ある日わたしは一週間のロシア旅行を終えてトーキョーに戻ってくる。トーキョーはロシアのモスクワから飛行機でだいたい10時間、愛媛の伊予三島から高速バスでだいたい10時間の距離にあります。愛媛とトーキョーをつなぐバスの10時間以上をわたしはほとんど眠ってすごすのだけれど、モスクワからの10時間についてはぼんやり窓の外を見てすごしました。空のきれいなグラデーションを見た。飛行機がぐんぐん夜明けに飲み込まれてゆくのを見ました。降り立った飛行場にはめずらしく雪が降っていて、一緒の飛行機で日本旅行に来たロシア人たちはちょっと困惑した様子だった。
空港を出て電車を乗り継いで、じぶんの最寄駅まで帰ってきても雪は降り続いていた。道にうっすら積もった雪を、雪まみれのロシア旅行からの帰りでなければ喜んだとおもう。帰り道をケータイで写真に撮り、「無事に帰ってきたけどトーキョーも雪(^^;)」と家族に写メールを送る。
トーキョーでの暮らしに、こうして何度か雪が降りました。
クリスマスの夜に新宿から出るバスで帰省することを決めて、バスまでの時間がぽかんと空いてしまったことがあります。暇してたらだけど一緒にお茶でもしませんかと友だちたちにバーっとメールを送った。ひとりだけ捕まえることができ、わたしたちは新宿の駅のビルにある気軽なかんじのロシア料理屋にロシア料理を食べに行った。案内されたのは窓際の席で、窓の外にはたくさんのイルミネーションが見えて、その景色にも少しだけ雪が降ったのだった。雪だと言ってわたしははしゃいだけど、雪はすぐに止んでしまった。雪国育ちの友だちははしゃがなかった。わたしたちは日本風にだいぶアレンジされたロシア料理を美味しく食べながら、くだらないおしゃべりをいっぱいした。
「一年生のとき、夜用の傘が流行ったの覚えてる?」と友だちは言う。
「忘れるわけがない、あんなの」とわたしは応えます。
小さい電球のいっぱいついた光る傘を、晴れた夜にさして歩いた。トーキョーはさすが都会だ、変な流行がふつうにあるものなのだなあとおもったものだけど、さすがのトーキョーでもそれは変な流行だったみたいで、あっという間に廃れてしまった。光る傘は深海の光る生き物みたいですごくすごくきれいだった。それでも邪魔だったし、電気を使うため雨の日にうっかり使うと危険だった。
「でも雪の日にはさした。感電せんかひやひやしたけど、ホワイトクリスマスみたいできれいだった」
「雪の日に傘さすって未だによくわからないけどな。けど、うん。あれはきれいだった」
食後のロシアンティーが来て、それはすでに紅茶にジャムが混ぜられているタイプのものだった。わたしはアイスティーを頼んでいたので、いくらかき混ぜてもジャムが溶けずに沈んでしまう。タピオカドリンクを飲むような気持ちでストローを吸います。そして、そういえばもうわたしたち四年生だから卒業で、大学の4年間のクリスマスは全部この子とすごしたことになるな、と感慨深くおもう。四国から来たわたしと雪国から来たこの子がこうやってトーキョーで出会って友だちになって、ふたりでクリスマスにちょっと変なロシアンティーを飲んでるって、なんだかめちゃくちゃ素敵だ。わたしに映画『幻姉』の上映を教えてくれたのもこの友だちなのでした。
「そうだ、プレゼント」と友だちはわたしにかわいいブローチをくれる。
ツイッターでちょうど「プレゼント交換したい」みたいなことをわたしが書いており、友だちはそれを見てくれていたのだった。
「えっごめん。あんなこと書いといて、こっちからは準備しとらんのよ」
「いいよ、また後からで」
「なにか欲しいものある?」と訊くと、
「じゃあ、手袋で」
「手袋。どんなのが?」
「手編みでいいよ」
「手編みは無理だわ」とわたしが言って、ふたりで笑う。
ロシア料理屋を出ると、イルミネーションの街を抜けて、ドーナツを食べる。ドーナツを食べて別れて、わたしは10時間バスに乗ります。
お気付きのように、この連載で、わたしはほんとうでないことばっかり書いていて、今回だってほんとうでないようなことたちを並べた。光る傘は少なくともわたしは見たことがないし、この思い出のクリスマスにトーキョーに雪はひとかけらも降らなかった。たぶん、晴れていたのだとおもう。
「他には?」と、幻の姉が幻の二段ベッドの二段目から身を乗り出して、わたしに問いかけます。
「他にって?」
「他に、ここにはどんな嘘を書いたん?」
嘘をつくことと、黙っていることは同じだろうか、とわたしは考えます。「それは、なんかの映画できいたみたいな台詞だね」と幻の姉が笑う。
そんなかんじで、また来週!
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うそでいいから虫たちに雪をあげよう溶けるからだを持ってうまれた
/山中千瀬「クレジット」『早稲田短歌42号』(2013年)より
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