インタビューアーの仕事の醍醐味は、相手が考えていなかったことを引き出すことだと思う。「それを聞いてきたのはあなたが初めて」と言ってもらえた瞬間、私の心臓は興奮に踊る。
誰かの話を聞かせてもらうというのは、動いている人にしばしの時間止まってもらう行為でもある。止まってくれたその時間の中で相手が何か新しい、もしくは懐かしい発見をしたり、自分の中に言葉を見つける瞬間だったりに立ち会えると、私はほっとする。
もうひとつ嬉しい反応は「またいつか同じことを聞いて」と言われることだ。初めて私にそう言ってくれた人は「1年後にまた同じ質問をして。自分がどう変化するか見てみたい」と言った。
それは変わっていく相手を側で見ていてもいいという許しに聞こえた。また同じ質問を聞きにきてほしい。そう言ってくれた人たちに、私はまた会いに行って、その人が生きてきた話の続きを聞きたいと思う。
この2ヶ月間、 5年前に自分が受け取った言葉を中心に、その言葉に続く自分のいまを書いてみた。
それは最初に想像していたよりもずっと難しかった。彼らの言葉を「問いかけ」として、自分の中にぐっと潜らせてみても、自分の中に何があるのかが、すぐには見つからないものもあった。
「それを聞いてきたのはあなたが初めてですよ」
窓ガラスに書いた彼らの言葉を眺めながら、暫く会えていない人たちに向かって呟いた。言葉に手をひかれながら、まだ浅いな、もう少し深いところになにかあるかなと、普段は見ていない部分の自分に潜っていく。書き進めていくうちに自分の両手で水をかくようになってきて、自分はこんなことを考えていたのか、あれについてはまだ語れることがないなと、私自身を発見していった。
アパートメントに入居した日、書くことは記憶を固定することだと書いた。でも何年も前に本に書いた文章に、もう一度自分を照らし合わせてみると、紙の上の記憶と言葉が浮き上がって、新しい形を探して動き出していくような感覚に出会った。
言葉は鳥みたいなものだと思う。しばらく空の彼方に飛び去っていたかと思えば、また思い出したように帰ってくる。かつて落とした種から、何が育っているのかを確かめに帰ってくるのかもしれない。
「また戻ってきてね」と自由になった言葉たちに呼びかける。
またいつか同じ問いかけをしてみて。
5年前に私の中に蒔かれた種には、芽が出ていたものもあれば、まだ土の中で眠っている種もあった。書いているうちに、光を浴びすぎたのかポンと芽が出たもの、グンと伸びたものもあった。これから花が咲くかもしれないし、葉がふさふさと増えるのかもしれない。縦に育つかもしれないし、横に広がっていくかもしれない。きっと変化していく私を鳥のような言葉たちにもたまには見にきてほしい。
当初アパートメントに入居するときに考えていたテーマは全然違うものだった。ちょうど、私はメキシコ・キューバ・チリに少し長めの旅をしにいくところで、連載にはその日々のスケッチのようなものを書き溜められたらいいなと思っていた。実際に入居が決まって、改めて周りの住人さんたちの部屋を覗いているうちに気が変わった。自分の中の見えないものに触れて、形を確かめてみたいと思った。
旅という目に映る景色や実際に眠る部屋、日々出会う人たちが、暮らしよりも短いスパンで変わっていく中で、このアパートの変わらないひとつの部屋に住んでいるのは、不思議なバランスだった。窓辺に並んで、これからの進展を待っている鉢たちを抱えて、次はどこに行こう。私自身も渡り鳥のように、ここに戻ってきたいと思うのだろう。また一冬の間、寄らせてください。