はじめて文章を書いて本という形で世に出そうとしたときに相談に行った人は、開口一番「やめておいたほうがいいよ」と言った。「ひとたび書いた文章が世に出ると、あなたの記憶も固定されてしまう。書かなかったことは、自分の記憶からもこぼれ落ちていくよ」と。
その忠告に反して私がはじめての本を書いたのは、私が旅先で再会した友人たちの言葉を届けたかった人がいたからだ。それは「10年後、ともに会いに」という本になった。
20代の終わり、自分のこれからが見えなくなって旅に出た。行く先々で、かつて高校の同級生だった友人たちに再会し、彼らの話を聞いた。30代を手前にそれぞれに不安や迷いを抱えていた彼らは、それを惜しみなく分けてくれて、時折キラリと光る言葉を発しては私の行く先を照らしてくれた。その言葉たちを束ねた本。
当初、その言葉たちを届けたかった相手はひとりの幼なじみだった。幼なじみも迷っていた。私が海外ばかりに出かけて行くことをなかなか理解してくれなかった彼は、「いま、地球の反対側に僕と同じ迷いを持っている人がいるとしたら、その人の考えていることを聞いてみたい」と言ってくれた。
それは私が長いことやりたいと思っていたことだった。高校時代、色んな国からの同年代の人たちと過ごす機会のあった私が感じていたのは、「人間、深く知り合ったら国籍も宗教も、経済力の違いも関係ないところで『あ、この人と私は繋がるかも』という地下水脈にあたる」ということ。私の会いに行った友人たちが、彼の悩みにそっと寄り添うことだってできるかもしれない。
だから「10年後、ともに会いに」という本には、私が友人たちの言葉をもらって何を考えたかはあまり書かず、あくまで友人たちと彼らの言葉が引き立つように書いた。彼が私の意見に邪魔されずに、私が出会った人たちと直接会話ができるように。
旅に出てから5年、本が世に出てから3年が経とうとしている。残念ながら幼なじみは、まだそれを読んではいない、と思う。旅立ちから1年を経て戻ってきたときに、彼は私たちが暮らした町を出ていってしまっていて、連絡先も変わってしまっていた。
代わりに、届けたかった友人たちの言葉は、その本を手に取ってくれた見知らぬ人たちの中に届きはじめた。その言葉たちに対する反応は、ぽつりぽつりと私に送られてくる感想に書かれていることもあるし、深夜にネットの海をエゴサーチしていて見つけることもある。
本を通して、登場人物となってくれた人と読み手となってくれた人が会話をしてくれているのが嬉しかった。
以来、私は物書き、とくにインタビューの仕事をするようになった。
相手の言葉が力を帯びるその瞬間に立ち会い、物語が立ち上がる瞬間に耳をすませる。お互いの空気を少しずつ馴染ませていった先、相手の言葉が走り出して、自分が相手の一部になったみたいに透明になっていく感覚の虜になった。
そうして分けてもらった言葉には相手の生き方や揺らぎ、体温がぎゅっと詰まっている。誰かの地層の深いところから湧き上がる言葉を、汲み取らせてもらって、両手でそっと運んで、必要としている人に届ける。私はその仕事がとても好きだ。
「届けることに夢中になるあまり、相手と私の会話を発展させていないかもしれない」と気づいたのは、ある眠れない夜のことだった。相手の言葉をパソコンの画面に書き付けて、それが伝わるように物語にのせて、外の世界に送り出す。そこで止まってしまっていないだろうか? ふと疑問が浮かんで闇のなかでくるくると舞った。
あの人の言ったとおり、書いたことで相手と私の会話は形を持ち、そのまま固定されている。
5年前に訪ねて行った友人たちのことが思い出された。
私は彼らの言葉を本に書き付けて届けた。でも、もともとは私に向けて放たれた相手の言葉に、時間が経った今どんな言葉を紡ぎ返したいと思うのだろう。
アパートメントに入居させてもらったこの2ヶ月、窓ガラスにこれまで友人たちやインタビューの相手からもらった言葉たちをなぞりながら、自分なりの「あの言葉の続き」を紡いでみたいと思います。
どうぞよろしくお願いします。
寺井暁子