– – – – – – – – – – –
◆前回までのあらすじ
嘘のタカダノババ、嘘の映画、嘘の夏を書き、そして雪を軸に嘘の思い出を交えながら一足飛びに大学時代を振り返るわたしに、幻の姉が問いかける。「他には?」「他にって?」「他に、ここにはどんな嘘を書いたん?」わたしはおもう。嘘をつくことと、黙っていることは同じだろうか。
– – – – – – – – – – –
ほんとうは、目をつむっていたって書ける。
ある日わたしは一週間のロシア旅行を終えてトーキョーに戻ってくる。スーツケースにアリョンカチョコやマトリョーシカをいっぱい詰めて帰ってくる。翌々日、スーツケースから出したチョコを持ってバイト先に初出勤する。小さくてかわいい名画座。
「それで?」と幻の姉は続きを促す。
「それで、初出勤は5連勤だった」
「それがつらかったん? つらかったから黙ってた?」
「そりゃ5連勤はな」
「違かろ」
そうだ、5連勤は疲れたし、業務に慣れるのもなかなかたいへんだった。でも違う。初出勤の翌々日、5連勤の真ん中の日、3月のまだ寒い日、大きい地震が起こる。わたしはそのときちょうど映写室で休憩をもらっていた。揺れるのであわててロビーに出てみると、誰も揺れに気づいていない。揺れはどんどん大きくなった。電線がびよんびよんとしなっていた。トシチョッカガタの大地震というやつだろうか。上の事務所は大きく揺れたみたいで、他のスタッフさんも降りてくる。映写機を止めてお客さんたちを誘導する。電車たちも止まってしまったみたいだった。ラジオをつけて、震源がこのへんではないことを知る。どういうことだ。お客さんたちは映画の続きを見たがった。上映を再開するとまた揺れたので、きょうはもうおしまいだ。わたしの昼すぎまでの業務時間も終わっていた。電車動き出すまで待たせてもらおうかなとおもうけど、いつになるかわからない、歩いて帰ろう。スニーカー指定のバイトでよかった。歩きやすいから。
神楽坂をずんずん歩く。母から「充電器を買っておけ」とメールをもらい、言うとおりコンビニで携帯電話の充電器を買う。電池も。大学の前を通過、高田馬場に向かう。あとは西武線沿いを行けばいいだけだ、けど、間違えてさいしょは山の手線沿いを行ってしまう。目白からバスに乗って帰れないかなって考える。バス停には行列ができていた。どの列がわたしにとって正しいバスにつながっているのか判断つかなかったし、バスがいつ来るのかも知れないから、すぐに諦める。こっちに向かえば西武線沿いではとかんじる道を適当に歩けばほんとうに西武線沿いにたどり着く。わたしはすごい。少し楽しくなって歩き続ける。iPodでえいえんに平沢進を聴き続けている。気づくとみんな歩いている。なんだか非日常の光景だった。みんな帰宅しているようだ。だいたい同じ方向を目指して。非日常から日常を目指して? 太い大きな列になって。道の奥にこっちは行き止まりですよと説明しているひとがいて、みんなで優しいそのひとにお礼をいいながら正しい道を進む。知らない女のひとと「たいへんですね」とかときどき言葉を交わしながら進む。夕日がこんなときなのにきれいだとおもって夕日を写メる。不意に平沢進が途切れる。どうした平沢。iPodが充電切れだ。充電器は携帯電話向けだから使えない。ちょっと途方に暮れる。行列もだいぶ細くなってきていた。突然ひとりぼっちみたいだ。それで
「それで?」と幻の姉。
世界は滅び、すべては暗黒の闇のなかに消えていきました。
「バカ」
バカじゃない。
「ほんとうは」
それでも歩き続けて、ようやく最寄り駅まで辿り着く。コンビニの脇の公衆電話で実家に電話して、母に無事だって伝える。伝え終えると帰宅。部屋はいつも通り散らかっているけど本棚が倒れてるみたいなことはなくて安心した。机に並べてたマトリョーシカがばらばらになっちゃってたのがうちの唯一の被害。唯一の被害。ツイッターで地震の大きさとか、どこがもっとも大きく揺れてどうなったとか読んでいたけど、まだ理解が追いついていなかった。
「まだ」とサッシにたまった埃を見つけたような顔で幻の姉が言う。
「そう、まだわかっていなかった」とわたしは応える。
いまはそのときどんなことが起こって、その先にどういうことが起こるのかも、もう知っている。
「でしょう、知ってるでしょう」と幻の姉は作中のわたしに呼びかける。
「うん、ほんとうはね」と作中のわたしが応える。
作中のわたしはマトリョーシカをきれいに並ばせなおすと立ち上がって、わたしを見つめる。そうだった。この子だってほんとうは全部知っている。ぜんぶ知ったわたしが書いているんだから、どうしたって知っていないことにできない。
「わたしは、どうすればいいん」と作中のわたしがわたしに訊ねる。
わたしがききたい!と叫びたいけど、そういうわけにもいかない。あなたの右手には光る傘、左手にはタカダノババあるいはさかなのパパへの定期券が握られている。幻の姉がついている。光る傘は実は魔法のステッキなのだった、そしてタカダノババは魔法都市、あなたはそこで偉大な魔法使いとなってすべてをやり直す・すべてを救うための旅に出る……
「バカ」と作中のわたしと幻の姉が同時に怒る。双子みたいだ、とわたしは少し笑ってしまう。
「笑うな」とふたりはまだ怒っている。
でも、それなら、わたしはどうすればいいんだ。とわたしにまで怒りが伝染する。
「違う」と怒るのが、幻の姉なのか作中のわたしなのか、もう判断つかなくなる。ふたりの顔はよく似ているから。
その通り、違う。わたしはもう、ずっと怒っていたし、怒っている。どうすればいいんだ。よかったんだ。なにを書いたって、過去を変えられるわけでもないのに?
続!
– – – – – – – – – – –
わたしたちの避難訓練は動物園のなかで手ぶらで待ち合わせること
/平岡直子「光と、ひかりの届く先」『歌壇 2012年2月号』(2012年、本阿弥書店)より
– – – – – – – – – – –
私はかならず戻つて来るから犬よ 待つてゐなさい、穴でも掘つてゐなさい
/松平修文『松平修文歌集(現代短歌文庫)』(2011年、砂子屋書房)
– – – – – – – – – – –