寿司屋に行こうと言い出したのは先輩のほうだった。ブラジル人が生魚を好きなことに少し驚いた。サンパウロは多様な民族の中でもとくに日系人が多く、日本食も存在感がある。夜は軽く済ませるというブラジルにおいて、軽く寿司でもつまもうと考える人は多いらしく、平日の中日だと言うのに店はほぼ満席だった。
海苔の代わりにスモークサーモンで巻かれた巻寿司を綺麗な箸使いでつまみ上げながら、ブラジル人の先輩は自分の仕事の話をした。長年銀行で働いていて仕事は好き。そのころ世界を震撼させていた金融危機の影響もブラジルは殆ど受けなかったんだと、のんびりした調子で言った。
「でもね、仕事は変えようかなって思ってる。まだ次にやりたいことが見つかっていないから具体的には動けないけど。ハグの為に転職する自分は、とても想像がつくよ」
「ハグの為の転職?」
「うん、お母さんのことをもっとハグしておきたいんだ」
先輩は少し言葉を探した。
「朝の5時に出社して帰りも遅いから、実家に住んでいても平日に両親と顔を合わせることが殆どないんだ。彼らはなにも言わないけれど、寂しがっているのは知っている。彼らがだんだん年老いていくのも感じている。時間は限られていて、いつか来る別れのことなんて考えるだけで恐ろしいじゃない。それなのにいまの僕は、おはようのハグもおやすみのハグも交わせないでいる」
「たまにね、顔を合わせてお母さんをハグするとすごくしっくりくる。これは僕にとって本当に大事なことなんだって体が分かるんだ」
「ハグ、か」
その夜、彼との会話を思い出しながら、声に出して呟いてみた。泊めてもらっている鹿児島県民会館に他の宿泊客はなく、小さな声はがらんとした家の中に響いた。ここは日本に似ているところもあるけれど、日本じゃない。友人、親子、恋人同士、仕事の同僚たちが挨拶とともに抱き合う光景はこの街の一部だった。人々は、挨拶の一部としてハグを交わす。日本にはない習慣。
◎
習慣はなくても、ハグはしたい。
心を近づけて、言葉で交わり合った後に、まだ体と体の間に1メートルくらいの距離が空いている。それが会釈や手を振る為に使われることが分かっていても、その空間が落ちつかなくて、ぐっと歩み寄って相手を感じたい衝動に駆られる。
最近、仕事で関わる人たちをハグするようになった。
インタビューした相手。
一緒に取材に行った人。
本を作った仲間。
ミュージシャンの人が、ライブの間はバンドメンバーとセックスしているようなものだと教えてくれたことがある。取材も同じだ。相手にも心を開いてもらう必要がある以上、自分が開いた状態でないといい仕事にはならない。書く仕事も、服をもうこれ以上ないくらいに脱いで裸の自分をさらけ出す作業になることがある。
開かれた状態で、別れ際にそのまま両手も広げてみると、相手が反応してくれることがある。業業しい声やノリで誤摩化しながらの動作でも、ハグができるとほっとする。
抱きしめた時の相手の存在が、それまでの言葉が体温と重量を持つものですよと判を押してくれる感じがする。ぎゅっとする動作に「しかと受け取りました」と思いを込める。小さな儀式。逆に私の放った言葉が、さらけ出した心が誰かに受けて止めてもらえたことに安心することもある。体が伝えられることは、言葉よりもリアルだ。
「お辞儀は60度の角度」を新人研修で教わった会社を辞めて、ときにはハグができるようになったという意味では、私もハグのための転職をしたのかもしれない。
でも私は先輩のように両親をハグできない。そんな雰囲気を作り出せない何かがあって、会いに行った帰り道は、別れ際の距離を抱いて帰ることになる。照れだけではない、なにかに阻まれている。
母に抱っこをねだり、父の足にしがみついていた頃、子どもとしての輪郭線は彼らにくっついていた。ひとりで歩くようになり、自分で考えるようになり、個としての輪郭を持った。その輪郭線が触れ合うことのないまま、長い年月が経ってしまった。慣れてしまった距離を縮めるのと、最近で出会った人との距離をゼロから設定できるのとでは、前者の方が難しい。距離を縮めるには、また同じくらいの年月がかかるんだろうか。もうその輪郭線が交わることがない、としたらあまりに悲しい。
この旅に出る日、思い切って、両親と祖母に対して両手を広げて近づいてみた。
父は少したじろいでから応じてくれて「早く行きなさい」と言った。
母はしょうがないわねと苦笑いをしながら応じてくれたけれど、
次にハグしたおばあちゃんが泣いてしまったのを見て
「全くもう、ドラマチックにしないでよ」と私を睨んだ。
やっぱり習慣にないことをやるのは気まずい。
ただいまのときは、同じことができないかもなと思う。
でも私の体は正直で、胸の辺りにじんわりと残った温かみに安心していた。
毎日じゃなくてもいい、会う度でなくてもいい。
個として確立した輪郭を持っても、そうして話さないことが増えても、
私はあなたたちから産まれたのだと、たまにでもいいから線を重ねたい。