始めたのは、高校生の時に読んだ黒田龍之助さんという方の『世界の言語入門』という本がきっかけでした。その文体に惹かれたのと、また語られている内容が実に旅情をそそる、それでいて地に足がついている感じのする、面白い本だったのです。

 さて、外国語学習で大事なことの一つに、「失敗をする」ということがあります。
 私の外国語の実力の程度はさておき、とにかく母語ではない言葉をものにしようと思ったら、ひたすらその言葉を「使う」練習をするしかありません。使って、成功というよりは、失敗すること。話すなら、ひたすら話す。書くなら書く練習が必要だし、読むにしても、単純に単語を覚えるということは別個で、ひたすら「読む」という訓練が必要です。しかもその作業のほぼ全部に、「分からないこと」というのが、まぁ常について回ります。そうやって、大概は思うように上手くいかないんだけど、「いっちょやるしかない」ことが多くある。
 スポーツでも勉強でもなんでもそうですけど、これは勿論論理的には誰しも分かっている。でも実際にやるとなると、すごく難しい。なかなか「実際に使う」ことを意識的に継続するのは難しい。上手くいかないことの方が圧倒的に多いから。事実こうやって書いている私自身がそうです。語学だってしょっちゅう挫折しています。挫折と再チャレンジを繰り返しています。人間の興味は、しょっちゅう変わります。

 でも、そういう時に、ジャグリングと語学って少し似ているなぁ、と思うと、少し救われることがある。
 それは、ジャグリングの技術というのは、私が「ボールを落とす」ことで磨いてきた技術なんだ、ということです。
 今5個のボールが投げられますが、それは私が、上手く5個のボールを投げる方法を突然見つけて、それからいくらでも投げられるようになった、というわけではもちろんなく、「投げられない」状態があって、それから、大して成果も無いのに、懲りずに投げて投げて、落として落として、それで、「ボールが落ちるときというのはどういうときか」ということを自分でも知らぬ間に感じ取って、そうしていくうちに、だんだん身体が5個を投げられる、という状態へ、グラデーションのように移行していった感じなのです。
 それで、そういうことを言葉だけではなくて、一応この8年間のジャグリング生活の中で、身をもって知っている、ということに、救われるときというのが、たまに、あります。

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青木 直哉

青木 直哉

ジャグリングの雑誌「PONTE」編集長。
好きなものは無印良品とことばとエスプレッソ。

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